第77話 現代人が、動いた。
異世界に落ちた。帰れないアラフォーパパが、異世界で戦う。
とりあえず、腹が減ったので魔物を焼いた。
面白いと思ったら、評価やブックマークをもらえると
ヨーヘイより先に作者が泣きます。
◆ 土俵を、変える
どこから手をつければいいのか。
そう思った、その裏側で、ヨーヘイの頭は、もう、走り出していた。
ヨーヘイ:(法で、殴り合っても、勝てない)
それは、はっきりしていた。相手は、薬院も、商会も、貴族の伝手も握っている。証文も、証人も、向こうが、いくらでも積み上げられる。書面の戦いになれば、ヴェルナに、勝ち目はない。解析が言ったとおり、法の上では、もう、詰んでいる。
だが、と、ヨーヘイは、エルディア王都の中央広場を、改めて、見渡した。
ヨーヘイ:(……ここは、裁きの場じゃない。見世物の、場だ)
壇の上のバルゼ卿がやっているのは、法廷の論戦ではなかった。群衆の怒りを、煽って、温めて、一点に向ける――それだけだ。彼が握っているのは、法ではなく、この広場いっぱいの、人の感情だった。仕込まれた被害者の涙も、頃合いよく上がる相槌も、全部、その感情を、転がすための燃料だった。
ならば。
ヨーヘイ:(土俵を、変えればいい。向こうが群衆の心で勝とうとしてるなら、こっちは、群衆の心を、奪い返す)
法では、ヨーヘイに、できることは、何もない。けれど、大勢の人間の気持ちを、ひと所に動かす方法を、ヨーヘイは、一つだけ、知っていた。言葉でも、理屈でもない。毎日、火の前で、やってきたことだ。
ヨーヘイは、殺気立った広場の、その片隅に、目をやった。こんな時でも、隅のほうでは、誰かの屋台の煙が、いつもと同じように、立ちのぼっていた。煙の前だけは、敵も味方もない。
背負った荷の、留め具に、手をかけた。
◆ 煙が、流れた
ヨーヘイは、人垣の縁に、魔石七輪を、据えた。
火を入れる。収納から、街道で仕留めた肉の、脂のいい部位を、取り出す。薄く塩を当て、熱した鉄板に、置いた。
じゅう、と。
脂が、爆ぜた。
その音と、立ちのぼる煙が、糾弾の熱気の中へ、すうっと、流れ込んでいった。炭の匂い。焦げる脂の、甘い匂い。それは、怒りでも、正義でもない、もっと、原始的な何かを、人の鼻の奥から、引きずり出す匂いだった。
ルカ:「ちょ、ヨーヘイ……こんなとこで……っ」
ルカが、慌てた。けれど、ヨーヘイの手は、止まらなかった。肉を返す。脂を、落とす。湯気を、立てる。
最初に、振り返ったのは、人垣のいちばん後ろの、子どもだった。母親の袖を引く。次に、その隣の男が、鼻を、動かした。バルゼ卿の声に頷いていたはずの顔が、一つ、また一つ、煙のほうへ、向いていく。
群衆の声:「……なんだ、あれ」
群衆の声:「いい匂いだな……」
壇の上で、バルゼ卿の言葉が、一拍、つかえた。手の者が上げる相槌が、間を外した。群衆の意識が、二つに、割れていた。半分は、まだ壇の上を。けれど、もう半分は、ヨーヘイの鉄板の上の、じりじりと焼ける肉を、見ていた。煽られて、固められていた怒りの輪郭が、ほどけて、ただの「腹の減った人間の群れ」に、戻りかけていた。
ヨーヘイは、確信した。作られた怒りは、本物の匂いには、勝てない。
バルゼ卿の眉が、苛立たしげに、寄った。これ以上、空気を乱される前に、と踏んだのだろう。彼は、芝居がかった声を、張り上げた。
バルゼ卿:「……今日のところは、これまでとしよう。裁定は、改めて。次は、皆の見ている前で、この女に、罪を、認めさせる」
見世物の続きを約束されて、群衆は、ざわつきながらも、ほどけはじめた。けれど、さっきまでの、一点に固められた殺気は、もう、なかった。
その、崩れた人波の隙に、ヨーヘイは、動いた。壇の脇で一人立っていたヴェルナの腕を、そっと、引く。とっ、とフィンが先に駆けて、人の足の間に、道を作った。リリアが、背後の視線を、体で遮る。
ヴェルナが、引かれながら、ヨーヘイの横顔を、見ていた。その鋭い目が、わずかに、見開かれていた。法でも、剣でもなく、煙ひとつで、自分を吊し上げていた群衆の足元を、崩した男を。
ヴェルナ:「……あんた、何を、したんだい。今の、は」
ヨーヘイ:「飯を、焼いただけです。……行きましょう。ここじゃ、話もできない」
◆ 昔のこと
ヴェルナの薬房は、王都の裏通りの、どん詰まりにあった。
ニナ:「先生……っ。先生、無事……無事だった……」
戸の内側で待っていた娘が、転がるように出てきて、ヴェルナの腰に、しがみついた。ニナだ。痩せた肩を、震わせている。ヴェルナは、その頭に、ぎこちなく手を置いた。
薬房の中は、ひどい有様だった。棚という棚に、差し押さえの貼り紙。封をされた小瓶。火を落とされた竈。乾いた薬草と、硫黄の匂いだけが、昔のままに、こもっていた。フィンは、もう、街道の夜のように、後ろを気にしてはいなかった。王都の人の海は、追っ手のあの気配さえ、今は、呑み込んでしまっている。
ヴェルナは、ひとつだけ残った椅子に、崩れるように、腰を下ろした。広場では伸ばしていた背筋が、ここでは、丸まっていた。
やがて、彼女は、ぽつりと、言った。
ヴェルナ:「……さっき、誰かが言ったろう。『昔も、薬で人を』って。あれは、嘘じゃない」
ルカが、息を、呑んだ。ヴェルナは、薬種で染まった自分の指先を、じっと、見つめていた。
ヴェルナ:「昔、私は、薬院の首席だった。造れない薬はないって、そう呼ばれてね。ある日、上の人間に、命じられたよ。眠るように、苦しまず、二度と目覚めない――そういう薬を、造れと」
彼女の声は、低く、平らだった。感情を、削ぎ落とした、平らさだった。
ヴェルナ:「私は、造った。見事なもんさ。腕を、褒められた。……何に使うかなんて、訊きもしなかった。職人は、いい薬を造れば、それでいいと、思ってた」
言葉が、そこで、一度、切れた。
ヴェルナ:「人が、死んだよ。私の薬で。眠ったまま、二度と、起きずに。それを知ったのは、ずっと、後だった。……それ以来、決めたのさ。使い道を、引き受けられない薬は、二度と造らない、ってね。今度の話も、それだけのことさ。『効きすぎて人を殺せる薬を造れ』と言われて、断った。断ったら、こうだ」
彼女は、貼り紙だらけの棚を、顎で、しゃくった。皮肉な笑みが、唇の端に浮かんで、すぐに、消えた。
ヨーヘイ:(……蓮なら、こういう人を、放っておけなかっただろうな)
ふと、リリアが、一度だけ、目を伏せた。ヴェルナの言葉の、どこかが、彼女の、いちばん深いところに触れたようだった。この国で、力を持つ者が、持たない者を、どう潰すか。それを、間近で見たことのある者の、横顔だった。ヴェルナが、ちらりと、リリアを見た。二人の視線が、一度だけ交わって、すぐに、離れた。互いに、それ以上は訊かない。そういう、静かな間合いだった。
とっ、と。フィンが、ヴェルナの膝に、ことりと、頭を乗せた。
フィン:「キュルル……」
低く、一度だけ。慰めるような、声だった。ヴェルナの、強張っていた手が、その小さな頭を、ぎこちなく、撫でた。撫で方を、忘れた人の、手つきだった。
◆ 崩せる一点
ヨーヘイ:「ヴェルナさん。一つ、訊かせてください」
ヨーヘイは、膝を、彼女のほうへ、向けた。
ヨーヘイ:「あの、泣いてた男。女房が、あなたの薬で死んだ、と言ってました。眠るように、なんて言い方じゃ、なかった。苦しんで、もがいて、血を吐いて、死んだ、と」
ヴェルナ:「……ああ。そう、言ってたね」
ヨーヘイ:「あなたが造る薬で、その死に方を、するんですか」
ヴェルナの、眉が、ぴくり、と動いた。
ヴェルナ:「……しないよ。私の薬は、そんな雑な殺し方は、しない。血を吐いて、もがいて――それは、薬の死に方じゃない。安い毒か、傷んだ物を食ったときの、死に方さ」
ヨーヘイ:「解析さん」
解析:「……照合します。男の語った症状――嘔吐、痙攣、吐血、急な発症。……ヴェルナさんの調合し得る薬物の作用とは、一致しません。むしろ、市井に出回る安価な毒物、あるいは食中毒の経過に、近いです」
解析の声が、そこで、ほんの少し、間を置いた。
解析:「……念のため、申し添えますが。私は本来、こういう使われ方をする道具では、ないのですが」
ルカ:「文句言いながら、ちゃんと働くやんか」
ヴェルナが、ゆっくりと、顔を、上げた。さっきまでの、消耗しきった目とは、違っていた。奥の光が、戻っていた。
ヴェルナ:「……なるほどね。あんた、面白いことを、考える。私は、自分が造らなかった薬のことばかり、弁解しようとしてた。でも、あんたは、逆を見たんだ。『あの男が言ってる死に方は、そもそも、私の薬じゃない』ってね。症状ってのは、嘘がつけない。薬には薬の、毒には毒の、決まった効き方がある。あの男の女房が本当に死んだんだとしたら、その死に方は、私の処方じゃ、絶対に出ない」
彼女は、隈の濃い目で、まっすぐに、ヨーヘイを、見た。
ヴェルナ:「……あんた、さっき、広場で、煙ひとつで、あの群衆の怒りを、ほどいたね。火と素材で、人の心を、動かした。……私は、配合で、人の体を生かす。あんたは、火で、人の腹を満たす。やり方が違うだけで――あんた、私と、同じ側の人間だ」
ヨーヘイは、少し、驚いた。料理を、そんなふうに、言い当てられたのは、初めてだった。
知識と、観察。彼女の天才と、ヨーヘイの目が、一つの答えの、両側から、噛み合った。あの男の訴えは、症状からして、ヴェルナの薬では、起こり得ない。法では崩せなくても、これは、動かせない事実だ。仕込まれた嘘には、ほころびが、ある。そして、群衆の心は、煙ひとつで、裏返せる。バルゼ卿が、いちばん強いと思っている、あの広場で。
ヨーヘイ:(……二つ、揃った。崩せる一点と、それを、皆の前に、突きつける場所が)
◆ やります
けれど、と、ヨーヘイは、思い直した。
糸口を、握っただけだ。次の裁定の場は、向こうの作った、向こうの舞台だ。そこへ、こちらから、踏み込んで、大勢の見ている前で、あの男の嘘を、白状させる。仕組んだ側が、それを、黙って見過ごすはずがない。うまく転がるかどうかは、半分。下手をすれば、ヴェルナごと、こちらが、潰される。
それでも。
ヨーヘイは、顔を、上げた。
ヨーヘイ:「……分かりました。やります」
ルカ:「え、ほんまに?」
ルカが、目を丸くした。さっきまでの、怯えた声とは、違った。何か、握った男の、声だと、分かったのだ。
リリア:「…………」
リリアが、静かに、頷いた。
解析:「……勝算は?」
ヨーヘイ:(五分五分です)
解析:「……そうですね」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【第77話 リザルト&ステータス】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▼ ヨーヘイのステータス(本話終了時点)
Lv:31(戦闘なし・据え置き) HP:504/504 MP:244/244
スキル熟練度(本話で動いたものだけ記載):
・変動なし(対峙・策の回。広場の一皿は手慣れた手順での調理。戦闘・解体・新しい料理の発見はなし)
▼ 本話の収支
・収入:なし(広場の一皿は、群衆の気を逸らすために焼いたもの=売り物にせず振る舞い)
・支出:なし(同日の続き=宿の追加なし)
・本話終了時手持ち:16,001枚(銅貨)
▼ 収納アイテム(前話からの変動分のみ)
・街道で仕留めた肉の一部を、広場での一皿に使用(残りの各部位・羊毛・C魔石・装甲・各換金待ちの品は継続保持)
▼ 本話の出来事
・中央広場の窮地から、ヨーヘイは「法では勝てない。なら土俵を変える」と動く。広場は裁きの場でなく見世物=世論の場で、バルゼ卿は群衆の感情を握って勝とうとしていると見抜く
・ヨーヘイが人垣の縁で魔石七輪に火を入れ、肉を焼く。炭と脂の匂いが糾弾の熱気に流れ込み、煽られた怒りがほどけて「腹の減った群れ」に戻りかける=作られた怒りは本物の匂いに勝てない
・バルゼ卿が空気の乱れを嫌い「裁定は改めて・皆の前で罪を認めさせる」と散会を宣言。崩れた人波の隙にヴェルナを連れ出す
・ヴェルナが過去を開示。かつて薬院首席として命じられ「眠るように苦しまず二度と目覚めない」薬を造り、それが人を殺すのに使われた。以来「使い道を引き受けられない薬は造らない」と誓った=今の訴訟(断った逆恨み)の根
・リリアが一度だけ目を伏せ、ヴェルナと視線を交わす=力を持つ者の手口を知る者同士の静かな間合い。フィンがヴェルナの膝に頭を預け、ヴェルナがぎこちなく撫でる
・ヨーヘイが現代人の発想で動く。「男の言う死に方(吐血・痙攣・急な発症)は、あなたの薬で起こるのか」と問う→ヴェルナ「私の薬はそんな雑な殺し方はしない。安い毒か食あたりの死に方だ」
・解析が男の語った症状を照合→「ヴェルナの薬物の作用とは一致しない。安価な毒物か食中毒の経過に近い」=被害者の訴えに崩せるほころびがあると判明
・ヴェルナがヨーヘイを“同類”と認める=「広場で煙ひとつで群衆の怒りをほどいた。火で人の腹を満たすあんたは、配合で体を生かす私と同じ側だ」
・末尾:嘘を公開の場で白状させる賭けに出ると決断。ヨーヘイ「やります」→ルカ「え、ほんまに?」→リリアが頷く→解析「勝算は?」→ヨーヘイ(五分五分です)→解析「そうですね」
▼ ヨーヘイの考察
解析さん、記録します。
広場で、肉を焼きました。あんな場所で、と、自分でも思います。でも、あれが、おれにできる、たった一つのことでした。バルゼ卿は、群衆の怒りで、勝とうとしていた。なら、その群衆の気持ちを、こっちに引き戻せばいい。法では勝てなくても、煙と匂いでなら、あの空気は、崩せる。崩れました。……作られた怒りは、本物の飯の匂いには、勝てないんです。
ヴェルナさんの、昔の話も、聞きました。完璧な薬を造らされて、それで人が死んで。だから、使い道を引き受けられない薬は造らない、と決めた人です。今度のことも、その誓いを曲げなかったから、こうなっている。一人で、全部、背負おうとする人です。放っておけるわけが、ない。
それから、崩せる一点が、見つかりました。あの泣いていた男の言う死に方は、症状からして、ヴェルナさんの薬では、起こり得ない。これは、動かせない事実です。
次は、向こうの舞台に、こっちから踏み込みます。皆の前で、あの男に、嘘を白状させる。勝てるかは、五分五分です。それでも、やります。記録、お願いします。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
感想・評価・ブックマーク、どれでも嬉しいです。
星ひとつでも、ヨーヘイの飯がうまくなります。
また次話でお会いしましょう。




