■ 田ノ木の怒り
白戸が言うところの救命艇を港に着けると、そこには既に救急車が待ち構えていた。
安西をストレッチャーに乗せて救急車に運び込むすぐ後を野本が小走りに走って行く。
「おい!」
野本はいきなり聞こえた大声にびくりとなる。
そして、自分の顔を思い切りバカでかい両手で挟まれている・・・いや、包まれていることにも気付いた。
その顔は、うにゃっとつぶれ、アヒル口のようにまで潰れていた。
「お前、何があった!こんなに血だらけで。刺されたか?王にやられたか?他の奴らか?」
顔を挟まれたままぶんぶん振られてりゃ、声も出せない。
手を振りほどこうとその手に自分の手をかけるが、びくともしない。
「野本!」
大声で叫ばれて耳がきんきんする。
仕方なく、野本は目の前にいる男の足を蹴っ飛ばした。
足下に視線がいくちょっとした間に野本はするりとすり抜けた。
「バカじゃないのあんた!そんなバカ力で顔抑えられたら声も出ないじゃない!」
野本は顔をさすりながら、ほどよい距離を置いて毒を吐いた。
「その血は・・・」
「トキの血でしょうが」
「そうか、そうだったのか」
ほっとしたのは、田ノ木だ。
田ノ木はヘリポートから降りた瞬間、救命艇の方へ猛ダッシュしていた。
そこで見つけたのは、救急車に乗せられる安西と、その後をふらふらとついていく野本。
しかし野本の顔は血まみれで、髪もぼさぼさ、所々血で固まっているようにも見えるし、服も血まみれで、極めつけに靴すら履いていなかった。
そんな状態を見た田ノ木は、野本も重傷を負ったとばかりに血の気が引き、気がついたときには野本に掛けより、その顔を手で包み込んでいた。
「血まみれになってたから、てっきり俺はお前までもがやられたのかとばっかり・・・」
でかいタヌキのような図体で、目だけはくりっとしている50オーバーのおっさんは、目に涙を溜めているので、うるうるに輝いている。
その様はなんとも異様・・いや、感動的とでも言っておくか。
「止めてよあんた、なんで泣いてんのよ」
野本が田ノ木の目に溜まる涙を見て、腰に手を当てて仁王立ちになりしかめっ面をした。
「やだ、田ノ木さんでも泣くんですね」
白戸は田ノ木の涙を見て『信じられない』とばかりに大げさに、しかしおかしそうに声を出した。
「アホか、誰が泣いて・・」
ちょっと体を後ろに向けるように隠し、目頭を抑える田ノ木の姿に、野本の心は少しばかりどきりとするが、『これは気のせいだな』と片付ける。
そんな田ノ木の目の前には血だらけの足がぬっと出て来て、田ノ木はまたもそこに釘付けになった。
「田ノ木さん、部下の私の心配は野本さんの次ってことですか?」
嫌みたらたらに言った根上は、自分のスーツの袖を引きちぎって巻いた血だらけの足を田ノ木の目の前に高々と持ち上げて見せた。
「根上・・・」
「しかも、私の目の前を猛ダッシュして行った先が野本さん・・・あぁ、そうですか、部下の私より人妻の野本さんを取ったってわけですね」
どんどんと足を地面に叩きつけて、『痛い足』をアピールする根上は若干楽しんでいるようにも見える。
「お前は・・・よくやったよ」
ちょっとだけ恥ずかしい言葉を言われた田ノ木は根上のことを忘れていたことに気付いた。
「根上さんやめてよ、田ノ木さんって私の趣味じゃないから」
野本は一蹴し、髪をかき上げ・・・
「やだ、血で固まってるじゃない」
今更に気がつき、あからさまに機嫌の悪そうな顔をした。
「田ノ木さんちに行けばシャワーありますよね」
まだ続く田ノ木遊びで楽しむ根上はちらりと田ノ木の顔を盗み見すると・・・
ぶち切れ寸前の田ノ木の顔が目の前にあった。
「野本さん、早く病院に行きましょう」
やりすぎたと感じた根上は野本を盾に救急車へと急いだ。
「なんであんたが一緒に!他の車で来なさいよ」
「いやいや何かがあってからじゃ困るじゃないですか」
根上は野本の腕を掴み、そそくさとその場を立ち去ろうとした。
「根上」
黒い声が後ろから届き、根上は眉を八の字にして野本を見たが、野本の目は冷ややかで、まるで『自業自得』とでも言っているようだ。
「はい」
振り返った根上に田ノ木は、スーツ一式の領収書は俺んとこに持ってこいと一言言った。
☆
田ノ木の電話に通知圏外からの連絡が入ったのは、ヘリポートへ向かう途中のことだった。
「嘘だろ」
田ノ木は携帯の画面から目が離せなくなった。
「どうしたんですか?」
幸元は自分の仕事をやり遂げたとばかりに髪をほどき、気持ちの良い風を感じていた。「田ノ木さん?」
幸元旦那も操縦席から心配そうに田ノ木の名前を呼び、周りを警戒した。
★
「迷わず撃て」
田ノ木は海上で動きを止めた小型船に狙いを定めている幸元に命令した。
「分かりました」
躊躇をしない幸元は、田ノ木に命令を出された瞬間、言われた通りに狙いを定めた小型船に弾丸をぶち込んだ。
弾丸は完璧に小型船にヒットし、炎上、爆発させることにいとも簡単に成功する。
そんな弾丸をぶっ放し続ける幸元の後ろ姿を見て田ノ木は、これが初めてじゃないなと、生唾をゴクリと飲むことになった。
幸元夫妻が言っていたように、この世の中には表に出ていない事柄がたくさんあって、その一つを今、俺自信が実際に目の前で見ているんだなという新たな発見に、今後の捜査での協力者、それもとてつもない情報を持っているであろうこの二人を見つけたことに関して喜ぶと共に、
どこでこんな技術を身につけたのかを聞きたいという衝動にかられていた。
「田ノ木さん、船は沈めましたけど、ちょっと問題が・・・」
「問題?」
既に次のことを考えていた田ノ木は、幸元のこの言葉に眉をしかめ、前方に確認できる燃え上がって沈んで行っている船をちらりと見て、操縦席と、その隣の幸元に目を向けた。
「・・・船に誰もいないんです」
信じられないとばかりに幸元は田ノ木の顔を凝視した。
「いないんですよ。船の中には誰も」
幸元旦那も今調べたことを確実に田ノ木の耳に伝えた。船を沈めることに夢中になっていた幸元は、船の中には人が(野本の旦那が)いるものだとばかり思って撃ち抜いていたというわけだ。
命令に忠実に従う幸元は、もしかしたら軍隊に入れたとしたら、きっといい働きをするに違いないと田ノ木は感じたが、当の本人はファッションと美容にしか興味が無いことを思いだし、少しばかり肩を落とした。
「そんなはずは無いだろうが」
前の方に出て来た田ノ木は、レーダーを確認して自分の目で確かめて初めて、幸元夫妻が言っている言葉の意味が分かった。
船の中には人一人いない。船の近くを探知したが、そこにも何一つとしてひっかかってこなかった。
「どういう・・・」
田ノ木は額に溢れ出てきた汗を右手の甲で拭うと、自分のスーツの腿の部分で拭き取った。
☆
「田ノ木さんですね」
電話の声は初めて聞く男の声だ。
「・・・野本か」
「それはどうでしょうか。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれませんね。しかしまぁ、お礼を言いますよ。船を沈めてくれてありがとうございました」
「ありがとうだ?」携帯を持つ手をぎりぎりと力を込めた。
「ええ。今そこにいらっしゃる女性がぶっ放して沈めてくれた船は、それ自体が起爆装置になってたんですよ。いやいや、爆破する手間が省けました」
やられたと思うが既に遅い。
船はもう沈めてしまっている。
「お前・・・あの貨物船にはお前の女房だって乗ってるんだぞ」
「ええ、そんなことはよーく知っていますよ。今頃は安西にヨーコもろとも海の底でしょうか」
「おまえ・・・」
「誤解しないで欲しいですねぇ、私は何もしていませんよ。船を爆破したのは、あなた方の方ですから」
電話の向こうで人をバカにした笑いを向ける野本に対し、田ノ木は怒りが爆発しそうになる。
「お前は絶対に捕まえてみせる」
「どうぞご自由に」
「人が死んで、しかも自分の近い人間が死んで、よくそんな状態でいられるな」
「まぁ、それは永遠のテーマですが、死ぬということがそんなに重要なことでしょうか?それは一つの現象でしかないんですよ」
田ノ木はこいつが確か生命の起源を追っている学者でもあったことを思い出し、意味の分からない話ではぐらかされるのを察知した。
以前、野本もこの手の話をしていたので、少なからず免疫は出来ている。
「そこで待ってろ。捕まえて、1から全部吐かせてやる」
「ああ、そうですか。楽しみですねぇ。ではお待ちしていますよ」
鼻で笑ってそう言うと、電話はそのまま切れた。
「くそ野郎が。今の逆探知できるか?」
「時間が短すぎました。向こうでも計算していたんでしょう」
舌打ちをする田ノ木は、やり場の無い怒りを携帯電話を握り絞めることで怒りを少しばかり発散し、目の前で燃えながら沈み行く船を恨めしそうに睨みつけるしかなかった。




