第29話 旨みが、違う
◆ ウラベダン・二層入口
石段を降りた瞬間、冷たさが来た。
昨日と同じ冷たさだ。岩の匂い。乾いているのに重い空気。天井が高い。でも今日は、その冷たさが怖くない。知っている。昨日ここに来た。今日はもう一度来た。それだけの違いが、足の置き方を変えていた。
昨日は一歩踏み込んで、見て、引いた。
今日は、倒す。
ヨーヘイが「(どこにいる)」と考え始めたところで。
解析の声:「……正面右、岩の陰に2体います」
一瞬遅れて気づいた。聞く前に来た。
ヨーヘイ:(また先に言ってきた)
昨日も同じだった。でも今日は慌てていない。先に来るなら、先に動く。それだけだ。
右の岩の陰を見た。昨日イワハサミがいた岩とは別の場所だ。触覚が細かく揺れている。2体、並んでいる。
解析の声:「……腹部継ぎ目、左が61%、右が58%」
ヨーヘイ:(昨日と同じ数字だ。同じ相手なら同じように動く)
隣でリリアが槍を横に構えた。言葉はなかった。目線だけで確認して、頷いた。
フィン:「キュッ」
ヨーヘイ:(分かってる。行く)
《瞬歩》で左に踏み込んだ。2体の視野の外から正面に出る。右のイワハサミが反応して甲羅を持ち上げた。リリアの槍が右の継ぎ目に入った。
甲羅が開いた。
腹部が見えた。
踏み込んで、中剣を通した。
右が止まった。左がこちらへ向く前に、《瞬歩》で距離を取る。リリアが左の側面へ回っていた。声も合図もなかった。昨日の動きを今日に持ち込んでいる。左のイワハサミが左へ向こうとして、右からリリアの穂先が継ぎ目に当たった。甲羅が浮いた。
ヨーヘイ:(腹が出た)
踏み込んで、仕留めた。
2体が静かになった。
リリア:「……速かったです」
ヨーヘイ:「リリさんも」
リリアが少し目を細めた。否定しなかった。
◆ ウラベダン・二層 帰路
収納に素材を入れて、石段へ向かった。
通路の角を曲がったところで、解析の声が来た。
解析の声:「……前方左、2体。ドウクモグラです」
ヨーヘイ:(帰り道に出た)
地面の振動が来た。土中を移動している。距離が縮まっている。
解析の声:「……左のやつ、腹部前脚付け根、正面から入れます。今ならタイミングが——」
声が終わるより先に、体が動いていた。
《瞬歩》で前へ。着地した瞬間、中剣がすでに狙いを決めていた。右の足が地面を押す感触と、刃が腹部に入る感触が、同じタイミングで来た。
1体、止まった。
もう1体が振り向く前に距離を取る。リリアの槍が後ろから穂先を合わせていた。
ヨーヘイ:(動きが、繋がった)
いつもは「踏み込む」「狙う」が順番に来る。今日は踏み込みながら狙いが決まっていた。解析さんの情報が、足の着き方の中に最初から入っていた。
解析の声:「……スキルの連携を確認しました」
ヨーヘイ:(確認するな。もっと驚いていい)
でも声に出さなかった。リリアがいる。
リリア:「……さっきの動き、いつもと違いました」
ヨーヘイ:(それは言っていい)
ヨーヘイ:「解析さんの言い方が変わったみたいです。こっちが動く前に来る」
リリア:「……そうですね。私も、なんとなく分かりました」
それだけ言って、前を向いた。
フィン:「キュウッ!」
フィンが石段の方向へ耳を向けた。食欲の「キュウッ!」だ。鼻をひくつかせている。昨日も同じ方向に反応していた。2層の素材の匂いがまだ残っているらしい。
ヨーヘイ:(分かってる。広場で焼く)
◆ ウラベダン・入口広場
番兵に退場を告げて、記録を取られた。
広場に出ると、空気が変わった。2層の岩の冷たさが抜けて、土と苔の匂いが戻ってきた。光が多い。目が慣れるまで少しかかった。
荷物を地面に下ろした。収納からイワハサミの素材を出す。甲羅。ハサミ。腹肉。そしてミソだ。
昨日、少しだけ炙った。濃かった。苦みの奥に旨みがあった。ちゃんと火を通したら来た——Lv7が上がったあの瞬間のことを、まだ覚えている。
今日は、本調理だ。
甲羅を両手で持ち上げた。内側が器の形をしている。縁が均一で、深さも十分ある。これをそのまま使う。
ヨーヘイ:(皿を持ってきた生き物だ。生前は知らなかっただろうが)
収納から発酵液の小瓶を出した。甲羅の内側に少量を塗る。拇指で薄く伸ばした。岩の表面に液が染みていく。
火を起こした。甲羅を石の上に安定させて、下から熱を入れる。ミソを甲羅の中に戻した。
変化が来た。
乾いた岩の匂いだけだったものに、甘みが加わった。発酵液が温まって揮発している。次に、旨みが来た。ミソが溶け始めている。昨日の炙っただけとは全然違う。同じミソが、火と発酵液の組み合わせで別のものになっていく。
フィン:「キュウッ!」
フィンが甲羅の方に一直線に来た。止まった。鼻が甲羅の縁に触れる寸前で静止している。尾が高速で揺れている。
ヨーヘイ:(順番がある。待て)
フィン:「キューン」
でも動かなかった。偉い。
収納から腹肉も出した。赤身だ。1層のドウクモグラより色が濃い。脂の乗り方が違う。同じ「2層の肉」でも部位によって全然違う。
ヨーヘイ:(発酵液タレと塩ダレ、どちらが合うか試す)
鉄板を出して火にかけた。腹肉を塩ダレに30秒漬けて、置く。
音が来た。「さっ」という薄い音。塩ダレで漬けたドウクモグラ肉のいつもの音だ。でも、香りが違う。すぐに分かった。1層の肉より旨みが濃い。焼けながら出てくる匂いの密度が、比べ物にならない。
ヨーヘイ:(同じタレを使っているのに。素材が違う)
引き上げて、口に入れた。
噛んだ瞬間、旨みが先に来た。塩の輪郭がその後ろで支えている。ミツノミの酸が最後に細く通って、消えた。1層の腹肉と同じ手順で焼いたのに、口の中に残るものが違う。厚みが違う。密度が違う。
ヨーヘイ:(2層の肉は、1層と同じルールが使えない)
次に発酵液タレで漬けた腹肉を置いた。
今度は音が違う。「じゅっ」という水分の逃げる音。発酵液の甘みが先に立って、煙が増える。引き上げて食べた。
ヨーヘイ:(悪くない。でも塩ダレの方が、肉の旨みが見える。赤身には塩の方が正直だ)
甲羅の中でミソが完全に溶けていた。発酵液と絡んで、色が深くなっている。甲羅から木の棒でそっとすくった。
口に入れた。
止まった。
昨日の炙っただけとは、比べる次元が違う。苦みが完全に抜けていた。代わりに、旨みだけが残っている。発酵液の甘みがその旨みを一段持ち上げていた。岩の匂いがしない。でも、どこか深いところに岩の名残がある。鉱物の奥行きとでも言うか。どこにも似ていない。
ヨーヘイ:(手をかけたら化ける、と昨日思った。本当だった)
そこに足音が来た。
岩底の三人だった。装備に今日の埃がついている。バルドさんが先頭で、ミラさん、ガンツさんと続く。いつもの並びだ。
ミラ:「また来たのか」
ヨーヘイ:「また来ました」
ミラ:「倒したのか、あれ」
ヨーヘイ:「2体」
ミラさんが一拍止まった。それから鼻を動かした。
ミラ:「……なんか匂いが違う」
ヨーヘイ:「昨日の素材です。火を通し直しました」
甲羅を持ち上げて、差し出した。
バルドさんが木の棒を受け取った。甲羅の中のミソをすくった。口に入れた。
止まった。
昨日の動きと同じだ。でも昨日より止まっている。咀嚼しながら、何かを確かめている。
ミラさんが「ちょっと」と言いながら木の棒に手を伸ばした。すくって食べた。目が、少し横に動いた。
ミラ:「……なんだこれ、2層の」
ヨーヘイ:(その言い方が出た)
ガンツさんが無言で歩いてきた。バルドさんの横に並んで、甲羅をそのまま両手で持ち上げた。
ヨーヘイ:(甲羅ごと持っていく気だ)
ガンツさんが甲羅を傾けて、縁から直接口に入れた。旨みが凝縮されている部分が一気に入ってくる。顎が一定のリズムで動く。止まった。また動く。
腹肉の塩ダレも皿に乗せて並べた。バルドさんとミラさんが取った。ガンツさんはまだ甲羅を持っている。甲羅の中が空になったのを確認してから、静かに地面に置いた。それから腹肉に手を伸ばした。
バルドさんが最後に言った。
バルド:「ミソ、また頼む」
ヨーヘイ:「次も来ます」
三人の背中が、村の方向へ歩いていく。ガンツさんがもう一度だけ甲羅の方を振り返った。それだけだった。
フィン:「キュウッ!」
ヨーヘイ:(お前の分はある。待ってたな)
腹肉の残りをフィンに渡した。フィンが受け取って、地面に伏せたまま食べた。口の動きが速い。1層の肉と明らかに違う食べ方だ。
ヨーヘイ:(こいつにも分かるんだな、格の違いが)
◆ ギルド・換金
番兵の記録を持ってギルドへ向かった。
ミナさんがカウンターで書き物をしていた。2人と1匹が入ってきたのを見て顔を上げた。ヨーヘイが素材を出すと、ミナさんが一つずつ確認し始めた。
E魔石正規に触れたところで、指が一瞬止まった。
すぐに動き始めた。止まったのは本当に一瞬だった。でもヨーヘイは見ていた。
ミナ(受付):「イワハサミの甲羅と爪、2層の素材ですね。確認します」
ヨーヘイは何も言わなかった。ミナさんも何も言わなかった。それだけのことだった。
ミナ(受付):「合計、47枚になります。E魔石正規が12枚、甲羅素材が8枚、爪が6枚、ドウクモグラ3体分の素材合計21枚です」
ヨーヘイ:「ありがとうございます」
銅貨を受け取った。手持ちが532枚になった。
ヨーヘイ:(500枚を超えた)
馬車代が1,800枚から。今は532枚。まだ先は遠い。でも500枚という節目を越えたことが、数字として出た。
◆ 村への道
帰り道は、2人と1匹が並んで歩いた。
村の入口が見えてきたところで、リリアが少しだけ歩を緩めた。
リリア:「……レンさん」
ヨーヘイ:「はい」
リリア:「……ノックスの盾、探すのは、まだ先になりそうですね」
声が少し違った。独り言に近い。こちらへの問いかけではなく、自分への確認だ。
ヨーヘイ:「今は、ここにいる理由がある。それじゃ駄目ですか」
リリア:「……駄目じゃないです」
それだけだった。でも足が少し速くなった。
リリアが右手を一度だけ見た。
リリア:「……今日も、出なかったですね」
ヨーヘイ:「次、出る時に備えておきましょう」
村の灯りが近くなってきた。
フィン:「キュウッ!」
フィンが歩きながら後ろを振り返った。来た道の方向だ。ウラベダンの方向だ。
ヨーヘイ:(まだミソのことを考えてる。俺も同じだ)
甲羅がまだ収納にある。ハサミもある。ハサミはどう料理するか。今夜の考え事はそれだけだった。
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【第29話 リザルト&ステータス】
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▼ ヨーヘイのステータス(本話終了時点)
Lv:7 HP:180/180 MP:96/96
スキル熟練度(本話で動いたもの):
・《料理》Lv2 熟練度 32/100(+6)
・《瞬歩》Lv1 熟練度 31/100(+3)
・《解体》Lv2 熟練度 24/100(+3)
・その他:変動なし
▼ 本話の収支
・換金:イワハサミ素材+E魔石正規×1+ドウクモグラ素材(3体分)+47枚
・本話終了時手持ち:532枚
▼ 収納アイテム(前話からの変動分)
・今話討伐分:換金済み
・残留:イワハサミ甲羅(使用後)・ハサミ・腹肉残量
・変動なし:前話からの持ち物は変わらず
▼ 本話の出来事
・イワハサミ2体討伐。2層では昨日の動きがすでに体に入っていた。
・帰路でスキルの連携が起きた。踏み込みながら狙いが決まっていた。
・入口広場でミソを甲羅ごと本調理した。炙っただけとは別のものになった。バルドが「ミソ、また頼む」と言った。
・手持ちが500枚を超えた。
▼ ヨーヘイの考察
解析さん、記録します。
2層に戻りました。昨日は怖かった場所が、今日は知っている場所になっていました。イワハサミを2体、リリさんと2人で仕留めました。帰り道で、踏み込みながら狙いが決まる感触がありました。繋がった、と思いました。
ミソを本調理しました。甲羅を器にしました。発酵液を少し入れて、下から熱を通す。炙っただけのものと、全然違うものになりました。ガンツさんが甲羅ごと持っていきました。
2層の肉は1層と同じルールが使えません。素材の旨みの密度が違うから、タレの比率も変わってきます。次は腹肉をもっと丁寧に試します。ハサミはまだ手をつけていません。
手持ちが532枚になりました。馬車代まではまだ遠いです。でも500枚を越えました。
リリさんが歩きながら「ノックスの盾、探すのはまだ先になりそう」と言いました。「今は、ここにいる理由がある」と返しました。足が速くなりました。
記録、ここまで。




