第70話 ギルダが、泣いた。
異世界に落ちた。帰れないアラフォーパパが、異世界で戦う。
とりあえず、腹が減ったので魔物を焼いた。
面白いと思ったら、評価やブックマークをもらえると
ヨーヘイより先に作者が泣きます。
◆ 夜明け前の槌の音
夜が明けきる前から、村外れで槌の音が鳴っていた。
かん、かん、と。昨日よりも、ずいぶん早い時刻だった。ヨーヘイは宿の前で荷を積む手を止めて、音のする方を一度だけ見た。あの石造りの工房の戸は、まだ閉じたままだろう。昨夜、あの戸の向こうへ消えていった「もういい」の続きは、結局、聞けなかった。代わりに、夜明け前の鉄を打つ音だけが、こうして返ってくる。
ヨーヘイ内心:(言いそびれた言葉は、音になるんだな。……蓮。おれのぶんは、土産話に利子つけて返すから、もうちょっとだけ待っていろ)
カゼが、荷台を引いて、ゆっくりと歩き出した。留め具の効いた荷台は、暗い石畳の上でも、軽く鳴る。荷台の上では、ルカがまだ半分眠った顔で膝を抱えていた。リリアが、その肩に薄い毛布を掛け直す。フィンは幌の上で、進む方角へ鼻先を向けて、しゃんと座っていた。
ヨーヘイ:(解析さん。ベルネまでは、どのくらいですか)
解析:「……半日です。西の街道を、そのまま下ります」
槌の音は、街道の角を曲がるまで、背中に聞こえていた。ヨーヘイは、振り返らなかった。
◆ 武具商通り
昼前に、ベルネの門をくぐった。
武具商通りは、相変わらず金物の匂いと、鞴の風の音で満ちていた。その通りのいちばん奥、ひときわ小さくて目立たない工房の戸を、ヨーヘイは押した。
顔より大きなメガネが、すぐにこちらを向いた。
ギルダ:「あ、いらっしゃ——あ! 七輪の人! 久しぶり、っていうか、え、その中剣まだ使ってる? ちょっと見せて、刃、どうなってるか気になる——研ぎ、誰に出した? まさか自分で? 自分でやったなら筋を見たいんだけど」
言葉が、止まらない。ヨーヘイが口を挟む隙もなく、ギルダは作業台から身を乗り出してくる。
ヨーヘイ:「ギルダさん」
ギルダ:「うん、何、どれから話す?」
ヨーヘイ:「……ダマスさんの、ことです」
名前を出した途端、ギルダの動きが、止まった。
メガネの奥の目が、こちらを見ている。乗り出していた身体が、ゆっくりと、作業台の上へ戻っていく。
ギルダ:「……師匠の、こと」
ヨーヘイ:「はい」
◆ 工房
ヨーヘイは、順を追って話した。
鉱山で、騒ぎがあったこと。その底まで降りたこと。誰にも開けられなかった岩の奥に、人がいたこと。それが、数年前に山へ消えたきりだった、ダマスその人だったこと。
ギルダは、いつもの早口を一度も挟まずに、聞いていた。作業台に両手をついて、身じろぎもせず、ただメガネの奥でヨーヘイの口元を見ている。話が鉱山の底へ近づくほど、台についた指の関節が、白くなっていくのが分かった。
ヨーヘイ:「生きておられました。鉱山の底の、水の湧く場所で。岩鳥を狩って、湧き水で、ずっと。……いまは、ふもとの街の宿で、体を戻しています」
ギルダは、何も言わなかった。メガネの奥で、目を見開いたまま、瞬きもしない。
ヨーヘイ:「体が戻ったら、自分の工房に帰って、炉に火を入れ直す、と。……それと、これを」
懐の布包みから、残りの一通を取り出す。両手で差し出すと、ギルダはそれを受け取って——封を切ろうとして、指が震えて、切れなかった。
鋼を相手にすれば、髪の毛一本の狂いもないはずの指だった。その指が、紙一枚を、開けられずにいる。
リリアが、黙って手を添えた。封の端を、そっと押さえる。
ギルダは、読み始めた。一行目で、もう、目のふちが光っていた。読み進むにつれて、肩が小さく揺れる。メガネが、内側から白く曇っていく。
ギルダ:「……師匠! 生きてた! よかった! ……っ、あとで、絶対、怒るから!」
手紙を握ったまま、その場にしゃがみ込んだ。曇ったメガネを外して、袖でぐいと拭って、また掛けて、それでもまた曇る。
ルカが、何か言いかけて——やめた。この通りで初めてこの鍛冶師に会った日、ずり落ちたメガネの下の素顔を見て大騒ぎした口が、今日は、静かに閉じていた。
しゃがみ込んだギルダの膝に、フィンが、そっとあごを載せた。ギルダは泣きながら、片手をフィンの頭に置いて、そのまま、しばらく動かなかった。
フィンは、鳴かなかった。あごの重みと、体の熱だけを、泣いている人の膝に預けていた。ヨーヘイは、その光景を黙って見ていた。昨夜、戸の向こうで黙り込んだ太い背中を、思い出していた。言葉にしなかった兄と、言葉が溢れて止まらない妹。同じ師匠の、同じ報せだった。それが、こうも違う形で出てくる。
手紙の中身を、ギルダは一行だけ、声に出した。
ギルダ:「……『来るな、仕事をしろ』だって。……ひどくない? 数年ぶりに生きてるって分かって、弟子に宛てた最初の一行が、それ。……ひどい。ひどいんだけど……さ……」
あとは、続かなかった。
ヨーヘイは、あの宿の卓を思い出していた。鋼の前なら迷わないはずの手が、紙の上では何度も止まっていた。書き損じは一枚もなく、丸めかけた紙さえ、最後には皺を伸ばして書き上げていた。あの不器用な一通が、いま、こうして読まれている。届けた甲斐は、あった。
◆ 炉の脇
ひとしきり泣いて、ギルダはようやく顔を上げた。目も、鼻のあたりも、赤い。
ギルダ:「……で、ドンネには? もう行ったの、先に」
ヨーヘイ:「はい。ファスト村に寄って、先に一通、渡してきました」
ギルダ:「ドンネ、なんて言った」
ヨーヘイ:「……もういい、と」
ギルダは、少しのあいだ黙って、それから、ふ、と笑った。笑って、また少し、泣いた。
ギルダ:「…………らしいなあ。あいつ、ほんと、そういうとこ」
兄弟子のことを話すギルダの声は、泣いたあとなのに、どこか柔らかかった。十年口を利かない兄と、十年口の止まらない妹。炉の前で年中ぶつかっていたのだと、いつか聞いた覚えがある。その片割れが、いま、ヨーヘイの目の前で、笑いながら洟をすすっている。
ヨーヘイは、鉱山で持ち帰ったものの話をした。岩のいちばん奥から覗いていた、見たことのない鉱石。それをドンネに見せたら、預かると言われたこと。
ギルダ:「え、鉱石? どんなやつ。色は、重さは——あ、ちょっと待って」
ぶつぶつと、小声が始まる。「……奥のいちばん深いとこで出たってことは……ドンネがその場で手元に置いたなら……」周りには丸聞こえだが、本人は気づいていない。やがて顔を上げて、結論から言った。
ギルダ:「——その手の素材はね、打ち手を選ぶの。武器って、使い手と一緒に育つから。いま無理に打ったら、たぶん、刃のほうに振り回される。ドンネが預かるって言ったなら、それで正解。あいつ、口は重いけど、目だけは確かだから」
ヨーヘイ内心:(……三人目だ)
誰が一人目で、二人目だったか、は、言わなかった。
ギルダの目が、ヨーヘイの左腰の中剣に留まる。この工房で買った、自分の作った一本だった。
ギルダ:「……うちの子、いい旅してるねえ」
その一本は、旅の初めに、安く譲り受けた中剣だった。大したことない、と本人が言って手放した品が、鉱山の底まで付き合って、刃こぼれの痕をいくつか残して帰ってきた。ヨーヘイは、鞘の上から、そっと柄を押さえた。
それだけ言って、ギルダはまた作業台の布で、鼻のあたりを拭った。
夕方になる前に、リリアが一度、工房を出た。並びの武具商組合に、用があるという。戻ってきたリリアは、ヨーヘイの目を見て、短く首を振った。
リリア:「……まだ、です」
ヨーヘイ:「そうですか」
それ以上は、聞かなかった。問いを置いた先が、まだ動いていないだけだ。
◆ 炉端
日が落ちると、ギルダは、工房の炉に残った熱を使えと言った。ヨーヘイは、その脇に七輪を据えた。
網に並べたのは、砂肝の串だ。鉱山の鳥の砂袋を、中の石を出して洗い、串に刺したもの。串の大きさを揃え、火はやや強めに、塩は薄く。泣いて、味なんてもう分からない口にも、これなら届く。噛めば、歯と耳に、こりこりと返ってくるから。
炭に脂が落ちて、ちりっと小さく爆ぜる。砂肝の表面が乾いて、縁がきゅっと締まっていく。鉱山の鳥の、鉄気をかすかに含んだ匂いが、鍛冶場の鉄の匂いと、不思議とよく馴染んだ。
ヨーヘイ内心:(泣いている客に出す一皿というのも、店には要るんだろうな)
ギルダは、泣き腫らした目で、一串をかじった。
ギルダ:「……味、わかんない」
言いながら、もう一本、手が伸びる。無言で串を取って、口に運ぶ。
ルカ:「食うんかい」
ギルダは、口に入れたまま、また少し、泣いた。こりこりと、噛む音だけが、律儀に鳴っていた。
ヨーヘイは、新しい串を網に足した。火加減を見て、塩をひとつまみ。泣いている人の前で手を動かしていると、自分のやることが、ひとつに絞られていく。焼く。食わせる。それだけでよかった。
ルカが、自分の串を取りながら、ふと言った。
ルカ:「うちな、王都に行くねん。……薬を作れる人が、おるらしくて。うちの病に、効くかもしれんのや」
ギルダの手が、止まった。
ギルダ:「……王都の、調合師」
ルカ:「知ってんの?」
ギルダ:「……知ってる。変わった人だけど、腕は本物。それだけは、保証する」
どこで知ったのか、とは言わせない間があった。ギルダは串の脂を指で拭って、ひとことだけ足した。
ギルダ:「職人は、耳が早いから」
炉の残り火が、ぱちりと、小さく爆ぜた。
ヨーヘイは、仲間の顔を、順に見た。リリアの目が、頷きを返す。ルカが、息をひとつ吸った。
ヨーヘイ:「……王都へ、行きます」
リリア:「……はい」
ルカ:「行ったことないけど……行くで」
フィンが、火のそばで「キュウッ!」と鳴いて、すっくと立ち上がった。
解析:「……王都までの行程の、記録を始めます」
立ち上がりかけた一行を、ギルダが、火の方を見たまま、呼び止めた。
ギルダ:「……ねえ。あの人に会うなら、最初のひと言だけは、間違えないで」
ヨーヘイ:「最初の、ひと言?」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【第70話 リザルト&ステータス】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▼ ヨーヘイのステータス(本話終了時点)
Lv:31(本話は戦闘なし・据え置き) HP:504/504 MP:244/244
スキル熟練度(本話で動いたものだけ記載):
・変動なし(《料理》Lv2 95/100据え置き/夕餉は手持ちの食材の焼きのため変動なし)
▼ 本話の収支
・収入:なし
・支出:
- ベルネの宿(並・銅貨30枚/泊×3人×1泊):銅貨90枚
- 支出合計:銅貨90枚
・本話終了時手持ち:16,391枚(銅貨)=前話16,481枚−90枚(≒¥163.9万)
▼ 収納アイテム(前話からの変動分のみ)
・渡した:ダマスの手紙(ギルダ宛)→ギルダへ。預かっていた手紙は、これですべて届け終えた
・消費:イワドリの砂袋(砂肝・夕餉の串に一部)
・残:イワキバのロース塊(残)/岩牙の大牙・厚皮(換金待ち)/オーク各部位(残)/粗皮・粗末な武器(換金待ち)/イワクイのC魔石(大)・装甲(換金待ち)/セーフゾーンの実
・変動なし:上記以外の持ち物
▼ 本話の出来事
・夜明け前のファスト村を発ち、西の街道を半日。ベルネに到着
・武具商通りの奥、ギルダの工房へ。ギルダは最初、中剣の刃に食いつくが、「ダマスさんのことです」で動きを止める
・ダマスの生存(鉱山の底で数年・いまはふもとの街で養生・体が戻ったら自分の工房に火を入れ直しに帰る)を報告し、ギルダ宛の手紙を渡す
・ギルダは封を切る指が震え、リリアが手を添える。読みながら泣き、「師匠! 生きてた! よかった! ……あとで、絶対、怒るから!」。手紙の一行「来るな、仕事をしろ」を声に出す。フィンが膝にあごを載せる
・ドンネへの報告のこと(「……もういい」)をギルダに伝える→ギルダ「……らしいなあ」と笑って、また泣く
・レア鉱石をドンネが預かった件を話す→ギルダ「その手の素材は打ち手を選ぶ。武器は使い手と一緒に育つ。ドンネが預かったなら正解」。自作の中剣を見て「うちの子、いい旅してるねえ」
・リリアが並びの武具商組合に立ち寄り、戻って「……まだ、です」
・炉端で夕餉(砂肝の串)。泣き腫らしたギルダ「……味、わかんない」と言いながら無言のおかわり。ルカ「食うんかい」
・ルカが王都行きの理由(薬を作れる人がいるらしい)を話す→ギルダ「王都の調合師……知ってる。変わった人だけど、腕は本物」「職人は、耳が早いから」
・末尾=王都行きの合意。ヨーヘイ「王都へ、行きます」→リリア「……はい」→ルカ「行ったことないけど、行くで」→フィン「キュウッ!」。立ち上がりかけた一行に、ギルダ「あの人に会うなら、最初のひと言だけは、間違えないで」→「最初の、ひと言?」
▼ ヨーヘイの考察
解析さん、記録します。
届け物の二通目を、渡してきました。ギルダさんは、黙りませんでした。泣いて、叫んで、怒って、笑って、また泣いて。ドンネさんが一言も口にしなかったものを、ギルダさんは全部、声に出していました。同じ報せが、人によって、こうも違う音を立てるんですね。どちらが本当の喜び、ということでもないんでしょう。
手紙の最初の一行が「来るな、仕事をしろ」だったそうです。ひどい、とギルダさんは怒っていましたが、あれは、喜んでいる顔でした。あの師匠の言葉は、いつも裏返っています。裏返しを正しく読める弟子が、二人もいる。いい炉で、育ったんやと思います。
鉱石は、ドンネさんが預かりました。打ち手を選ぶ素材だと、ギルダさんも言いました。ドンネさんと、同じことを。……まだ、急ぐな、ということなんでしょう。私には、その早さの意味が、少しずつ分かりかけています。
泣いている人に、砂肝を焼きました。味は分からん、と言われましたが、手は止まっていませんでした。噛む音だけは、ちゃんと届いていたようです。ああいう一皿も、店には要るんやと思います。味で食わせられん日にも、出せるものを、私は持っておきたい。
王都へ向かいます。ルカの薬を作れる人が、いるそうです。変わった人だ、とギルダさんも言っていました。会うときの、最初のひと言を、間違えるな、とも。……何を言えばいいのかは、教えてくれませんでした。記録、お願いします。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
感想・評価・ブックマーク、どれでも嬉しいです。
星ひとつでも、ヨーヘイの飯がうまくなります。
また次話でお会いしましょう。




