第17話 残された姉弟
ポラール王国、ファーブラ公爵家にて。ベッドに横たわったまま、ルナリアはぼんやりと天井を見つめていた。身じろぎするたび、手足の枷から細い鎖が擦れ、シャラシャラと乾いた音が室内に響く。
「ルナリア。入っても構いませんか?」
カントの声だ。ルナリアはベッドから体を起こさずに答えた。
「別に許可なんて取らなくても。あんたの屋敷なんだから」
「女性の部屋に入る際のエチケットのようなものです。あとで面倒ごとになるのは避けたいですから」
彼は苦笑しつつドアを開ける。その手にはパン粥の乗ったお盆があった。
「食事の時間ですよ」
「はあい」
ルナリアはむっくりと体を起こす。その手足には、金属でできた枷が繋がっていた。彼女が動くたびに細い鎖がシャラシャラと音を立てる。カントは彼女にパン粥を食べさせながら、「退屈してはおりませんか?」と微笑んだ。
「んーん。手の届く位置に本があるし、窓の外に目を向ければ庭も見えるしね」
「気に入ってくれてよかったです」
「『まんぷくあおむし』みたいな本、もっとないの?」
「絵本ですか。僕はあまり絵本を読まなかったので、なんとも……。使用人に探させておきますね」
「ふうん。……ありがと」
ルナリアはお礼を言いつつ、なんとなしにカントの胸元に視線を向けた。
「そのネクタイピン、初めて見た」
「ああ、これですか。祖父の形見です」
「へえ。あんたが形見を身につけるなんてね」
「これをつけていると、祖母の機嫌が良くなりますから。こちらの要求が通りやすいんです」
ルナリアは瞬きしてカントを見る。そして、「ぶはっ」と吹き出した。
「あんたらしいわね」
「褒め言葉として受け取っておきますね」
形見、形見ねぇ……、とぼんやり考える。視線が遠くを向いた。
「姉さん……何か、持っていけたのかな」
小さく呟いた言葉は、静かに室内へ溶ける。
「……状況が状況だけに難しそうですね」
「……そうよね……」
互いの地獄に見て見ぬ振りをする。それが三姉弟の、暗黙の了解だ。だが、それでも相手のことを思いやらないわけではない。
「姉さん、きっと……何も持たされてないわ。側妃さんのこと、すっごく思ってるのに」
思い出す。遠くから見たノーチェの姿を。ぼろぼろになった側妃の手紙を、破れるまで大事そうに持っていた姿を。
「……ねえ、カント。……ダメならダメでいいんだけど。姉さんにどうにかして形見を届けられないかな」
カントはルナリアへと視線を向けた。その目は一瞬だけ、値踏みするように細められる。脳内では天秤が動いていた。利か、あるいは損か。実行時のメリットとデメリット。
彼はしばし思考したのち、柔らかく微笑む。
「相変わらず人使いが荒いですね」
「……いいの?」
「貴方が喜ぶのであれば、それで十分です」
「はいはい。いつもの甘言ね」
ルナリアはくすりと笑いをこぼす。カントは「受け取り方は人それぞれですから」と笑った。
「今でしたら輿入れの荷物に紛れ込ませるのがいいですね。部下に指示を出しておきます」
「今からちょっと忙しくなるので失礼しますね。好きなことをしてていいですよ」と言い残して、カントは部屋を出ていった。
◇
カントは側妃の生家に連絡をとり、彼女を偲べそうなイヤリングを託してもらった。彼は別件の用向きを作って王宮に赴き、中庭を通る。ちょうどガゼボからクラロが出てきたところに遭遇できた。傍には同盟国の王女でクラロの婚約者、イルシオンがいた。
「おや、クラロ殿下。ご機嫌麗しゅう」
「次期ファーブラ公、貴方の健康と、公爵家の安寧に変わりがないようで何よりです。ところで,一体何の御用でしょうか?」
クラロは王太子として完璧な笑みを浮かべる。カントはにこやかな笑みを崩さず、「少々お願いしたいことが」と口を開いた。クラロの前に小箱を差し出す。
「こちらをノーチェ王女殿下の輿入れに際する荷物に紛れ込ませていただきたく」
クラロの目が値踏みするように細められる。それは,カントを観察するように上から下へと動いた。
「そちらは?」
「ただのイヤリングです」
クラロは眉間に皺を寄せ、瞬き一つなくカントを凝視する。いつでも祝福を発動できるように構えているのだろう。
「今は亡き側妃様の形見の品でございます。彼女のご実家より託されました」
クラロは箱を開け、イヤリングを指先でつまみ、光にかざす。アンティークゴールドは淡く光を返すだけだ。密書や物品が入りそうな隙間はなく、何かが塗られている様子もない。
「本当にただのイヤリングのようですね」
「はい。間違いございません」
カントはあえて一切視線を逸らさずに微笑む。クラロはじっと彼を凝視し、真実の祝福を発動した。彼の目には、カントの言葉は真実と映る。
「……本当にただの品であれば、わざわざ貴方が動く必要はないはずだ」
クラロは静かに指摘する。カントは微笑みを崩さない。
「祝福は精神が安定するほど制御しやすくなります。このイヤリングは第一王女の精神安定に寄与し、和平の維持に貢献するでしょう」
カントの答えは淀みがない。
「……ただの、慰めでしょう」
「間違いございませんね」
カントは誤魔化さない。クラロは眉間に皺を寄せ、じっと考え込んだ。
「……理解できません。ですが、それで彼女が安定するのであれば、結果として益があります」
クラロはそう言ってイヤリングを箱から取り出す。
「荷に紛れ込ませるのはイヤリングだけです。それでも構いませんか?」
「感謝いたします」
カントは深く頭を下げる。それを見て、イルシオンが笑った。
「きっと、ノーチェ王女も喜ぶわ。きっと、そのイヤリングを彼女がつけたら、羽の生えた側妃様が降りてきて、平和の歌を歌うのよ」
彼女の声を聞いた瞬間、クラロとカントの脳内に、天使のような格好で歌を歌う側妃の姿が思い浮かんだ。クラロは額を押さえてため息をつく。
「イルシオン、お客さまの前だ。次期ファーブラ公、今回は貴方の甘言に乗りましたが、次はありません。いつまでもその魅了が通用するとは思わないことをお勧めしますよ」
「あくまでも、皆さんはご自分の意思でこちらの提案にご賛同いただいているだけですよ」
笑顔で交わされる言葉の応酬。冷たい風が互いの間を通る。それでも、イヤリングはクラロの手の中にあった。
「母に見つからないようにしておきます」
「感謝いたします」
カントは深く頭を下げると、そっと中庭を立ち去った。
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