第40話 どこから来るか、分かった
◆ 朝・ファスト村・宿
図が、できた。
リリアが線を1本引いた瞬間に、それが決まった。ヨーヘイが昨夜から3度試みて、3度消した跡の上に、正確な1本が入った。手が慣れている動きだった。
リリア:「……これでいいですか」
ヨーヘイ:「完璧です」
完璧、という言葉が出てから、少し照れた。完璧ではないかもしれない。でも、昨夜の3回よりずっと正確だった。
リリア:「……形が先に見える人から聞いた方が、早いです。写す方は、形を知るだけでいい」
ヨーヘイ:(俺が3回消した跡の上に、1本で引いた)
フィンが紙の端に鼻を近づけた。
ヨーヘイ:「駄目だ」
フィン:「キュッ」
了解なのか不満なのか、いつもと同じ判断がつかない返事だった。
リリアが図を丸めながら言った。
リリア:「……子供の頃、家の図面を写す手伝いをよくしていました。父が何か作るたびに、横に座って線を引いていました。久しぶりです」
短く言って、それで終わった。リリアは「それ以上は話さない」という顔をしていた。ヨーヘイも聞かなかった。
ドンネの工房に向かう時間になった。
◆ ドンネの工房
扉を叩いた。前回より短い間で開いた。
ドンネ:「来た」
前回は「また来た」だった。「また」が取れた。それだけのことだが、ヨーヘイは気づいた。
図を渡した。ドンネが受け取って、作業台の上に広げた。無言で見ている。炉の火が揺れていた。フィンが炉の方向に耳を向けたまま微動だにしない。ドンネが鉛筆を取り上げて、格子の一部に修正線を1本入れた。
ドンネ:「……悪くない」
ヨーヘイ:(「悪くない」が出た)
リリアが正しかった。ドンネの「悪くない」は最大級の評価だと言っていた。その通りだった。
ヨーヘイ:「武器の件ですが」
ドンネ:「……先に言え」
ヨーヘイ:「先に言うべきでしたか」
ドンネ:「次からそうしろ」
怒っているわけではなかった。仕事の順番の話をしているだけだった。
ヨーヘイ:「蒼魔鉄の中剣です。前回、もう少し先だと言われました。今の熟練度でどうでしょうか」
頭の中に声が来た。
解析:「……《二刀流》の熟練度が8です。上位素材の性能を引き出すには、最低でも30以上が目安になります」
ヨーヘイ:(今それを言うか)
ドンネ:「……前と変わっていないなら、まだ先だ。素材より手の方が先に上がれ」
ヨーヘイ:(ドンネさんと解析さんが同じことを言った。どっちに言われても答えは同じだ)
解析:「……業務の範囲内です」
ヨーヘイ:(聞いてない)
ヨーヘイ:「分かりました。では、素材調達に向けて、頭金を置かせてください」
ドンネが少し止まった。
ドンネ:「……今日は持ってこなくていい」
ヨーヘイ:(今日は、ということは次があること前提だ)
手の中で数字を計算しかけて、止めた。馬車代との兼ね合いが頭をよぎったが、ドンネが先に続けた。
ドンネ:「……急がなくていい。俺の炉が先だ」
ヨーヘイ:(ドンネさんが、俺の優先順位を決めた)
俺が設計した七輪の、まだ図しかないやつが、ドンネさんの中では既に「先にやる仕事」として入っている。なんで俺の炉が先なんですかとは聞けなかった。聞いたら「お前のじゃない、俺の仕事だ」と言われる気がした。
リリアが一歩後ろで聞いている。ヨーヘイには表情が見えなかった。
ドンネ:「帰れ。次は寸法を詳しくしてこい」
ヨーヘイ:「ありがとうございます」
フィンが炉を最後にもう一度見て、それから扉の方向へ向いた。ドンネがその動作を一瞬だけ目で追った。何も言わなかった。
工房の扉が閉まった。
外の空気が、炉の熱と入れ替わった。リリアが丸めた図を抱えたまま、ドンネの工房の石壁を少し見上げた。
リリア:「……『悪くない』、出ましたね」
ヨーヘイ:「出ました」
リリア:「……ラルフさんが言っていた通りでした」
それだけ言って、リリアは歩き始めた。嬉しそうな顔をしていた。ヨーヘイから見えない角度で、少しだけ。
◆ ギルド支所
ミナがカウンターにいた。
Eランク依頼の報酬を受け取った。袋を受け取る時にミナの手が一度止まった。
ミナ:「……最近、ベルネに行くことが増えましたね」
ヨーヘイ:「仕事があります」
ミナ:「……そうですか」
それだけだった。次の手続きに戻った。ミナの視線は、しばらく書類ではなくヨーヘイの方を向いていた。
支所を出てから、手持ちを計算した。973に60を足した。
ヨーヘイ:(1,033枚)
足が止まった。意識してやったわけじゃない。止まった。
ヨーヘイ:(初めて1,000を超えた)
馬車代まで、まだ遠い。でも、桁が変わった。3桁と4桁は、見た目が1文字違うだけだが、足が止まった。ファスト村に来た日、手持ちがゼロだった。Gカードで登録した日、ミナさんが「お待ちしています」と言った。あの日から数えたら、今日で1,033枚だ。
うまく言葉にはならなかった。でも、蓮に話したら「ふーん」と言う顔が浮かんだ。そうじゃない。すごいことなんだ。たぶん。
フィン:「キュッ」
フィンが振り返らずに鳴いた。先を歩いていた。止まっているヨーヘイを置いていく気なのかもしれない。
ヨーヘイ:「待て」
フィン:「キューン」
待たなかった。
◆ 村外れ
昼前に、リリアが言い出した。
リリア:「……少し、試してみたいことがあります」
ヨーヘイ:「付き合います」
フィンが2人の間から前に出た。「キューン」と一声鳴いた。
村外れの、草地が少し開けた場所へ移動した。
リリアが立った。両手を前に出して、目を閉じた。それから、目を開いた。
リリア:「……ヴォルガ戦の後、ヨーヘイさんの腹に手を当てた時の感覚を思い出そうとしています。あの時は、出そうとしたわけじゃなかった。フィンが弾き飛ばされて——それだけで、出ていました」
ヨーヘイは何も言わなかった。
リリア:「……今は、出ません」
当然だ、とヨーヘイは思った。あの戦闘の中でリリアの手が「溢れた」のは、追い詰められた感情が先に動いたからだ。今、村外れの静かな草地に立っていて、同じものが出るはずがない。
ヨーヘイ:「出なくて当然じゃないですか」
リリア:「……それは分かっています。でも、あの感覚がどこから来たのか、まだ分からなくて」
リリアが右手を見た。指を開いて、閉じて、また開いた。
リリア:「……怖かったんだと思います。あの時。フィンが飛んでいくのを見て」
ヨーヘイ:(そこから来ていた)
リリア:「……だから今日は、出ないと思います。怖くないので」
最後の一言が少しだけ笑いに近かった。リリアが自分で気づいたのか、少し顔をそらした。
フィンが2人の前でその場に座った。尾が地面の上で一度揺れた。
ヨーヘイ:「フィンを怖がらせますか」
リリア:「……それは困ります」
ヨーヘイ:「じゃあ今日は分かっただけでいいんじゃないですか。どこから来るか、分かった」
リリアが前を向いた。何か言いかけて、止めた。
リリア:「……そうですね」
短く言った。でも顔が少し変わった。さっきとは違う顔だった。
◆ 炊事場
夕方、サーラの炊事場でヨーヘイが調理していた。タレを少量使って、Eグレードの肉を試していた。
フィンが扉の方向を向いて「キューン」と鳴いた。食欲の方向の鳴き声だった。
ヨーヘイ:「今作っている」
フィン:「キューン」
同じ鳴き方だった。扉の向こうを指しているらしかった。
ヨーヘイが扉を開けた。誰もいなかった。
でも、焦げた草の匂いが残っていた。炊事場の油の匂いとは違う。細い、草が焦げた匂い。
頭の中に声が来た。
解析:「……感知範囲の外です」
ヨーヘイ:(珍しいことを言う。初めて「分からない」と言った)
ヨーヘイ:(誰かいた。でも逃げた。フィンが食欲方向で反応したなら、何か食い物を持っていたのか)
サーラ:「どうしたの?」
ヨーヘイ:「何でもないです」
扉を閉めた。炊事場の音に戻った。フィンが炉の前に戻って座った。
焦げた草の匂いは、宿に戻っても鼻の奥に残っていた。知っている匂いじゃない。炊事場の油でも、村の煙でも、道中の草でもない。一度嗅いだことがある。ベルネへ向かう道の途中だった。
その日も誰もいなかった。
◆ 夜・宿
フィンが唸った。
低い声だった。食欲でも怖さでもない。もっと根元にある、何かへの警戒だ。眠ろうとしていた体が起きた。
ヨーヘイが窓の方を見た。外に人影があった。動いていない。立っている。
頭の中に声が来た。
解析:「……ヨーヘイさんではありません。リリアさんの方向を向いています」
ヨーヘイ:(俺じゃない。リリさんを、見ている)
人影が消えた。
フィンの唸りが止んだ。
リリアは気づいていなかった。
◆ 翌朝・村の通り
声が来た。
解析:「……Lv13です」
ヨーヘイ:「いつ上がった」
解析さんは何も言わなかった。
ヨーヘイは歩きながら、昨夜のことを一度だけ頭に置いた。人影。フィンの唸り。「リリアさんの方向を向いています」という声。それが朝になって、Lv13になっている。順番がおかしい気がしたが、どちらも今日の話だった。
村の通りに朝の人が出始めていた。炊事場の方から油の匂いが来ている。知っている匂いだ。
ヨーヘイの足が、一瞬だけ鈍った。
タレができた日のことを思った。「できた。本当に、できた」と声に出した時の、あの夜の炊事場の匂いだ。あれからどれだけ経ったか。リリさんが槍を持つようになった。ドンネさんが「面白い」と言った。フィンが宿の外を唸りながら見ている夜がある。手持ちが初めて4桁になった。
帰れない状態で、それでも積み上がっていくものがある。
それが何なのか、言葉にはならなかった。でも確かに体の中にある。背骨の少し内側で、薄く熱いものが立っている——そういう感触だった。
ヨーヘイ:(帰れるようになった時、これが全部終わっていたらいい。終わっていなかったら——)
答えが出かけて、止まった。
終わっていなかったら、それでもいい。そういう答えが来そうになって、驚いて止めた。
フィンが先を歩いていた。振り返らない。昨夜と同じ速さで、前を向いていた。
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【第40話 リザルト&ステータス】
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▼ ヨーヘイのステータス(本話終了時点)
Lv:13 HP:245/245 MP:130/130
スキル熟練度(本話で動いたもの):
・《瞬歩》Lv1 55/100(+1・村内移動)
・その他:変動なし
▼ 本話の収支
・収入:Eランク依頼報酬 +60枚
・支出:なし
・本話終了時手持ち:1,033枚
▼ 収納アイテム(変動分)
・変動なし
▼ 本話の出来事
・朝、リリアの助けで七輪の図が完成した。リリアが子供の頃、父の図面を写していたと言った。
・ドンネに図を持参。「悪くない」と言われた。武器強化の話をしたが「俺の炉が先だ」と言われた。
・Eランク依頼報酬を換金。手持ちが初めて1,000枚を超えた(1,033枚)。
・村外れでリリアと話した。「ヴォルガ戦の時は怖かったから出た。今は出ない」と分かった。どこから来るか、分かった日。
・炊事場の外に誰かいた気配。焦げた草の匂いが残った。ベルネ道中と同じ匂い。解析「感知範囲の外」。
・夜、フィンが唸った。窓の外に人影。解析「リリアさんの方向を向いています」。人影は消えた。
・翌朝、Lv13になっていた。
▼ ヨーヘイの考察
解析さん、記録します。
リリさんが「どこから来るか分かった」と言いました。怖かったから出た、と。今日は出ませんでした。出なくて当然だと思います。
ドンネさんが「俺の炉が先だ」と言いました。武器の頭金は次にする。七輪が先だそうです。俺の優先順位を、ドンネさんが決めました。
夜、フィンが唸りました。窓の外に人影がありました。「リリアさんの方向」と言いました。俺じゃない。
朝、Lv13になっていました。タレができた日のことを思い出しました。あの匂いがまだ覚えています。
帰れない状態で、それでも積み上がっていくものがあります。まだ言葉にはなりません。
以上、記録終わり。




