第8話 祝福熱
鳥の鳴く声の中、ノーチェはゆっくりと目を覚ます。
「……ん、ここは……」
(……確か昨日は……アルバが……来てくれて……。ここは……王宮じゃない……?)
頭がじんわりと痛む。体が熱い。……熱が出ているのだろう。少しでも状況を思い出そうと思考を巡らせていると、カカウェテが「ノーチェ様、おはようございます」と入室してきた。
「……カカウェテ?」
「はい。おはようございます」
ノーチェは状況を飲み込めていないのだろう。目を丸くしてまばたきを繰り返していた。
「……えっと。何が起きたの……?」
「説明します。でも、求婚の現場にいませんでしたので、多少憶測が混じりますが……」
カカウェテは、アルバがノーチェと婚約を結び、迎賓館に連れてきたことを説明する。
「……婚約……」
「はい。ノーチェ様はこのあと、アルバ様とともにディーア王国に向かう手筈となっておりますが……」
カカウェテはそう言いながら、ノーチェのおでこに触れる。その瞬間、彼女は目を丸くした。
「やはり、お熱があるのでは?」
「ううん、大丈夫」
「いえ、これは相当高いですよ。今日はお休みになってください」
カカウェテが横になるよう勧めるも、ノーチェは首を横に振る。
「大丈夫。元気だから」
「でも……」
「アルバが先に帰っちゃったら、王宮に戻される。そしたら、婚約なんてなかったことにされる。今度こそ終わる。だから、おねがい。ごまかすの、手伝って」
カカウェテは黙り込む。彼女はアルバから、ノーチェが王宮でどんな扱いを受けていたか聞いている。ノーチェの不安ももっともだ、とすら思った。
「何の騒ぎですか?」
アベリャーナも部屋を覗き込む。カカウェテは「お母さん、ちょっと相談が……」と状況を説明した。
「お坊ちゃまは、ノーチェ様を置いてはいかないと思いますよ。ノーチェ様のために私たちを探し出したほどに、つよい執念をお持ちですから」
その言葉を聞いても、ノーチェは不安げだ。
「……ぼくがどうかしたの?」
「あ、アルバ」
アルバの姿を認めたノーチェは立ち上がる。
「今日、ディーアに帰るんだよね? ……わたしも、連れて帰ってくれるんだよね?」
おそるおそる、といった調子で言葉を紡いだ彼女に、彼は「ノーチェは大事な未来のお嫁さんだよ?」と微笑んだ。
「でも、今日出発はしないかも」
「……え?」
アルバはノーチェのおでこに手を当てる。少し背伸びをして、その手を自身のおでこで挟み込んだ。新緑の目と、闇色の目が交差する。
「ノーチェ、熱があるよね?」
……まずい。バレた。ごまかさなきゃ。そう思った彼女は慌てて口を開く。
「ちょっと熱があるかもだけど、元気だよ。馬車にも乗れる。大丈夫」
アルバはノーチェの言い訳を、一切遮らない。うんうんと相槌を打っていた。
「そっか。元気なんだね。よかった」
柔らかい笑み。信じてくれた。ノーチェはほっと息を吐く。その瞬間、彼は笑顔を一切崩さずに口を開いた。
「じゃあ、ベッドに戻ろうか」
ノーチェがぽかんとしている隙に、アルバは彼女を抱き上げてベッドに寝かせた。
「待って。大丈夫。元気だから」
「しんどくないんだね。安心したよ。じゃあ、眠くなるまで、このままゆっくりおしゃべりしてようか」
「今日、帰るんでしょ?」
「ただの予定だよ」
彼はそう言って随行してきた外交官を呼び出す。
「帰国予定の変更、できる? ノーチェが熱を出しちゃって。祝福熱だから一、二日で下がると思うけど、念のため三日後かな」
「体調不良であれば仕方がありませんね。承知いたしました」
アルバの指示を受け、外交官は部屋を出ていく。ノーチェは首を傾げながら、「祝福熱?」と聞いた。
「祝福を使いすぎると、熱が上がっちゃうんだ。正直、なるだろうなとは予想してたけど」
「……知らなかった。詳しいね」
「うん。頑張って勉強したんだ」
「アルバはすごいね」
彼は祝福を持たないことで有名だ。それなのに、祝福を持つ自分ですら知らないことを知っている。
気持ちを込めて伝えると、アルバは少しだけ困ったように笑った。
「ノーチェのこと、何も知らなかったから」
「え?」
「祝福のことも、王宮でどんな扱いを受けてたのかも」
さらりとした口調だった。
「だから、調べたんだ。全部」
ノーチェは黙り込む。他国の、しかも、式典に顔を出しているだけの王女の動向を知る。これがいかに難しいことか想像すらできない。彼女の沈黙を切るようにアルバは続ける。
「ノーチェがぼくのところに来た時、困らないように」
アルバはノーチェの手をそっと握った。
「だから安心して、一緒にディーアへ帰ろうね」
アルバの優しい微笑みに、ノーチェの肩から力が抜ける。熱による倦怠感に任せて目を閉じれば、「おやすみ」という温かい声がそっと耳を撫でた。
ノーチェの寝息が静かに整うのを確認してから、アルバはそっと立ち上がった。そして、窓に顔を向けて語りかける。
「そうやってたらバレない?」
「いいえ。問題ありません」
影から姿を現したのは、アルバがポラール王宮に潜入させていた密偵だった。
「報告をお願い」
「はい。ルナリア姫は王宮を出奔。ファーブラ次期公爵が回収していることを確認済みです」
「回収、って。物じゃないんだから。でも、よかった。……正妃は?」
「まだ、動きはありません」
「うん。ありがと。戻っていいよ」
アルバがそう指示をすると、密偵は「失礼いたします」と言って、影の中へと消えていった。
「……念には念を、かな」
アルバのつぶやきは、誰も聞くことはなく、静かに溶けていった。
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