第37話 食える、と言った
◆ ウラベダン・3層
倒れたヴォルガは、倒れてもでかかった。
6メートルを超える胴体が通路をふさいでいて、骨突起の先が天井をかすっている。岩の床に腹を向けた状態で横たわり、4つの目が消えている。光がなくなると、それがただの岩の塊に見えた。でも岩じゃない。さっきまで動いていた。自分の腹の下に潜って、両手が濡れるくらい刃を入れた相手だ。
リリアが壁に背をつけて立っていた。息を整えている。額に血が滲んでいるが、深くはない。目が合うと、静かにうなずいた。
リリア:「……立てますか」
ヨーヘイ:「立ってる」
膝が笑っていた。でも立てていた。リリアの回復魔法のおかげで脇腹の痛みは引いている。体の芯はまだ重く、肺の奥に戦闘の余韻が残っていたが、動ける。
フィンが問題だった。
弾き飛ばされた後、どこにいるかと思ったら足元に来ていた。ヴォルガの腹のあたりに向かって鼻をひくつかせ、一歩進んでは引き返し、また進む。
フィン:「キューン」
諦めていなかった。戦闘を生き延びた直後に、食欲で鳴いている。
ヨーヘイ:「分かってる。でもまず問題がある」
収納に入るサイズじゃない。ここから地上まで運ぶには、解体してから収納に入れるしかないが、この外皮の硬さは問題だ。さっき腹部に刃を入れた時、解析さんとスキルが連携しなければ入らなかった。あの角度を、普通の刃の扱いで出せる気がしない。道具の消耗も読めない。
ヨーヘイ:(解析さん、外皮の解体、道具は持つか)
声が来た。
解析:「……《解体》スキルが対応できます。繊維の方向を読めば。ただし、どこから入るかで消耗が変わります」
ヨーヘイ:(どこから入ればいい)
解析:「……それは、確認してみてください」
「確認してみてください」というのが珍しかった。いつもなら座標か方向か、何かを示してくる。それが来なかった。
フィンがヴォルガの腹に近づいた。鼻を押しつけて、ある一点で止まった。動かない。
ヨーヘイはその場所を見た。外皮の色が他と少し違う。骨突起のない部分の、側腹の中ほど。
ヨーヘイ:「お前は解体師か」
フィン:「キュッ」
刃を当てた。角度を読んだ。《解体》スキルが繊維の向きを伝えてくる。入れた。
入った。
するりと入った。腹部の時ほど力がいらない。繊維の向きに沿わせると、外皮が道を開ける感覚がある。フィンが「キューン」と鳴きながら後退した。満足そうだった。
ヨーヘイ:(解析さん)
解析:「……そういうことです」
前に解析さんが「フィンに聞いてください」と言った時と同じだった。解析さんが「確認してみてください」と言った理由が、今になって分かった。フィンに示させるつもりだったかどうかは分からない。でも結果は同じだった。
リリアが横に来た。
リリア:「……私も手伝います」
ヨーヘイ:「外皮は俺がやります。中を出すのを手伝ってもらえますか。……臭いが出ます」
言ってから、少し迷った。内臓の処理はきつい。ノックス家の出の人間に頼む仕事じゃないかもしれない。
リリア:「……やります」
一拍だけ間があって、声は静かだった。
槍を置いて、短剣を出した。
解体が始まった。
刃が外皮に入る瞬間、今まで聞いたことのない音がした。ミシ、という音だ。割れるでも裂けるでもなく、層が開く音。繊維の向きに沿わせた時だけ出て、外れると刃が弾かれる。その違いが指に伝わってくる。入っている時と弾かれる時で、握り返してくる感触が変わる。
外皮を開いた瞬間、匂いが来た。
ヨーヘイ:「うわ、でかい分だけ来るな」
血の匂いと、内臓特有の獣臭が3層の狭い通路に広がった。Eグレードの魔物とは量が違う。6メートルの腹を開けばそうなる。当たり前だが、実際に来ると声が出た。
リリアが内臓に手を伸ばした瞬間、小さく息を止めた。
ヨーヘイ:「くさいですよね。無理しなくていいです」
リリア:「……平気です」
平気じゃなさそうだったが、手は止まらなかった。口をきつく結んで、目だけで作業を追っている。
ヨーヘイ:(ノックス家で内臓の処理はやらないよな、絶対)
何も言わなかった。言ったら失礼な気がした。
外皮を開くと、中は別の世界だった。分厚い脂の層があるかと思ったら薄い。その代わり、肉の密度が違う。色が濃い。同じ赤でも、イワハサミやドウクモグラとは赤の質が違う。触れると弾力が返ってくる。今まで解体してきた素材の中で、一番「生きていたもの」の手応えに近かった。解体しながらそれが分かった。
解析さんが割り込んだ。
解析:「……食用可能です。この個体は——記録にほぼない個体です」
ヨーヘイ:(それで止まってたのか)
解析:「……確認のための時間が必要でした。Dグレードのこの種は、ほぼ食用確認の前例がありません。通常の3層産とは別の肉質です」
ヨーヘイ:(フィンはそれを知ってたわけか)
解析:「……あの個体がどこまで認識しているかは、業務の範囲内です」
分かった、と思った。解析さんも把握しきれていないことがある。それが「言いかけて止まった」理由だった。確認が取れるまで言わない。そういうやり方だった。
部位を切り分けながら収納に入れていく。腹肉、側腹肉、顎肉。骨突起の付け根の肉は筋が多いが、量がある。内臓は一度脇に置いて後で判断する。D魔石は腹腔の奥にあった。取り出すと手のひらより大きかった。
重かった。Eグレードの魔石と密度が違う。
ヨーヘイ:(これはボルドのところに持って行っても換金できないな)
解析:「……ベルネのギルドへ持ち込む必要があります。Eランクの換金限度を超えています」
ベルネ。ガロンがいる場所だ。考える前に体が一歩後ろに引いていた。意味のない反応だったが、出た。
リリアが一度だけ自分の右手を見た。それだけで、前を向いた。何も言わなかったし、ヨーヘイも聞かなかった。今はそれが正しい距離だと思った。
◆ 地上
3層から上がってくると、まず光が違った。
石段を登りきった瞬間に目が痛くなった。洞窟の暗さに慣れた目に、昼の光が刺さる。風があった。地上の風だ。3層の乾いた冷気でも、2層の湿った岩の空気でもない。草と土の混じった、外の風。それが来た瞬間、肺の奥で何かが緩むような感覚があった。
ドルグが台帳を持ったまま立っていた。
ドルグ:「……早くないな、今日は」
ヨーヘイ:「少し手間取った」
ドルグが台帳に時刻を書いた。それだけだった。何も聞かない。その無言が、今日は助かった。
収納の中に部位が入っている。外皮の一部、骨突起、腹肉、側腹肉、顎肉。D魔石(大)。どれも今朝まではヴォルガの体の中にあったものだ。それが今、自分の収納にある。その事実が、地上の光の中でようやく実感になった。
◆ ギルド・解体所
ボルドのところに素材を持ち込んだ。
外皮の一部、骨突起2本、側腹の肉の切れ端を収納から取り出した。ボルドが素材台の上に置かれたものを見て、一度顔を上げ、素材に戻した。
ボルド:「……何だ、これは」
ボルドが動揺するのを初めて見た。顔が変わる人じゃない。「なるほどな」と一言言って受け取るのがいつものボルドだった。今日は外皮を持ち上げ、厚みを確かめ、骨突起を指で叩くまで、手が止まったままだった。
ボルド:「Dグレードか」
ヨーヘイ:「3層で」
ボルド:「……3層で、Dを」
また長い間があった。
ボルド:「一人でか」
ヨーヘイ:「リリさんとフィンと」
ボルドは素材を台に戻した。何か言おうとして、やめる。それから素材の重さを計り始めた。仕事に戻る人間の動き方だった。
ボルド:「骨突起は工房向けだ。外皮も同じ。肉は……換金はできんが、自分で使うなら問題ない」
ヨーヘイ:「使います」
ボルド:「……そうか」
代金を受け取ってから、ヨーヘイが出ようとするとボルドが言った。
ボルド:「次に3層に入る時は、気をつけろ」
振り返ると、もう台帳に向かっていた。
◆ 宿・炊事場
炊事場を借りた。
ヴォルガの腹肉を取り出した。手のひら2枚分の厚みがある。色が濃い。イワハサミの赤身やドウクモグラの腹肉とは、最初の印象から違う。塩だけで焼くつもりだった。素材そのものが何かを、まず知りたかった。
鉄板に置くと、脂が少ない分、音が静かだった。イワハサミや草地の獲物はもっと激しく音がする。ヴォルガは静かに焼けていった。でも色が変わっていく速さが違う。締まっているのに、中から柔らかくなる気配がある。炭の台に近づいてみると、煙が少し重かった。脂の甘い匂いじゃない。もっと深い、肉そのものの匂いだ。猪に近いが、猪より重く、でも臭みじゃない。地下の冷たい岩の近くにいた生き物の気配が、鼻の奥にわずかに残る感じ。
切り分けると、断面の色が均一だった。ムラがない。
一口食べた。
止まった。
もう一口食べた。
ヨーヘイ:(Dグレードって、こういうことか)
旨みの量が違う。Eグレードのものと比べて薄いとか濃いとかじゃなく、重さが違う。口の中に残る時間が違う。噛んだ後も続きがある。これはタレをつけると変わるのか、それとも塩だけが正解なのか、判断がつかなかった。両方試すつもりで切り分けを増やした。
フィンが足元で「キューン」と鳴いた。
ヨーヘイ:「お前が正しかった」
フィン:「キュッ」
一切れ分けた。フィンが受け取って、一口で食べる。「キュウッ!」と鳴き、前足で床を叩いた。正しい反応だと思った。
食べ終わった後、静かに数えていた。
ヨーヘイ:(また食べた後だった。4回目だ)
解析さんは何も言わなかった。いつものことだった。
ヨーヘイ:(そのうち聞く)
急がなかった。急がなくていい気がした。4回続いている。偶然じゃないのは分かっている。でも今は分からなくていい。答えはどこかにある。
リリアが横に来た。一切れ受け取って、静かに食べた。
リリア:「……重いですね」
ヨーヘイ:「Dグレードはこれだった」
リリア:「……次は、もっといい道具を持ち込んだ方がいいですね。解体のための」
実務的な声だった。「また来る」が前提の言い方だった。それがリリさんらしかった。
D魔石は収納の中にある。ベルネに行く必要がある。ベルネにはガロンがいる。ガロンが何を言うのか、想像するだけで少し重くなったが、逃げる理由はなかった。持って行けば換金できる。それだけだ。
宿の外で風が鳴っていた。フィンが足元で丸まった。
次の問題は決まっていた。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【第37話 リザルト&ステータス】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▼ ヨーヘイのステータス(本話終了時点)
Lv:11 HP:195/235 MP:126/126
スキル熟練度(本話で動いたもの):
・《解体》Lv2 熟練度 50/100(+7)
・《料理》Lv2 熟練度 56/100(+4)
・その他:変動なし
▼ 本話の収支
・ヴォルガ素材(骨突起・外皮)換金:+38枚
・本話終了時手持ち:783枚
・D魔石(大):未換金(ベルネ行き必要)
▼ 収納アイテム(変動分)
・追加:ヴォルガ腹肉・側腹肉・顎肉・内臓(一部)・D魔石(大)
・消費:ヴォルガ腹肉(試食分)
▼ 本話の出来事
・フィンが示した場所から解体に成功した。食欲センサーが急所も知っていた。
・解析さんが「食用可能です。この個体は——」の続きを話した。記録にほぼない個体だった。
・ボルドが素材を見て初めて動揺した。
・D魔石はベルネのギルドでしか換金できない。
・ヴォルガの腹肉を焼いた。Dグレードは別の重さだった。
▼ ヨーヘイの考察
解析さん、記録します。
解体できました。フィンが示した場所から入れました。なぜあの場所を知っていたのかは分かりません。解析さんも把握しきれていないようでした。
焼いて食べました。重さが違いました。Eグレードと比べる問題じゃないです。次のDグレードがどんな味か、気になっています。
D魔石はベルネに持って行きます。ガロンが何を言うか、少し気になっています。




