第30話 Eランク、申請します
◆ 宿の調理場・夜
殻が厚かった。
イワハサミのハサミ部分だ。甲羅よりも密度がある。料理バサミの背で叩いた。「ごっ」という音が返ってきた。鉄を叩いたみたいな音だ。甲羅を割った時は「ぱきっ」という乾いた音だった。こっちは違う。内側に何かが詰まっている音だ。
もう一度。「ごっ」。割れない。
角度を変えた。継ぎ目を探す。ハサミの側面を指で辿った。甲羅の腹部継ぎ目と同じ構造のはずだ。側面に細い線が走っている。そこに刃を当てて、体重を乗せた。
割れた。
その瞬間、匂いが来た。
甲羅のミソとは全然違う。ミソは乾いた岩の香りだった。こっちはもっと直接的だ。磯でも肉でもない。岩の奥から来るような、嗅いだことのない匂いだ。閉じていたものが開いた匂い、とでも言うか。
フィン:「キュウッ!」
フィンが一直線に来た。鼻が割れた殻の縁ギリギリまで近づいて、止まった。昨日の甲羅ミソの時とは鼻孔の動き方が違う。もっと細かく、速い。尾が高速で揺れている。でも動かない。昨日覚えた順番を守っている。
ヨーヘイ:「偉い。もう少し待て」
中を確認した。身が出てきた。
指先に乗るくらいしかない。
ヨーヘイ:(これだけか)
ハサミ全体の大きさに対して、身の量が釣り合っていない。殻の厚みの半分も身がない。甲羅のミソは量があった。腹肉も量があった。こっちは少ない。殻の厚みが全部、身を守ることだけに使われている構造だ。
ヨーヘイ:(量で勝負していない素材だ)
塩ダレを少量つけた。鉄板に乗せた。
音が来た。「じっ」という細い音だ。甲羅のミソを炙った時の「ぱちっ」でもなく、腹肉の「さっ」でもない。水分が少ない。密度が高いものが熱を受けている音だ。
匂いが変わった。直接的だった匂いに、熱が加わって深みが出てきた。乾いた匂いの奥から、甘みに近い何かが浮いてきた。甲羅のミソが発酵液と絡んで甘みになったのとは違う。素材そのものが持っていた甘みが、熱で表に出てきた感じだ。
引き上げた。色が変わっていた。透明感のある白から、うっすらと橙がかった色になっている。断面が光を拾っている。
口に入れた。
止まった。
弾力が先に来た。噛んだ瞬間に、押し返してくる力がある。でも固くない。歯が入る。入った瞬間に旨みが出てきた。染み出すというより、弾けるように出てくる。
噛むたびに旨みが増す。
甲羅のミソは溶けるような旨みだった。腹肉は肉厚で直線的な旨みだった。ハサミの身は、弾力と旨みが別のベクトルで同時に来る。噛む力に応じて旨みが出る構造だ。噛むことが調理になっている。
ヨーヘイ:(少ない。でもこれ一口で十分だ)
量で比べる素材じゃない。ハサミという部位が戦闘で担っていた役割——硬さと瞬発力——が、そのまま食感と旨みの質になっている。同じイワハサミから取れる素材でも、部位によってここまで違う。
昨日、甲羅のミソで「2層の肉は1層と同じルールが使えない」と思った。今日、ハサミで「同じ個体でも部位ごとにルールが違う」と分かった。
ヨーヘイ:「お前の分もある」
フィン:「キューン」
残りをフィンに渡した。フィンが受け取った瞬間、鼻が止まった。噛んだ。また止まった。それから速くなった。いつもは「受け取ったら一直線」なのに、今日は一回止まった。
ヨーヘイ:「お前も、噛んで初めて分かったか」
フィン:「キュッ」
返事なのかどうか分からない。でも尾が一度だけ揺れた。
調理道具を片付けながら、頭の中が整理されていた。
ヨーヘイ:(また食べた後だ)
頭の中に音が鳴った。Lv8になった。
HPとMPが全快した。体が軽くなった感触。でも今日は軽さより、先に気になることがある。
ヨーヘイ:(Lv7になって何日だ。10日もない。Lv4からLv5まで、何ヶ月かかったか。……食べた後ばかりだ。討伐の直後じゃなくて、毎回食べた後に来る。解析さん、俺おかしくないですか)
解析の声:「……業務の範囲内です」
ヨーヘイ:(そっちか)
答えにならない答えが来た。でもいつもより一拍、間があった気がした。
◆ ウラベダン・二層入口・翌朝
昇格申請の前に、もう一度だけ潜った。
石段を降りた。冷たさが来た。もう怖くない空気だ。知っている。足の置き方も、呼吸の深さも、体が覚えている。
最初の角を曲がったところで。
解析の声:「……正面、1体います」
ヨーヘイ:(ああ、またか)
聞く前に来た。慌てていない。体が先に向きを変えていた。驚きじゃなくて確認だ。昨日と同じ。一昨日と同じ。そういうものになった。
イワハサミが1体、岩の陰にいた。腹部継ぎ目の位置が見えた。《瞬歩》で踏み込んで、仕留めた。リリアの槍は使わなかった。1体なら1人で十分だ。
リリア:「……今日は、早かったですね」
ヨーヘイ:「申請があるので」
素材を収納して、石段へ向かった。
◆ ギルド
受付にミナさんがいた。書き物をしていた。2人と1匹が入ってきたのを見て顔を上げた。
ヨーヘイ:「Eランク昇格申請、できますか」
ミナさんの手が止まった。
1拍あった。書き物をしていた手が、カウンターの上で静止した。
ミナ(受付):「……できます。ただ、少し確認させてください」
書類が出てきた。依頼達成数の記録。魔石記録。ランク要件の確認表。ミナさんが一枚ずつ確認していく。手は動いている。でも確認の仕方が、いつもの換金手続きとは違う。ひとつひとつを、少し長く見ている。
全部確認し終わった。
ミナ(受付):「問題ありません。審査に入ります。結果は明後日になります」
ヨーヘイ:「ありがとうございます」
書類を受け取って、カウンターを離れた。
扉の手前で、振り返った。
ミナさんがこちらを見ていた。目が合った。ミナさんがすぐに書き物に戻った。
ヨーヘイ:(また見られた。換金の時と同じ目だ)
村の通りに出た。足が止まった。
ヨーヘイ:(申請した)
それだけの事実が、まだ体に馴染んでいない。書類を出して、確認されて、受理された。それだけのことが、なぜかまだ遠い。
リリアが隣で足を止めた。
リリア:「……おめでとうございます」
ヨーヘイ:「まだ結果が出ていないです」
リリア:「……でも、申請できました」
それだけだった。でも足が動いた。
ヨーヘイ:(あの目は、ミナさん個人の違和感じゃない気がする。何かを確認するように見ている。誰かに、見るよう言われている目だ)
リリアが前を歩いていた。フィンが一番前を歩いていた。何も気にしていなかった。
◆ 宿・夜
サーラさんに報告した。
ヨーヘイ:「Eランク昇格申請、してきました」
サーラ(女将):「そうかい。飯でも食いな」
それだけだった。でもそれでよかった。大事な話を大事な顔で聞かれるより、いつも通りの方が落ち着く。サーラさんはいつもそういう人だ。
飯を食べた。宿の定食だ。今日は肉が多かった。
部屋に戻って、横になった。
天井を見た。明後日、結果が出る。ブロンズのカードになる。そうなると依頼の幅が変わる。報酬も変わる。馬車代まではまだ遠いが、1,800枚という数字が少しだけ近づく。
ヨーヘイ:(解析さん。ガロンってギルドの上の方の人ですよね)
間があった。
解析の声:「……ベルネから、報告が——」
止まった。
ヨーヘイ:(続きが来ない)
待った。
ヨーヘイ:(解析さん)
解析の声:「……業務の範囲内です」
ヨーヘイ:(今回は、そっちで誤魔化すのか。「ベルネ」って誰だ。解析さんが名前を知っている人だ。報告、って何の報告だ)
答えは来なかった。
天井のまま、目を閉じた。
布団の端が沈んだ。フィンが乗ってきた。丸まった。温度が伝わってくる。
ヨーヘイ:(明後日、結果が出る)
眠れそうだった。
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【第30話 リザルト&ステータス】
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▼ ヨーヘイのステータス(本話終了時点)
Lv:8 HP:190/190 MP:102/102
スキル熟練度(本話で動いたもの):
・《料理》Lv2 熟練度 38/100(+6)
・《瞬歩》Lv1 熟練度 33/100(+2)
・《解体》Lv2 熟練度 26/100(+2)
・その他:変動なし
▼ 本話の収支
・前日潜入分換金:+18枚
・本話終了時手持ち:550枚
▼ 収納アイテム(変動分)
・イワハサミハサミ:調理・換金済みに更新
・その他:変動なし
▼ 本話の出来事
・イワハサミのハサミを本調理した。身は少なかった。でも弾力と旨みが別のベクトルで来た。噛むことが調理になっている素材だった。
・Lv8になった。また食べた後だった。Lv4→5の期間と比べておかしいと感じた。
・翌朝、短期潜入。解析さんの先読みが来ても、慌てなくなった。
・Eランク昇格申請を受理された。結果は明後日。
・ミナさんが見ていた。誰かに見るよう言われている目だと思った。
・解析さんが「ベルネから」と言いかけて止まった。
▼ ヨーヘイの考察
解析さん、記録します。
ハサミを割りました。身は少なかったです。でも口に入れたら止まりました。弾力と旨みが別のベクトルで同時に来ます。噛むたびに旨みが増します。噛むことが調理になっている素材です。甲羅のミソとも腹肉とも違います。同じ個体でも部位ごとにルールが違うと分かりました。
Lv8になりました。また食べた後でした。Lv7になってから10日もありません。Lv4からLv5まで何ヶ月かかったか、覚えています。食べた後ばかりです。おかしいと思っています。「業務の範囲内」と言われましたが、一拍間がありました。
Eランク昇格申請をしました。明後日、結果が出ます。ミナさんが書き物に戻る前に一度見ていました。あの目は、個人の違和感じゃない気がしています。
「ベルネ」という名前が出ました。誰か分かりません。解析さんが知っている人です。
記録、ここまで。




