第24話-1 地下で、焼いた — 扉の前に、何かいた
◆ ドンネの工房
ファスト村の南西、路地の突き当たりに、その建物はあった。
煙突から煙が出ている。朝の時間から炉が動いている。金属と炭の匂いが路地まで漏れていた。看板も表札もない。でもそれが目印だとラルフさんは言っていた。「看板のない鍛冶場がそこしかないから」と。
扉を叩いた。返事がなかった。もう一度叩くと、内側から重い音がして開いた。
開けた人間は背が低かった。ヨーヘイの胸あたりまでしかない。でも横幅は二倍ある。赤茶の髪と、同じ色の長い髭。髭が胸のあたりまで伸びていて、革エプロンの上に落ちていた。腕が太い。手が厚い。指の節が岩のように盛り上がっている。
目が封筒を見た。
ドンネ:「……ラルフか。入れ」
工房は広かった。炉が奥で鈍いオレンジに光っている。壁に工具が並ぶ。ハンマーが大小五本、やすりが何種類か。床に焦げた痕が何か所かある。フィンが鼻をひくつかせた。金属と炭と油の匂い。フィンには初めての組み合わせだろう。
ドンネが作業台の椅子に座った。
ドンネ:「話せ」
ヨーヘイは馬車型の焼肉屋について話した。荷台に鉄板を固定して、下で火を起こす。煙を上に抜く筒が要る。食材は収納から出す。客は馬車の横に立ってもらう。ドンネは一度も遮らなかった。目だけが手元と顔を交互に見ていた。
ドンネ:「……タレがある、と聞いた」
ヨーヘイ:「あります。試してもらえますか」
収納から小皿を出して、タレを少量移した。ドンネが指先に取って舌に乗せた。
そこで動きが止まった。
視線が作業台に落ちる。親指で小皿の縁を一度だけ回す。炉の低い唸りだけがしていた。それ以外は何もなかった。
十秒ほどが経った。
ドンネ:「……悪くない」
ヨーヘイ:(ラルフさんに聞いていた。ドンネさんの「悪くない」は、最大級の褒め言葉だと)
声には出さなかった。でも胸の中で何かが動いた。発酵液を初めて手に入れた日から、タレを三回作り直して、ラルフさんに「絶対に売れます」と言われた日まで。全部が「悪くない」の四文字に、きちんと届いた。
その瞬間、フィンが工房の奥に向かって歩き出した。
声にする前に、目標が分かった。ドンネの髭だ。
椅子に座ったドンネの顔の前まで来て、鼻を伸ばした。赤茶の長い髭が、フィンの視野いっぱいに広がっているはずだ。
ドンネが視線だけでフィンを見た。それから人差し指を一本出した。ごつい指の先で、フィンの額をそっと押した。
ドンネ:「……触るな」
フィン:「キューン」
フィンが後退してヨーヘイの足元に来た。耳が半分下がっている。リリアの肩が、わずかに揺れた。声は出ていない。でも笑っている。
ヨーヘイ:(あのごつい手で、指一本で止めるのか)
ドンネ:「鉄板と煙突と固定具。三点で銀貨五から八枚。先払いで半分を持ってこい」
ヨーヘイ:(二百五十から四百枚が先に出ていく。手持ちは三百十六枚。馬車代がまだない)
ドンネ:「馬車は自分で調達しろ。枠だけ持ってきたら採寸する」
ヨーヘイ:「分かりました」
ドンネ:「……急ぐな。変なものを買ってくるな」
作業台に向き直った。話が終わった、という意味だった。
工房を出た。路地に出ると炉の熱気がすっと引いた。朝の空気が冷たかった。
ヨーヘイ:(資金が倍になっても、まだ足りない可能性がある。でも「悪くない」と言われた。今日は、それで十分だ)
◆ 路地・昼前
ギルドへ向かって村の中を歩いていた。クロアシイタチの解体チケットを使う予定がある。換金して、ミナさんにダンジョンの申請もしておきたい。
路地を曲がった時、何かが変わった。
音ではない。匂いでもない。空気の密度が、何かを含んでいる気がした。言葉にならない違和感だった。
フィンが前を歩いていた。その足が、ぴたりと止まった。尾が伸びる。耳がゆっくりと上を向く。
フィン:「キュウッ!」
警戒だ。食欲ではない。明確な、警戒の声だ。
ヨーヘイ:(解析さん)
解析の声:「……前方と左の路地、2体。冒険者以上の身体能力。冒険者、ではありません」
ヨーヘイ:(昼間に村の中に入ってきた)
リリアが歩調を変えずに横に来た。槍を身体に沿わせながら、持ち方だけが変わっている。
二十歩先の路地の角から、二人が出てきた。
一人は細い。三十代くらいで黒っぽい服を着ている。腰に短剣を二本下げていた。動きに無駄がない。目が笑っていない。もう一人は大柄でフードを深く被っている。腰に、青白くかすかに光る何かを下げていた。
男A:「ヨーヘイ・レン。おとなしく来い。傷はつけない」
ヨーヘイ:(名前を知っている。依頼主の名前は言わない。「傷はつけない」——殺さない指示がある。でも連れていく気はある)
ヨーヘイ:「誰の依頼ですか」
男A:「……関係ない」
ヨーヘイ:(答えない。プロだ)
リリアが前に出た。槍を構える。
リリア:「……行きません」
ヨーヘイ:(また言った。あの日と、同じ言葉だ)
男Aが踏み込んできた。速かった。以前の追っ手より、動きが洗練されている。
《瞬歩》を踏んで右に抜ける。蒼魔鉄中剣を引いた。金属の音が路地に響く。
男Aが追ってくる。リリアが男Bの方を向いて槍を構えている。
男Aの短剣が来た。受けると力で押される。横に捌いて《瞬歩》で間合いを作る。
その瞬間だった。
男Bが腰の魔道具に手をかけた。
青白い光が弾けた。閃光だ。路地全体が一瞬、昼間よりも明るくなった。目を細める間もなかった。
リリアがヨーヘイの前に出た。槍を胸の前でかざした。それだけの動作だったのに——リリアの手から、白い光が滲んだ。
光が、形を作った。薄い膜のように、リリアの前に広がった。輪郭が揺れている。制御できていない。でも確かにそこにある。閃光が光の膜に当たって、砕けた。路地に白い破片が散るように見えて、それが消えた。
シールドだ、とヨーヘイは思った。あの閃光を、受け止めた。
でもリリアの膝が、ぐらついた。
ヨーヘイ:(消耗した——)
その一瞬の隙に、男Aが動いた。踏み込みが来る。受けようとした。間に合わなかった。
脇腹に、熱が走った。
深くはない。でも確かに入った。血が滲んでいる。
ヨーヘイ:(刺された。動ける——でも深さが分からない)
左手を収納に差し込んだ。ポーションの小瓶を掴む。引き出した瞬間、男Aの蹴りが右腕に入った。
手から瓶が飛んだ。
石畳に当たる音がした。高く、短い音だった。
瓶が砕けていた。薬液が地面に広がっている。光を拾って、青白く光っていた。
ヨーヘイ:(割れた)
ヨーヘイ:(1本しか、なかった)
男Aが踏み込もうとした。
リリアが走ってきた。
何も言わなかった。考えるより先に、足が動いていた。駆け寄りながら、ヨーヘイの脇腹に手を当てた。手のひらで、ただ押さえるように。
リリア:「……治って」
声に出ていた。
白い光が、リリアの手から滲んだ。今までの光とは、違った。路地を照らすような広がりではない。ヨーヘイの脇腹の、その一点に向かっている。小さくて、でも確かに方向がある光だった。
脇腹の熱が、わずかに引いた。血が止まっている感触があった。
ヨーヘイ:(……止まった。血が)
男Bが後退した。シールドとヒール、二発を見た顔だ。腰の魔道具に手がいかなかった。
男Aと男Bが目を合わせた。一秒も経たずに、何かが決まった。
男A:「……今日は引く」
二人が路地の奥に消えた。足音が遠ざかって、やがて聞こえなくなった。
解析の声:「……離脱しました。完全に離れました」
フィン:「キュッ」
確認の声だ。大丈夫か、という声だ。
ヨーヘイは脇腹に手を当てたまま、石畳に片膝をついた。リリアがしゃがんで、ヨーヘイの手の上に自分の手を重ねた。
リリア:「……痛いですか」
ヨーヘイ:「痛いです。でも動けます」
少し間があった。路地に風が入ってきた。
ヨーヘイ:「今の——自分で出したんですか」
リリアが自分の手を見た。光は消えている。でも手のひらを、まだ何かを確かめるように見ていた。
リリア:「……治したくて、手を当てました。そうしたら、出ました」
ヨーヘイ:(「出た」じゃない。「治したくて、手を当てた」が先にあった。意思が、光より先に来た)
ヨーヘイ:(今までは全部「気がついたら出ていた」だった。今日は違う。順番が逆だ)
ヨーヘイ:「よかったです。ありがとうございます」
リリアが短く頷いた。
地面に広がった薬液を見た。青白い液体が石畳の目地に沿って広がっている。もう使えない。
ヨーヘイ:(1本しかなかった。次は複数持つ——コンビニで飲み物を1本しか買わなかった日に限って喉が渇く。あの法則が異世界にもある)
解析の声:「……ポーション不足です」
ヨーヘイ:(今の状況を見て言いますか)
解析の声:「……業務の範囲内です」
ヨーヘイ:(その一言で全部解決するな)
立ち上がった。脇腹はまだ熱いが、動ける。フィンが足元に来て、鼻をヨーヘイの手に押し当てた。
フィン:「キュッ」
ヨーヘイ:(お前が一番早かった。ちゃんと知ってる)
◆ ギルド
ミナさんが報告書を開いた。ヨーヘイが話す間、一度も顔を上げなかった。書きながら聞いていた。
書き終えて、羽ペンを置いた。
ミナ(受付):「……記録しました。村内での武力接触は珍しい。ベルネのギルドマスターにも、一報が入ります」
ヨーヘイ:(ガロンさんか。あの人がまた俺の記録を見る)
ミナ(受付):「お怪我は」
ヨーヘイ:「問題ないです」
ミナが一瞬だけ脇腹を見た。袖で隠れている。何も言わなかった。でも目が少し険しくなった気がした。
クロアシイタチの解体チケットを出した。解体場に回した後、しばらくして精算が戻ってきた。毛皮と爪と魔石二個。合わせて四十七枚になった。手持ちが三百六十三枚になる。
ヨーヘイ:(少し動いた)
ヨーヘイ:「ウラベダンの申請をしたいのですが」
ミナが止まった。確認している顔だ。
ミナ(受付):「Fランク以上で一層まで可能です。二層以降はEランク推奨。申請書を書いていただけますか」
名前、ランク、入場予定時刻、人数。記入して渡した。
ミナ(受付):「セーフティゾーンに管理兵が常駐しています。入退場の記録をしますので、帰りにも声をかけてください」
ヨーヘイ:「分かりました」
ミナ(受付):「……無理はしないでください」
業務的な言い方だった。でも少し重みがある言い方だった。
ヨーヘイ:「しません」
申請書を渡して、ギルドを出た。
脇腹に手を当てた。包帯の上から確かめるように。リリさんのヒールで止血はできている。痛みは残っているが、動ける。
ヨーヘイ:(申請が通った)
空を見た。昼を少し過ぎた位置に日がある。まだ時間がある。
ヨーヘイ:(ウラベダン。地下に何があるか、まだ分からない。でもどうせ明日も明後日も潜る場所だ)
東の方角に目をやった。村の外れの先に、岩が増える地帯がある。あの奥だ、とミナさんに教えてもらっていた。
ヨーヘイ:(今日、最初の一歩を踏んでおく)
脇腹がまだ熱い。でも足は動く。
ヨーヘイ:(行こう)
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【第24話-1 リザルト&ステータス】
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▼ ヨーヘイのステータス(本話終了時点)
Lv:4 HP:110/135(脇腹刺し傷・リリアのヒールで止血済み) MP:60/60
スキル熟練度:
・《解析》Lv1 熟練度 84/100(+1)
・《収納》Lv1 熟練度 38/100(±0)
・《採取》Lv1 熟練度 57/100(±0)
・《解体》Lv2 熟練度 12/100(+3)★クロアシイタチ解体
・《料理》Lv2 熟練度 8/100(±0)
・《従魔契約》Lv1 熟練度 20/100(±0)
・《瞬歩》Lv1 熟練度 12/100(+2)★追っ手接触・実戦使用
・《二刀流》Lv1 熟練度 0/100
▼ 本話の収支
・クロアシイタチ換金:+47枚(F魔石×2:22枚・毛皮・爪:25枚)
・本話終了時手持ち:363枚
▼ 収納アイテム(本話終了時)
・蒼魔鉄中剣×1 ・短剣×1(予備) ・包丁×1 ・採取へら×1
・冒険者証(Fランク)
・ポーション×0(割れて消費)
・解毒薬×1
・タレ完成品(辛根入り・本完成版):少量 ・各種食材(収納保管)
・クロアシイタチ肉(解体後・残量)
・ラルフの紹介状(使用済み)
・リリア所持:木製柄+鉄穂先の槍×1
▼ 本話の出来事
・ドンネ工房訪問。タレ「悪くない」評価。改造費銀貨5〜8枚・先払い半分と確認
・追っ手:昼間に本格接触。男A(短剣2本)・男B(魔道具持ち)
・リリア魔法発現:シールド+ヒール(「治したくて手を当てた」・初の自覚)
・クロアシイタチ換金:+47枚
・ウラベダン入場申請完了・今日の午後に入ることを決意
▼ リリア魔法記録(本話時点)
・発現:シールド(咄嗟)→ヒール(意思あり)の2段階
・自覚:「治したくて、手を当てました。そうしたら、出ました」
▼ ヨーヘイの考察
解析さん、記録します。
ドンネさんに会いました。タレを試してもらいました。「悪くない」と言われました。ラルフさんに聞いていた通り、最大級の褒め言葉です。改造費は銀貨五から八枚、先払いで半分。まだ足りません。でも今日は、それで十分です。
昼間に来ました。二人。ポーションを落として割りました。一本しかなかったです。リリさんが走ってきました。「治って」と言ったら光が出ました。「出た」じゃなくて「手を当てたら出た」という順番でした。記録します。
ウラベダンの申請が通りました。今日の午後、入ります。
記録、ここまで。
【第24話-1】地下で、焼いた ― 扉の前に、何かいた
「……治したくて、手を当てました。そうしたら、出ました」
ドンネさんの「悪くない」は、タレを三回作り直した全部に届きました。
昼間の路地で追っ手が来ました。ポーションが割れました。リリアが走ってきました。「治って」と言ったら光が出ました。「出た」じゃなくて「手を当てたら出た」という順番でした。その違いが、大事なんだと思います。
ウラベダンの申請が通りました。




