EP 3
至高の塩むすびと、最強のシェアハウス
「……幻覚じゃない。食うか?」
ハジメが静かに問いかけると、ジャージ姿の美しい少女――リーザは、ビクッと肩を揺らした。
「い、いえ! アイドルたるもの、ファン以外からの施しは受けません! 私はパンの耳と茹で卵というスーパーフードで栄養管理を徹底して――きゅるるるるるるぅぅぅ!」
強がる彼女の言葉を、宇宙のビッグバンかと思うほどの凄まじい腹の虫が掻き消した。
リーザは顔を真っ赤にして、その場にへたり込む。どうやら本気で餓死寸前らしい。
(……やれやれ。いつの時代も、腹を空かせた子供を見るのは堪えるな)
ハジメは苦笑し、再び『ワークショップ』を念じた。
頭に思い描いたのは、混じり気のない純白の『天然塩』と、清らかな『水』。
ポンッという音と共に手元に現れた水で手を清め、塩を手のひらに軽くまぶす。そして、おひつから熱々のサンライスを掬い上げた。
「あっちっ……だが、この熱さがいい」
農家として、米粒を絶対に潰さない絶妙な力加減。外側はふんわりと形を保ち、内側には空気をふくませるように、優しく、素早く、三角形に握っていく。
ものの数秒で、ハジメの手の中に、湯気を立てる完璧な『塩むすび』が完成した。
「ほら、食え。金は取らん」
ハジメが差し出した真っ白な塩むすび。
リーザは震える両手でそれを受け取ると、もうアイドルの矜持も何もかも吹き飛び、大きな口を開けてガブリと噛み付いた。
「――っ!?」
瞬間、リーザのアクアブルーの瞳が見開かれた。
口の中でハラリとほどける、熱々でツヤツヤの米粒。噛めば噛むほど湧き出してくる、サンライス特有の暴力的なまでの甘みと旨味。それを、天然塩のまろやかな塩気が極限まで引き立てている。
ルナミス帝国で、公園の雑草やタローソンの廃棄弁当、パンの耳で命を繋いできた彼女の身体の隅々に、本物の『栄養』と『温もり』が染み渡っていく。
「あ、ああ……っ……」
ポロポロと、リーザの大きな瞳から大粒の涙が溢れ出した。
美味しい。ただそれだけで、人は泣けるのだ。
「美味しいです……っ、こんなに甘くて、温かいご飯……生きてて、よかったぁ……っ」
「そうか。ゆっくり食え、まだおひつにいっぱいあるぞ」
ハジメが優しく頭を撫でようとした、その時だった。
――ドゴォォォォンッ!!
突然、ハジメのすぐ横の地面が、ミサイルでも撃ち込まれたかのように爆発し、巨大なクレーターが穿たれた。
土煙の中から現れたのは、パーカー姿に特注の安全靴を履いた、兎耳の少女。
ポポロ村村長、キャルルだった。
「テメェ……!! どこぞの馬の骨か知らねぇが、ウチの可愛い可愛いリーザちゃんを泣かせてんじゃねぇぞ!!」
キャルルの目はバキバキに血走り、両手には闘気を纏ったダブルトンファーが握られている。その背後には、怒りで生み出された紫電がバチバチと弾けていた。
「ちょ、待ってキャルルちゃん! 違うの、これは嬉し泣きで――むぐっ!」
「リーザちゃんは下がってて! そこの男、その生意気な顎、粉々に砕いてやるっ!」
キャルルが地面を蹴る。
音を置き去りにするマッハの踏み込み。特注の安全靴が、必殺の『月影流 顎砕き』の軌道を描き、ハジメの顔面へと迫る。
普通なら即死の痛撃。
しかし、合気道八段のハジメの『氣』は、凪いだ水面のように微塵も揺らがなかった。
「……元気なウサギだ」
ハジメはタバコを咥えたまま、スッと半歩だけ軸足をずらした。
キャルルの必殺の膝蹴りが、ハジメの鼻先数ミリを空振りする。
「なっ……!?」
体勢が崩れ、無防備に口をポカンと開けてしまったキャルルの顔面。
そこへ、ハジメは空いた右手で握っていた**『二個目の塩むすび』**を、スポンッ、と正確無比に突っ込んだ。
「んぐっ!?」
キャルルは目を見開き、反射的に口の中の物体をモグッと咀嚼した。
「……ふぇ?」
次の瞬間、キャルルの全身から放たれていた紫電と殺気が、嘘のように霧散した。
代わりに、ピンと張り詰めていた兎耳が、ふにゃぁ〜っと力なく垂れ下がる。
「な、なにこれ……! 甘い、しょっぱい……えっ、お米が、口の中で溶けるぅ……っ♡」
トンファーが手からポロリと落ちる。
キャルルはその場にへたり込み、両手で頬を押さえながら、とろけるような笑顔で塩むすびをモグモグと味わい始めた。
「……あの、キャルルちゃん? 大丈夫?」
「リーザちゃん……これ、やばい。ポポロ村のサンライスより、ずっと美味しい……しあわせぇ……♡」
先程までのヤンデレじみた殺意はどこへやら。すっかり毒気を抜かれた二人の少女は、並んで草っぱらに座り込み、ハジメの塩むすびを夢中で頬張り始めた。
「おかわり、あるか……?」
「「はいっ!!」」
アイドルのプライドも村長の威厳もかなぐり捨て、二人は元気よく手を挙げた。
ハジメは「ふっ」と短く笑うと、胸ポケットからブックマッチを取り出し、キャスターに火をつけた。
シュッ、と小気味良い音が鳴り、甘いバニラの香りがサンライスの湯気に混じる。
深く紫煙を吐き出しながら、ハジメは異世界の青空を見上げた。
「……どうやら、悪い所じゃなさそうだな」
最強の農民による、極上のスローライフ。
その第一歩は、訳ありの少女たちの胃袋を完全に掌握するところから始まったのだった。




