第43話 Lv20、到達
◆ ウラベダン・3層(朝)
3層の空気は2層より重い。岩盤の圧力か、それとも何かの体臭が染み込んでいるのか、どちらかは分からないが、口の中に少し鉄っぽいものが残る。舌の奥で、石の匂いが溶けている。
今日で何度目になるか。もう数えていない。
フィン:「キュッ」
フィンが前を行く。よく覚えている道を迷わず進む。鼻がよく利く。何かいる方向に行かないし、何もいない通路を無駄に曲がらない。ヨーヘイが下した判断の9割は、実際にはフィンの鼻から来ていた。
ヨーヘイ:「解析さん」
解析の声:「前方30メートル、ガルドモグラが2体。東の通路にドウクモグラが1体。どちらも動いていません」
ヨーヘイ:「ガルドから取ります」
解析の声:「了解です」
「了解です」と言った。そのまま次の情報を出してくる。前は一言ひとこと全部「業務の範囲内です」に包んでいた。いつからかは分からないが、変わった。解析さんが変わったのか、こちらが変わったのか。
ヨーヘイ:(どちらでもいいか)
考えながら動くのが上手くなった。足の置き方が変わった。短剣の引き出し方が、静かになった。いつからかは分からない。気づいたらそうなっていた。
ガルドモグラの2体が音を聞いて振り返る直前に、ヨーヘイは左から入った。
1体目。背後から。刃が滑らかに入った。
2体目がこちらを向く前に、リリアの杖が横に振れた。風が鋭く抜けた。
2体目の動きが一瞬止まった。その一瞬で、もう終わっていた。
ドウクモグラを倒して収納に仕舞う。無駄のない動作になった。解体しながら次の経路を考えていられるようになった。3層に入り始めた頃は倒した後に膝をついていた。その頃とは何かが違う。体か、頭か、あるいはその両方が、気づかない間に動いていたのかもしれない。
解析が短く読み上げた。
解析の声:「Lv16」
ヨーヘイ:(まだ4つある)
収納に肉を入れた。フィンが鼻を上に向けた。食欲の方向ではなく、先の通路の方向だ。何かいる。
ヨーヘイ:「行きます」
フィン:「キュッ」
◆ ウラベダン・3層(昼)
一度だけ岩の陰で水を飲んだ。行動食を出す。収納から取り出した時に、Dグレードの肉の匂いが少し漏れた。フィンの耳が食欲の方向へ傾いた。
ヨーヘイ:「それはまだだ」
フィン:「キューン」
分かってる、とでも言うように、すぐ前を向いた。
リリア:「……疲れていますか?」
ヨーヘイ:「疲れてます。でも行きます」
リリアが少し目を細めた。答えを待っていたわけじゃなさそうだ。答えが分かった上で聞いた顔だ。
リリア:「……私も、行けます」
ヨーヘイ:(知ってます)
リリアが3層に入ってから変わった。倒し方じゃなく、構え方が違う。石床への足の置き方。岩陰に体を預ける角度。ヨーヘイが教えたわけじゃない。自分で気づいて、自分で変えた。
解析の声:「前方40メートル、ガルドモグラ3体の群れ。洞穴の壁際に寄っています」
ヨーヘイ:(3体、か)
ちらりとリリアを見た。リリアが頷いた。決めていた。
ヨーヘイが先に入った。1体目をこちらに引きつける。2体目がリリアの方へ向かった。3体目が正面から来た。
後ろでリリアの呼吸が、変わった。
光が来た。
指先から腕の方向へ、滲むのではなく流れるように。1秒より少し長い。ガルドモグラの2体目の足が止まった。止まった、ではなく——固まった。
リリア:「……出ました」
声が小さかった。自分でも驚いていた。ヨーヘイが最後の3体目を仕留めながら振り返ると、リリアが右手を見ていた。
リリア:「……今日は、怖くなかったです」
ヨーヘイ:「見えてました」
リリア:「……見ていたんですか」
ヨーヘイ:「見てました」
リリアが少し下を向いた。耳まで赤い。フィンがリリアの足元を一周して、「キュッ」と鳴いた。
解析の声:「Lv18」
ヨーヘイ:(あと2つだ)
解析の声:「……ヨーヘイさん。今日の消費量が、通常の戦闘時と比較して、少し、変わっています」
ヨーヘイ:「上がってるんですか、下がってるんですか」
解析の声:「……業務の範囲内です」
ヨーヘイ:(また誤魔化した)
◆ ウラベダン・3層の奥
3層の奥は、壁の色が変わる。岩の種類が違うのか、灰色から少し茶色がかった岩盤になる。ここまで入ったのは、今日が初めてだった。
ヨーヘイ:(こんな場所があったのか。毎日来ていたのに)
Gランクのボスクラスが1体いる。解析が「このエリアで最も大きい個体」と言った個体だ。
解析の声:「……2体います。今日は、2体います」
ヨーヘイ:(2体)
解析の声:「どちらもGランク。ただし——体格が通常個体より1.4倍あります」
フィン:「キュウッ!」
フィンが一歩前に出た。しっぽが太い。
ヨーヘイ:(やる気満々だ)
リリアを見た。リリアが頷いた。
動いた。
1体目に向かって正面から入った。囮だ。2体目の注意がヨーヘイに向く前に、フィンが側面に飛んだ。小さな体が正確に急所に当たった。フィンはでかい獣を倒す時に怖がらない。なぜか分からないが、怖がらない。
1体目の動きが乱れた。ヨーヘイが入る隙間が生まれた。
後ろでリリアの声がした。
リリア:「……行きます」
光が来た。今度は1秒を超えた。壁に反射して通路が白くなった。1体目がそちらに向いた。
その向いた、一瞬。
ヨーヘイの刃が入った。
フィンが2体目を仕留めた音が聞こえた。
静かになった。
解析の声:「Lv……20」
一瞬、止まった。数字が飛んでいた。
解析の声:「……お疲れ様でした」
ヨーヘイ:(こいつ、Lv20で「お疲れ様」を言った)
ヨーヘイ:「業務じゃないじゃないですか」
解析の声:「……」
無言だった。「業務の範囲内です」と言い直さない。反論もない。ただ、黙っている。
ヨーヘイ:(言い返せなかった。初めて、言い返せなかった。これは勝ちだ)
笑いそうになった。でも笑えなかった。
3層の奥が、静かすぎた。音が消えた後の静けさじゃない——もともとここにあった静けさだ。解析が黙っている。フィンも動かない。リリアも何も言わない。ヨーヘイも何も言わない。
「気がする」じゃない、と思った。何かが変わっている。
そう思った瞬間だった。
何かが来た。
解析の声とは、まったく違う何かだ。解析の声は鼓膜を通る。声として来て、言葉として届く。でもこれは違った。音ではなかった。胸の中央より深い場所で——何かが、ひらいた。
岩盤が、別の重さになった。3層の重い空気が、ほんの一瞬だけ違う温度を持つ。フィンが顔を上げた。リリアの呼吸が止まった。二人とも、同じものを感じている。
女神の声:「……繋がりました」
たった4文字だった。
でもその4文字が来た場所が、解析とは違った。もっと奥だ。もっと根元に近い場所だ。この世界に来た日から、ずっとそこにあって、ずっと閉じていた何かが——今、開いた。
ヨーヘイ:(帰れる)
息を吸った。吐いた。もう一度吸った。それだけで精いっぱいだった。
膝が動かなかった。足が動かなかった。立ったまま、動けなかった。
ヨーヘイ:(帰れるのか、俺は)
3層の岩壁を見た。灰色がかった茶色の壁だ。この壁を、蓮は見たことがない。美咲も結衣も知らない場所だ。こんな場所にいたとは言えないし、言えるわけもない。それでも、帰れる。
ヨーヘイ:(蓮。帰れるぞ)
声に出さなかった。
もうずっと前から、声に出したことはない。出したら届く距離にいる気がしてしまう。それは違う。だから出さなかった。
出したら、嘘になる。
まだ帰っていない。まだここにいる。帰れると分かっただけで、まだ帰っていない。声にするのは、帰った時だ。
ヨーヘイ:(待ってろよ)
それだけだった。それだけで十分だった。
フィンがヨーヘイの足元に来た。体を押しつけてくる。「キューン」と鳴く。食欲でも怖さでもない声だ。
ヨーヘイは一度だけフィンの頭に手を置いた。
解析の声:「……動いています。ベルネにいます」
ヨーヘイ:(帰れる。でも、まだだ)
それだけだった。
岩壁の一点に、フィンの耳が向いた。食欲でも敵の気配でもない。体が低くなった。判断している顔だ。
フィン:「キューン」
すぐに耳が戻った。腹の減る方向を向き直した。
ヨーヘイ:(お前にも聞こえたのか)
リリア:「……ヨーヘイさん」
ヨーヘイ:「帰りましょう」
リリア:「……はい」
リリアが、少し笑った。
◆ 宿・夜
フィンが先に眠った。
収納の中身を確認してから、リザルトを付けた。Lv20の数字を書く時に、少しだけ手が止まった。
ヨーヘイ:(こんな数字になったか)
窓の外が暗かった。ベルネの夜は静かだ。ウラベダンの岩の匂いが服に残っている。Lv20になっても服の汚れは落ちない。部屋の卓に座ってリザルトを書いていると、外で誰かが水を運ぶ音がした。ベルネの夜は遅くまで動いている人がいる。ここに来た最初の夜に、同じ音を聞いた。あの頃は何をしていたか、もう覚えていない。ただ、まだいた。
解析に問いかけた。声に出さなかった。
ヨーヘイ:(タレを、蓮に食わせると言った。まだそれをしていない)
ヨーヘイ:(ガロンが言っていた。また来い、と)
解析の声:「……」
何も言わなかった。
ヨーヘイ:(そろそろ動く、か)
灯りを落とした。暗くなると、3層の冷気がまだ服に残っていた。鼻の奥に、岩の匂いがある。明日、ガロンに会いに行く。そう決めた。理由は言葉にしなかった。
◆ 宿・翌朝
目が覚めると荷物がすでに整えられていた。
リリアの荷物だけじゃなく、ヨーヘイの荷物の横にも、ポーションが1本補充されていた。昨夜自分で確認した時にはなかった。
ヨーヘイ:「……リリさん」
リリア:「昨日、換金前の素材があったので。ギルドに寄ってから、外を見ていました」
ヨーヘイ:「朝から?」
リリア:「……少し、早く起きました」
ヨーヘイ:「ベルネですか」
リリア:「……はい」
それ以上言わなかった。ヨーヘイも聞かなかった。
リリアが向いた方角を、ヨーヘイは一瞬だけ確認した。村の東の方向だ。
市場を抜けた先に、何がある。
思い出した。ベルネに来て最初の頃、リリアが「盾を扱う店が見えました」と言いかけて止まった日のことだ。「いえ。何でもないです」と言って、それ以上言わなかった。ヨーヘイも聞かなかった。聞けなかった。
今朝のリリアも、そうだった。一人で起きて、荷物を整えて、東を向いていた。
ヨーヘイ:(……そっちか)
それが何を意味するかは、リリアが決めることだ。聞かなかった。聞く必要がなかった。言いかけてやめたあの日と、一人で向いた今朝の方向が、同じ場所を指していた。それだけで十分だった。
フィン:「キュッ」
朝ごはんを要求していた。
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【第43話 リザルト&ステータス】
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▼ ヨーヘイのステータス(本話終了時点)
Lv:20 HP:350/350 MP:165/165
スキル熟練度(本話で動いたもの):
・《解体》Lv2 44/100(+9・Gランク大型2体)
・《料理》Lv2 52/100(変動なし)
・《瞬歩》Lv1 73/100(+15・3層連続戦闘)
・《解析》Lv2 全機能解放済み(変動なし)
▼ 本話の収支
・収入:Gランク素材(大型2体分)→換金予定
・支出:なし
・本話終了時手持ち:1,033枚(変動なし・換金は44話以降)
▼ 収納アイテム(変動分)
・Gランク大型個体(2体)素材:収納保管中
・行動食(Dグレードカイノミ残量):消費済み
▼ 本話の出来事
・3層連続戦闘:Lv16→17→18→20(ジャンプ上昇)
・リリア:戦闘中に光が1秒を超えて持続。「今日は怖くなかった」と自分でも驚いていた。
・Lv20到達。解析「……お疲れ様でした」→「業務じゃないじゃないですか」→解析が「業務の範囲内です」と言い返せなかった。
・往復解放:女神の声「……繋がりました」。ヨーヘイ内心「帰れる。でも、まだだ」
・解析「動いています。ベルネにいます」
・フィンが3層の奥で未知の気配に一点を向いた。すぐ食欲の方向に戻った。
・「(ガロンが言っていた。また来い、と)」ヨーヘイ内心。
・翌朝:リリアが早起きして外を見ていた。向いた方角は村の東だった。
・フィンが朝ごはんを要求して締め。
▼ ヨーヘイの考察
解析さん、記録します。
3層で連続して戦闘しました。Lv20になりました。
Lv20の時、解析さんが「お疲れ様でした」と言いました。業務の範囲内ではないと思います。でも反論もしてこなかったので、業務だったのかもしれません。よく分かりません。
帰れる方法が分かりました。まだ帰りません。やると言ったことがあります。まだやっていないことがあります。
リリアさんが、翌朝に外を見ていました。方向が分かりました。何も聞きませんでした。
また来ます。




