第28話 でかいやつと、正面から
◆ ウラベダン・二層入口
石段を降りる前に、一度だけ上を見た。
一層の天井だ。昨日も見た。でも今日は違う目で見ている。昨日は初めて来た。今日は戻ってきた。同じ石段でも、足の置き方が違う気がした。
フィンが先に降りていた。石段の途中で止まって、耳を動かしている。昨日と同じ場所だ。でも反応が昨日より早い。
解析の声:「……昨日の個体、同じ場所にいます」
ヨーヘイ:(昨日見た位置だ。動いていない)
静止中は感知が難しい——昨日、解析さんがそう言っていた。でも今は分かる。壁の向こうに、触覚が動いているものがいる。
フィン:「キュウッ!」
警戒だ。昨日と同じ鳴き方だった。でも体が低くなっていない。食欲の「キュウッ!」に近い。フィンはもう、あれが食えると知っている。
ヨーヘイ:「分かってる。食えるかどうかは倒してから考える」
最後の石段を降りた。2層の空気が来た。岩の匂い。乾いているのに重い。昨日感じたのと同じだ。でも昨日より肺が止まらなかった。
ヨーヘイが「(どう入る)」と考え始めたところで。
解析の声:「……正面から来ます」
ヨーヘイ:(また先に言ってきた)
昨日は「聞いてない、まだ考えてる途中だ」と思った。今日は違う。先に言ってくるなら、それで動く。それだけだ。
正面を見た。岩だ。昨日も岩に見えた。でも今日は——触覚が動いている。
イワハサミが、起き上がった。
◆ ウラベダン・二層 イワハサミ戦
動き出した瞬間が、速かった。
静止している時とは別の生き物だ。扁平な体が地面を滑るように接近してくる。ハサミが大きい。体の半分ほどの大きさのハサミが、開きながら来る。
《瞬歩》で右に抜けた。
甲羅の側面に中剣を入れようとした。弾かれた。手に衝撃が走って、刃が滑った。
ヨーヘイ:(硬い。正面から削れない)
甲羅の表面が岩肌と同じ色をしている理由が分かった気がした。同じ硬さなのだ。岩に剣を当てても削れないのと、理屈は同じだ。
距離を取った。イワハサミが向き直る。触覚が動いている。目がないのに、こちらを追っている。
解析の声:「……腹部継ぎ目、確率61%」
ヨーヘイは一瞬止まった。
ヨーヘイ:(%で出てきた)
今まで「弱点は首の付け根です」「腹部が狙い目です」という言い方だった。今日は数字で来た。61%。確率。解析さんが数字で急所を出した。
ヨーヘイ:(どういう計算をしてるんだ、この人は)
でも従う。61%なら半分以上当たる。腹部継ぎ目を狙う。
問題は、腹部を狙うには甲羅を起こす必要があることだった。イワハサミが地面に張り付くように構えている限り、腹は見えない。
ヨーヘイ:(リリさん)
声に出さずに視線を送った。リリアが頷いた。言葉は要らなかった。
ヨーヘイが正面に出た。ハサミが来る。《瞬歩》で左に抜けながら、わざと甲羅に剣を当てた。弾かれた。また来る。また弾かれる。誘っている。
イワハサミが向き直ろうとした。その瞬間、右から槍が来た。
リリアの穂先が、甲羅と腹部の継ぎ目に入った。
イワハサミが止まった。甲羅が浮き、腹が見えた。
解析の声:「……2手先、右から来ます。確率73%」
ヨーヘイ:(2手先?)
今まで「次の一手」しか言わなかった。次の次まで読んだ発言は、今日が初めてだった。73%。
右から来る。2手先に。
従った。右に体を寄せた。イワハサミのハサミが左を薙いだ。当たらなかった。次の動きが来た——右だ。
ヨーヘイ:(当たった!!)
右に来た。解析さんの言った通りに来た。《瞬歩》で踏み込んだ。腹部が開いている。甲羅の下に中剣を通した。
手応えがあった。甲羅の外側ではなく、中に入った感触だった。
イワハサミが止まった。触覚の動きが消えて、静かになった。
息が上がっていた。でも乱れていない。リリアも同じだった。槍を構えたまま、イワハサミを見ている。
ヨーヘイ:(倒した)
思えばここまでの話だ。でかくて硬くて速い相手だった。それだけだ。
足元でフィンが鳴いた。イワハサミの腹に鼻を押しつけて、動かない。尻尾が高速で揺れている。
フィン:「キュウッ!」
解析の声:「……食用可能です。ミソが特徴的な風味を持ちます」
ヨーヘイ:(解析さんも食べたそうな言い方をする)
甲羅と腹の継ぎ目に指を入れた。起こせる。腹を開いた。ミソが見えた。濃い橙色だ。磯の匂いではない。岩の匂いに似た、乾いた香りがした。
少量だけ取り出して、収納から短い鉄串を出した。火を起こして、あぶった。
口に入れた。
濃い。甲羅の外から想像できない濃さだった。苦みがある。でもその奥に旨みがある。蟹味噌より重くて、牡蠣より乾いている。何かに似ているが、何にも似ていない。
ヨーヘイ:(これは、手をかけたら化ける)
フィンが横から顔を突っ込もうとした。
ヨーヘイ:「お前はもう少し待て」
フィン:「キューン」
甲羅・ハサミ・腹肉・残りのミソを収納に入れた。解体は広場でやる。
◆ ウラベダン・入口広場
番兵に退場を告げて、記録を取られた。
広場に出ると、岩底の三人がいた。装備は綺麗だ。今日はまだ潜っていない。出発前か、それとも戻ってきたばかりか。
バルドさんがヨーヘイを見た。装備を見た。イワハサミの甲羅のかけらが中剣の鍔に引っかかっている。視線がそこで止まった。
バルド:「……昨日、初めて来たんじゃなかったのか」
ヨーヘイ:「そうです」
バルドさんが少し間を置いた。
バルド:「……そうか」
それだけだった。問い詰めない。褒めない。ただ頷いて、視線を広場の奥に戻した。
ヨーヘイ:(この人が「そうか」と言った)
昨日、イワハサミを見て引いた時、バルドさんが頷いた。今日倒して戻ってきたら「そうか」と言った。褒め言葉ではない。でも何か、確認のような一言だった。
ミラ:「ミソ取れたか」
ヨーヘイ:「少し」
ミラ:「マジかよ。あれ、ちゃんと火通さないと腹壊すぞ」
ヨーヘイ:「さっき炙りました」
ミラ:「……それだけか」
ヨーヘイ:「それだけです」
ミラ:「食わせろよ」
ヨーヘイ:「今は少ししかないです」
ミラ:「……次来た時」
ヨーヘイ:「次来た時に」
ミラさんが鼻を鳴らした。ガンツさんがミラさんをちらっと見て、また前を向いた。
三人が潜入の準備を始めた。
ヨーヘイは広場の端に火を起こした。残りのミソを鉄串に乗せて、今度はゆっくり火を通した。脂が落ちた。香りが変わった。さっきより穏やかになって、奥が出てきた。
口に入れた。
さっきより柔らかい。苦みが抜けて、旨みだけが残った。全然違う。同じミソが、火の通し方だけでここまで変わる。
ヨーヘイ:(これだ。これが2層の味だ)
その瞬間、体の中で何かが弾けた。
Lv 6 → 7
ちから +1 たいりょく +1 すばやさ +2 きようさ +3 ちょっかん +2
HP・MPの数字が更新されていた。ヨーヘイは確認して、もう一度ミソを見た。
ヨーヘイ:(さっき少し食べた時は来なかった。ちゃんと火を通したら来た)
偶然かもしれない。たまたま討伐後の何かが溜まったタイミングが今だっただけかもしれない。でも——
ヨーヘイ:(解析さん、なんで食べた後にLvが上がった?)
解析の声:「……業務の範囲内です」
ヨーヘイ:(その答えは何も教えてくれない)
フィンが串の残りに鼻を押しつけた。少しだけ分けた。フィンが丁寧に食べた。
フィン:「キュッ」
帰り支度をしながら、リリアを見た。右手だ。今日の戦闘中、一度も光らなかった。
リリア:「……今日は出なかったですね」
ヨーヘイ:「そうでしたね」
それだけだった。でもリリアが自分から言った。意識していた、ということだ。
少し歩いたところで、リリアが口を開いた。
リリア:「……槍、役に立ちましたか」
ヨーヘイは一歩止まった。
ヨーヘイ:「役に立ちました」
言ってから、もう少し正確に言おうと思った。
ヨーヘイ:「あなたがいないと、倒せなかった」
リリアが黙った。前を向いたまま、少し間があった。耳が——金髪の奥で、少し赤くなっていた。
村への道を歩き始めた。
解体しながら、断面を見ていた。甲羅を外した腹側だ。外側は岩肌と同じ色をしていた。でも中は違った。
白かった。
意外なほど、白かった。
ヨーヘイ:(蓮。パパな、外側が全然違う相手を倒した。中身は、白かった)
5歳の息子が「ふーん」と言う顔が浮かんだ。あの子はきっと甲羅の方に興味を持つ。触りたがって、美咲に止められる。
道が続く。村の灯りが見えてきた。
また来る。次はミソをちゃんと料理する。甲羅も使えるかもしれない。ハサミも。
2層の空気が、まだ服に染みている気がした。
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【第28話 リザルト&ステータス】
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▼ ヨーヘイのステータス(本話終了時点)
Lv:7 HP:180/180 MP:96/96
スキル熟練度(本話で動いたもの):
・《瞬歩》Lv1 熟練度 28/100(+6)
・《解体》Lv2 熟練度 21/100(+4)
・その他:変動なし
▼ 本話の収支
・換金なし
・本話終了時手持ち:485枚
▼ 収納アイテム(前話からの変動分)
・追加:イワハサミ(甲羅・ハサミ・腹肉・ミソ)
・変動なし:前話からの持ち物は変わらず
▼ 本話の出来事
・2層のイワハサミを討伐した。解析さんが「2手先、確率73%」と言った。従ったら当たった。
・リリアの槍が決め手になった。あなたがいないと倒せなかった、と伝えた。
・ミソを火にかけた直後にLv7になった。なぜかは分からない。解析さんは教えてくれなかった。
▼ ヨーヘイの考察
解析さん、記録します。
甲羅の外側は岩と同じ色でした。中身は白かったです。外側だけ見ていたら、何も分からなかった相手でした。
ミソは炙っただけと、ゆっくり火を通したものとで、全然違いました。同じ素材が、火の通し方だけでここまで変わります。手をかけたら、もっと化けると思います。
リリアさんの槍がなければ、腹部の継ぎ目には届きませんでした。2人でないと倒せない相手でした。それは、ちゃんと伝えました。
ミラさんに「次来た時に」と約束しました。次は、ちゃんと料理したものを持っていきます。




