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異世界の魔物肉、全部うまい。帰れないアラフォーパパ、冒険者しながら焼肉屋はじめました  作者: きりざく
3章 「まだ、帰らない。」

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第36話 ヴォルガの、腹

◆ ウラベダン入口・朝


 台帳に目を落としたまま、ドルグが言った。


ドルグ:「今日も3層か」


ヨーヘイ:「奥まで」


 それだけの言葉に、ドルグのペンが一瞬止まった。何か言いかけて、やめて、また動き出す。受付に書く音だけが残り、ヨーヘイはその音を背中で聞きながら入口へ向かった。


 フィンが手前で止まっていた。


 いつもと違う止まり方だ。鼻が動くわけでもなく、尻尾が揺れるわけでもない。ダンジョンの入口の方向を向いたまま、ただ静止している。食欲の時の「キュウッ!」でも警戒の「キュッ」でもない。音がなかった。


ヨーヘイ:「お前も分かってるか」


 声に出して言うと、フィンが振り返り、「キュッ」と短く鳴いてから再び前を向いた。


 2層はいつもの2層だった。


 イワハサミが3体。解析さんの感知範囲で位置を拾い、各個撃破する。短剣の角度、踏み込みのタイミング、全部いつも通りだったが、頭の中には別のものがある。昨日50メートル先で見た影。あの大きさ。あの輪郭の、形が読めなかった何かが。


 解析さんが昨日「まだです」と言った。


 今日は何と言うか。


 3層への降り口の前で、リリアが槍を持ち直す。小さく息を吸う音がして、鎧の合わせ目が軋んだ。


リリア:「行きます」


ヨーヘイ:「ああ」


 確認するような一言だった。




◆ ウラベダン・3層


 降りた瞬間、空気が変わる。


 発光苔がない。持ち込んだ灯りの丸い範囲だけが頼りで、その外は岩の壁があるはずなのに見えない。足音が消える。息が消える。3層は音を殺す場所だった。


 昨日も同じ場所に立った。50メートル先の影を見て体が止まり、解析さんが「まだです」と言い、それで終わった。今日は終わらせない、というつもりで来たはずが、降りた瞬間にその気持ちが少し揺れる。


 タイミングを見計らったように、声が来た。


解析:「……今です」


 聞いてないのに来た。


 昨日は「まだです」で、今日は頼む前に「今です」と来る。タイミングが逆で、順番が逆で、昨日は「まだ」と言ったくせに今日は先に言ってくる。業務の範囲内だと言い続けているこの解析さんが。


 考える前に、地面が動いた。


 正確には、壁が動いた。


 石が崩れる音ではない。もっと重く、もっと古い。生き物が長い眠りから体を起こすような響きで、岩の塊だと思っていたものが剥がれていく。壁の一部だった輪郭が立体になっていき、ヨーヘイの頭が「大きい」と処理するより先に、体が一歩後ろへ下がっていた。


 3層の通路は狭く、天井も低い。それでもヴォルガは通路の半分以上をふさぐ。6メートルの胴体が狭い石の空間を満たすように広がっていて、収まっているのではなく、最初からここにいたのだと気づく。ここで、この狭さの中で、ずっと待っていたのだ。


 4つの目が光った。


 縦に並んでいる。上から下へ、等間隔に4つ。青白い光で、生物の目が持つ温度はなく、鉱石が内側から発光するような冷たさだ。瞬きをしない。揺れない。ただこちらを向いていて、それだけで足が動かなくなる。


ヨーヘイ:(解析さん)


解析:「……Dグレードです。ヴォルガ。深層遊泳型・暗闇適応種。目はありません。顎下の感熱器官で熱源を追跡します。弱点は顎下の感熱器官と腹部。ただし——外皮硬度が高く、現在の刃では角度を誤ると貫通できません」


ヨーヘイ:(角度を誤ると、って言った。つまり正しい角度があるってことか)


 骨突起が薙いだ。


リリア:「右——っ」


 リリアの声と衝撃がほぼ同時に来た。背中の突起列が横に流れ、空気が裂ける音の直後に左腕を叩く。直撃ではない。掠りで、吹き飛んだ。岩の床に叩きつけられて肩から落ちて一回転する。頭を打たなかったのは運だ。


リリア:「ヨーヘイさん」


 息が止まった。一秒か二秒か、動かそうとしても動かない。強制的に吸い込むと肺に空気が戻る痛さがある。咳が出る。床が近かった。自分が倒れていることを、その近さで初めて確認する。


ヨーヘイ:「くっ……」


 声が勝手に出た。右腕で床を押すと体が起き上がる。立てた。


 シールドの光が見えた。リリアがヴォルガとヨーヘイの間に立ち、槍を正面に構えたまま動かない。震えていても、動かなかった。


 解析さんが言った。


解析:「老いています。本来の個体より。ただし——」


 「ただし」の後が来ない。言えない何かがある。来ない時のほうが怖い。


 ヴォルガが向き直る。リリアの体温を捉えて動き出す。地面を泳ぐように進む動きの中で、骨と肉が床を擦る音だけが3層の静寂を破って響いた。


ヨーヘイ:「リリア、下がれ」


 リリアが横に跳び、ヴォルガの突進が壁を叩く。岩が砕けて粉塵が上がった。


 動いても追ってくる。感熱器官が機能している間、熱源からは逃げられない。


解析:「熱源に反応します。別の熱源があれば——」


ヨーヘイ:「壁に投げる」


 収納から火起こし石を取り出し、右の岩壁へ向けて投げる。石と石が当たって火花が散り、瞬間的な熱が固体としてそこに生まれた。ヴォルガの頭が右に動いた。一瞬だけ。


リリア:「今です。頭、止まっています」


 リリアがすでに動いていた。槍の穂先をヴォルガの骨突起の隙間に差し込み、絡めて上から押さえる。


リリア:「はっ——」


 華奢な体から信じられない力が出た。頭が、一瞬だけ動きを止めた。


ヨーヘイ:「腹へ行く。そのまま頼む」


 瞬歩を使うと一歩が三歩分になる。ヴォルガの腹の下へ潜った瞬間、解析さんが割り込んだ。


解析:「繊維の向き、斜め45度。《解体》と連動、入れます」


 右手の刃を入れた。


 今度は入った。一発で入った。今まで偶然だったものが、必然になった感覚があった。外皮の層を越えた瞬間に刃が深く沈み、温かいものが手に触れる。熱かった。生きているものの内側の熱さがある。


ヨーヘイ:「っ——離すな」


 自分に言い聞かせるように、声が出た。


 ヴォルガが揺れた。体全体が震え、骨突起がリリアの槍を弾く。リリアが壁に叩きつけられる音がした。左手の短剣を重ねて深く押し込むと、手首まで温かい。ヴォルガが暴れ、尾が床を叩く。


 その尾が、ヨーヘイの脇腹を直撃した。


 声が出なかった。


 肺から空気が全部抜けた——声より先に、それが来た。壁まで飛んで、壁に当たって、床に落ちる間、痛みがどこから来ているのか順番が分からなかった。岩の床に手をついても、起き上がれなかった。


リリア:「ヨーヘイさん——っ」


 リリアの声が遠かった。


 フィンが唸った。


 低い声だった。聞いたことのない唸り方だ。後方から足音が来たと思った瞬間、フィンの小さな体が4つの光に向かって真っすぐ飛び込んでいた。止める間もない。感熱器官に体当たりする、という発想が、あの体のどこから来るのか分からない。


 ヴォルガが動きを乱した。一瞬だけ、頭の向きが定まらなくなった。


 フィンが弾き飛ばされる音がした。


ヨーヘイ:「フィン——」


 声が出た。でも体が動かなかった。


リリア:「だめです」


 リリアの声だった。でもヨーヘイに言ったのではなかった。


 右手が光った。


 昨日見た光とは違う。あの夜に滲んだ光とも違う。もっと強く、もっと意図的な光が、リリアの右手から溢れた。リリアがヨーヘイの脇腹に手を当てた。熱くも冷たくもない。ただ、傷の奥から何かが閉じていく感覚があった。


 息が戻った。


 体の中に何かが満ちていく感覚があった。


リリア:「立てますか」


ヨーヘイ:「……立てる」


 起き上がった。膝が震えていた。でも立てた。


 解析さんが言った。


解析:「……あと2回が限度です。急所、腹部中央。繊維方向、同じです」


 ヴォルガが向き直ろうとしていた。頭の向きが戻ってくる。感熱器官が再起動する前に入る。


ヨーヘイ:「行く」


 瞬歩で間合いを消した。腹の下へ潜る。繊維の向きを読む。《解体》のスキルが刃の角度を決める。


 右手を入れた。左手を重ねた。


 三度目で動きが鈍り、四度目で止まった。




 静寂だった。


 音を殺す3層が、今はさらに静かになっていた。腹の下から這い出すと、両手が濡れている。立ち上がると膝が笑っているが、立てた。


ヨーヘイ:「……終わったか」


 声が自分でも驚くくらい小さかった。


 壁際でリリアが槍を杖にして体を起こしていた。額に血が滲んでいる。目が合って、無言でうなずいた。


リリア:「……無事ですか」


ヨーヘイ:「なんとか。そっちは」


リリア:「問題ありません」


 声が少し震えていたが、目は静かだった。


 フィンはどこだ、と思った瞬間、足元に来た。「キュッ」と短く鳴いて、何事もなかったように立っている。弾き飛ばされてあれだけの音がしたのに怪我がないのは、頑丈というより奇跡に近い。ヨーヘイはそう思いながら、フィンの頭に一度だけ手を置いた。


 そのフィンが、ヴォルガの腹のあたりに近づいた。鼻をひくつかせて一歩下がり、また近づいて、また下がる。三回繰り返してから「キューン」と鳴いた。


 リリアの手がまだ光っていた。


 食欲の方向の鳴き声だった。


 命がけで戦い、吹き飛ばされ、体当たりで弾き飛ばされた。それだけのことをやって、今この獣がDグレードに向かって食欲で「キューン」と鳴いている。リリアの手がまだ光っている横で。


 お前は本当にそういうやつだな、とヨーヘイは思った。声に出したら笑ってしまいそうだったので、出さなかった。


 解析さんが言った。


解析:「……食用可能です。この個体は——」


 止まった。


(続きを言え)


解析:「……業務の範囲内です」


(言ったじゃないか)


 でも言わない。情報が来ない時は来ない理由がある。それが解析さんのやり方だった。


 倒れた状態でも、でかかった。6メートルを超える胴体が3層の通路を半分ふさいでいて、骨突起は天井に届きそうなくらい高い。


リリア:「……見たことがない、大きさです」


 槍を持ち直しながらリリアが言った。


ヨーヘイ:「俺もない」


 ヨーヘイは正直に言った。


 フィンがヴォルガの腹に鼻を押しつけた。「キュウッ!」と鳴いた。まだ諦めていなかった。


 この大きさを、どうやって地上に持って帰るか。丸ごとは収納に入らない。解体してから入れるとしても、あの外皮の硬さは尋常でなく、道具が足りるかどうかも分からない。


 そういえば、両手がまだ濡れていた。


 どうやって持って帰るか。それが問題だった。


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【第36話 リザルト&ステータス】

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▼ ヨーヘイのステータス(本話終了時点)

Lv:11 HP:???/235 MP:126/126

※本話中に大ダメージを受け、リリアの回復魔法で回復。終了時HP値は37話冒頭で確定する。


スキル熟練度(本話で動いたもの):

・《瞬歩》Lv1 熟練度 51/100(+3)

・《二刀流》Lv1 熟練度 8/100(+8・実戦複数回使用)

・《解体》Lv2 熟練度 43/100(+3・スキル連携初発動)

・その他:変動なし


▼ 本話の収支

・本話終了時手持ち:745枚(変動なし)


▼ 収納アイテム(変動分)

・ヴォルガ:未回収(地上への搬出方法未解決)

・D魔石(大):未回収(ヴォルガ体内・搬出と同時に回収予定)


▼ 本話の出来事

・3層でヴォルガ(Dグレード・老齢個体)と交戦した。

・火起こし石を熱源の囮として使い、感熱器官を一瞬撹乱した。

・リリアが槍で頭を押さえ、ヨーヘイが腹部に刃を入れて仕留めた。

・尾の直撃でヨーヘイが戦闘不能寸前まで追い込まれた。

・フィンが感熱器官に体当たりし、一瞬の隙を作った。

・リリアの右手が光り、ヨーヘイを回復した。

・解析さんが「食用可能です。この個体は——」と言いかけて止まった。

・どうやって地上に持って帰るかが次の問題になった。


▼ ヨーヘイの考察


 解析さん、記録します。


 ヴォルガを倒しました。Dグレードです。老いていると言っていました。本来より遅い個体だったそうですが、掠りで吹き飛びました。脇腹への直撃で起き上がれなくなりました。


 フィンが体当たりしました。止める間がありませんでした。弾き飛ばされましたが無事でした。


 リリアの手が光りました。傷が閉じました。あの光が何なのか、リリさんは何も言いませんでした。俺も聞きませんでした。


 解析さんが「食用可能です」と言いかけて止まりました。フィンが食欲で鳴いています。倒した相手に向かって。


 どうやって持って帰るか、それが問題です。

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