第20話 ベルネ ― 甘いやつを、探す
◆ ベルネ・城門
城門が見えた頃には、もう匂いが違った。
焼けた脂の甘さと、干した魚の塩気と、知らない香草の刺激が混ざって、街道の風に乗ってくる。ファスト村にはなかった、人間が積み重なった場所の匂いだ。現代で言えば、夕方の商店街に似ている。懐かしいとも言い切れない、でも悪くない感じ。
ヨーヘイ:(解析さん。規模は)
解析の声:「人口、推定二千前後。商業密度、ファスト村の三倍超。ギルド・市場・宿、複数確認」
ヨーヘイ:(七倍か)
ファスト村は三百人届くかどうかだった。その差が、城門の大きさにそのまま出ている。石の積み方が違う。一段一段が分厚く、目地が均一で、長い年月を想定して作られた石組みだ。衛兵が左右に二人立って、馬車の列を淀みなく流している。仕事に慣れた動きをしている。
ベルタ:「どう、ベルネ? 初めてでしょ?」
ヨーヘイ:「広いです」
ベルタ:「三日かけた甲斐があるってもんだよ! 明日は市場を案内するから楽しみにしてな!」
城門をくぐった。石畳に車輪が乗った瞬間、振動の質が変わった。土の街道より硬く、整っている。響き方が違う。
荷台でリリアが外を見ていた。目を細めているのに、瞳が澄んでいる。多すぎる情報を一つずつ確かめようとしている、そういう目だ。フィンは耳をぴんと立てて、鼻を細かく動かしていた。匂いが多すぎて選べていない顔だ。
フィン:「キュウッ!」
ヨーヘイ:(順番に行け。一個ずつだ)
城門を抜けたところで、四天王と別れた。クレイが荷台から降りて、ヨーヘイの前に立つ。
クレイ:「……三日、悪くなかった」
それだけ言って、振り返らずに歩いていった。ガドが「また絶対に行こうな!!」と大声でついていく。シアが一度だけこちらを振り返って、何かを言いかけてやめた。ピナが手を振った。笑顔だった。
ヨーヘイ:(……「悪くなかった」か)
クレイの語彙の中で、それがどの辺に位置するのか。たぶん上の方だ。たぶん。
◆ ベルネギルド・報酬受取
宿を確保してから、ギルドへ向かった。
扉を開けた瞬間、音が変わった。ファスト村のギルドが一室の診療所なら、ここは総合病院の受付フロアだ。カウンターが三列並び、それぞれに冒険者が連なっている。奥に査定窓口が別にある。天井が高く、声が少し反響する。掲示板の前に十数人がたむろして、依頼票を取り合っている。
リリアが隣で、少し呼吸を止めた。
リリア:「……大きいですね」
ヨーヘイ:「三倍らしいです」
リリア:「……三倍」
フィン:「キュッ」
一番右のカウンターへ向かった。
受付が顔を上げた瞬間、ヨーヘイは思わず目の置き場を考えた。
長い黒髪が、制服の衿に沿って流れている。切れ長の目は涼しいが、唇の端が柔らかく上がっていて、それが顔全体の印象を和らげている。制服は胸元が大きく開いた仕様で——台帳を取り出すために、カウンターの奥へ上体を傾けた瞬間、生地がそのまま開いた。
視界に、白い。
深い。
目線が止まった。止まったと分かっている。それでも止まった。
ヨーヘイ:(……待て)
ヨーヘイ:(44歳だ。妻帯者だ。もう二十年近く社会人をやっている)
ヨーヘイ:(……それでも物理は物理だ)
解析の声:「……」
三秒、完全に黙った。
解析の声:「報酬の受取を、早めることをお勧めします」
ヨーヘイ:(業務で包んでも分かる)
解析の声:「……業務の範囲内です」
ヨーヘイ:(逃げ足が速い)
解析の声:「……」
ヨーヘイ:(その沈黙、見ていたってことだろ)
解析の声:「……業務に支障はありません」
ヨーヘイ:(支障がないのは分かった。問題はそこじゃない)
ルナが台帳を広げ、日付と人数を照合した。指の動きが滑らかだ。慣れている。
ルナ(受付):「確認が取れました〜。マスターをお呼びしますね〜」
そう言って、ふわりと微笑んだ。笑い方が丁寧だ。仕事の笑顔と分かっていても、悪くない。
奥の扉へ消えた。
一分ほどして、扉が開いた。
最初に感じたのは、圧だった。
身長は190を超えている。首が太い。両腕が、制服の袖を内側から押し広げている。顔の右側に古い傷跡が一本、目の下から顎まで走っている。それが、顔の作りそのものより先に目に入った。表情がない。というより、表情という概念を必要としていない顔だ。ルナの隣に立った瞬間、空気の密度が変わった。
ガロンがヨーヘイの冒険者証を受け取る。見た。
一瞬、止まった。
本当に一瞬だ。表情は動かない。でも、カードを持つ指が、ほんのわずかに静止した。次に依頼票へ目を落とし、E魔石(中)の記録欄で再び止まる。今度は少し長い。
それを、悟られないように次の欄へ移った。
ガロン(マスター):「……Fランクか」
批判でも、褒めでもなかった。ただ、口の中で事実を確かめるような声だった。低く、短い。その一言の中に、何か別のものが入っていた気がした。
ヨーヘイは「はい」を出すのに一瞬遅れた。言葉の重さが、まだ測れなかった。
ヨーヘイ:「……はい」
ガロンは何も言わない。台帳に何かを書き、銀貨を二枚取り出した。
ガロン(マスター):「受け取れ」
渡して、奥へ戻った。足音が、石畳の向こうまで響いた。
ルナ(受付):「お疲れ様でした〜。またいつでもどうぞ〜」
笑顔は変わっていない。ギルドを出ると、リリアが静かに言った。
リリア:「……あの方、強い人ですね」
ヨーヘイ:「元Aランクらしいです」
リリア:「……やっぱり」
フィン:「キュッ」
ヨーヘイ:(「……Fランクか」か)
石畳の上を歩きながら、その一言が頭の隅に貼りついていた。値踏みじゃない。品定めでもない。何かを確認しようとしていた——あの目は、FランクではなくE魔石を見ていた。そっちに何かある、と思った。
◆ 市場・甘いやつを探す
翌朝、ベルタが先頭を歩く。
ベルタ(行商人):「商売人のことならベルタに任せな!」
鼻歌まじりで進んでいく。本人が一番楽しそうだ。
市場に入った瞬間、匂いが厚くなった。
脂が焼ける甘さ、香草の刺激、酢のような酸み、それに染みついた木と布の埃が混ざって、一本の太い柱になって通路を満たしている。屋台が左右に連なり、人の流れがその間を縫っていく。呼び込みの声、荷車の軋み、子供が何かを手にして走り去る足音。嗅いだことのない匂いが次々と引っかかって、処理が追いつかない。
フィン:「キュウッ!」
次の瞬間、フィンがヨーヘイの腕を抜けて走り出した。石畳を四本足で、一直線だ。迷いがない。
ベルタ:「あ、フィンちゃんどこ行く!!」
ヨーヘイ:「……行きましょう」
フィンが止まったのは、黄色い小さな果実を山積みにした屋台の前だった。鼻先を実に押しつけて、ひくひくとリズムよく動かしている。尾が一定のテンポで揺れている。完全に食い気の顔だ。
屋台の主人:「おや、鼻がいいねその子。ミツノミに反応してるよ」
ヨーヘイ:「ミツノミ」
屋台の主人:「噛むと蜜が出る実さ。子供のおやつによく出る。甘くてさっぱりしてて、後味がきれいだよ」
一粒、手のひらに乗せてもらった。親指の爪ほど。丸くて、表面がつるっとしている。黄色みがかった果皮に、薄く光沢がある。
口に入れて、奥歯で軽く押した。
蜜が溢れた。
甘い——でも重くない。べたっとした後引きがない。蜂蜜より軽くて、砂糖より輪郭がある。噛むたびに少しずつ出てきて、舌の上を流れていく。飲み込んだ後も、口の中に薄く残る。果実の甘さだ。素材の甘さだ。
ヨーヘイ:(……これだ)
解析の声:「糖分、高め。加熱により甘みが凝縮。発酵液との親和性、高い」
ヨーヘイ:(火を入れたら照りが出る。タレに使える)
ヨーヘイ:「一袋ください」
屋台の主人:「銅貨四枚だよ」
払って、収納へ入れた。フィンが「キュッ」と鳴く。
ヨーヘイ:「お前のおかげだ」
フィン:「キュッ」
尾が一度だけ、きれいに揺れた。
もう少し歩く。香草の並ぶ一角を抜けたところに、棚が出ていた。
瓶が並んでいる。透明なもの、琥珀色のもの、深い赤のもの。手書きの看板に「醸造酒・各種」とある。
ヨーヘイ:(醸造酒。甘みを持つ種類があれば、みりんの代わりになる可能性がある)
解析の声:「甘み成分を含む醸造酒、二種類確認。今日の試作後に比較することを推奨します」
ヨーヘイ:(……そうだな。ミツノミを入れてから判断する)
看板を頭に刻んで、通り過ぎた。
リリアが立ち止まっていた。棚の瓶を見ている。首をわずかに傾けている。
リリア:「……醸造酒って、お酒ですよね」
ヨーヘイ:「そうです。料理に使えるものを探しています」
リリア:「……料理に、お酒を」
ヨーヘイ:「旨みが出るんです。肉の臭みも消える」
リリアがしばらく瓶を見ていた。それから、静かに言った。
リリア:「……知りませんでした」
ヨーヘイ:(リリさんは驚く顔を隠さない。それがいい)
◆ 宿・タレ試作
部屋は小さかった。卓が一つ、窓が一つ。窓の外に市場の屋台の灯りが見えて、夕方の光が石畳をオレンジに染めている。
卓に素材を並べた。
発酵液の小瓶。刻んだガルニク草。コガネ草油の小壺。ミツノミ数粒。岩塩。それぞれを卓の上に置いていくと、今日一日がそこに集まってくる気がした。城門の匂い、ギルドのざわめき、市場でフィンが一直線に走った石畳。全部が今日の素材だ。
小鍋を火にかけた。発酵液を底に張り、ガルニク草を刻んで落とし、コガネ草油を一筋引く。ミツノミを三粒、指で潰してから鍋へ加えた。
しばらく、何も起きない。
鍋の中が静かに温まっていく時間だ。鍋底から細かい気泡が浮き始めた頃、最初に発酵液の酸みが立ち上がった。次にガルニク草の刺激が鼻を抜けて、それを追うようにコガネ草油の香ばしさが重なってくる。最後に、ミツノミの甘みが熱で溶け出した。
三つが、一つになっていく瞬間があった。
木べらで少量すくって、舌に乗せた。
塩気が先に来て、旨みが後を追う。ガルニク草の香りが鼻の奥を抜けてから、ミツノミの甘みが薄く広がった。薄いのに、消えない。舌の上でゆっくりと解けていく。
ヨーヘイ:「近い」
解析の声:「……はい」
一言だけだった。
鍋を見たまま、少しの間そのままでいた。「はい」という言葉が、思ったより重かった。発酵液を初めて手に入れた日から、ガルニク草の匂いに異世界の森で泣いた日から、コガネ草油をフィンが見つけた草地の焚き火まで——全部が今日この鍋の中に入っていて、解析さんはそれを知った上で「はい」と言った。
でも、何かが足りない。
飲み込んだ後に、タレが口の中で丸くならない。旨みが広がって、それで途切れる。届くはずの場所まで届かない。
ヨーヘイ:(アルコールだ。酒が入ると旨みが引き出される。みりんの丸みが、まだない)
解析の声:「醸造酒との適合、確認済みです。明日、試せます」
ヨーヘイ:(明日だ)
火を落として、鍋を端に置いた。
窓の外で、市場の音が少しずつ遠ざかっていった。屋台の灯りが一つ、また一つと消えていく。フィンが毛布の端で丸まっている。リリアは壁際で目を閉じて、静かに息をしていた。
ヨーヘイ:(蓮)
声には出さずに、呼んだ。
ヨーヘイ:(タレが近づいた。今日、甘みが入った。お前が嫌いな、くどい甘さじゃない。もっと薄くて、肉の脂と喧嘩しない甘さだ。明日、酒が入る。そうしたらもっと近くなる——お前が知ってる、あのタレに)
フィンが「キュッ」と一度鳴いて、また丸まった。
ベルネの夜が、窓の外で静かに深まっていく。
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【第20話 リザルト&ステータス】
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▼ ヨーヘイのステータス(20話終了時点)
Lv:4 HP:135/135 MP:60/60(自然回復)
スキル熟練度:
・《解析》Lv1 熟練度 78/100(+2)
・《収納》Lv1 熟練度 35/100(+1)
・《採取》Lv1 熟練度 54/100(+1)★ミツノミ採取
・《解体》Lv2 熟練度 9/100(±0)
・《料理》Lv1 熟練度 31/100(+3)★タレ試作2回目
・《従魔契約》Lv1 熟練度 17/100(+1)
・《瞬歩》Lv1 熟練度 9/100(±0)
・《二刀流》Lv1 熟練度 0/100
▼ 本話の収支
・護衛報酬受取:+200枚(銀貨2枚)
・ミツノミ購入:▲4枚
・20話終了時手持ち:339枚(143枚+200枚-4枚)
▼ 収納アイテム(20話終了時)
・蒼魔鉄中剣×1
・短剣×1(予備)
・包丁×1
・採取へら×1
・冒険者証(Fランク)
・ポーション×1
・解毒薬×1
・ガルニク草×4株(収納保管・一部使用)
・タレ試作品:少量(甘み追加済み・持ち越し)
・コガネ草の実:多数(収納保管)
・コガネ草油:少量(収納保管)
・ミツノミ:一袋(収納保管)★新規
・ボルガウ素材:毛皮×1・角×1・E魔石(中)×1
・ボルガウ肉(一部):タン・ハラミ・レバー・ハツ・ミノ・シマチョウ(収納保管)
・リリア所持:木製柄+鉄穂先の槍×1
▼ 本話の出来事
・ベルネ初到着
・四天王と解散(クレイの別れの一言)
・ベルネギルドで護衛報酬受取
・新NPC登場:ルナ(受付)・ガロン(ギルドマスター・元Aランク)
・ガロンがFランクカードを見て一瞬止まる
・市場でフィンがミツノミを発見・確保
・醸造酒の存在を確認(購入は次話)
・タレ試作2回目:甘み追加→解析さん「……はい」
▼ タレ開発状況(20話時点)
・確保済み:発酵液・コガネ草油・ガルニク草・ミツノミ(甘み)★新規
・未確保:醸造酒(みりん相当・次話確保予定)
・次のステップ:醸造甘味酒を確保してタレ試作3回目へ
▼ ヨーヘイの考察
解析さん、記録します。
ベルネに着きました。ファスト村の三倍です。カウンターが三つありました。
ギルドマスターのガロンさんに会いました。元Aランクだそうです。カードを見て、何か確認するような間がありました。何を確認したのかは分かりません。
市場でフィンがミツノミという実を見つけました。甘くて、加熱すると照りが出ます。タレに入れました。近くなりました。
解析さんが「はい」と言いました。覚えておきます。
でも、まだ足りない。醸造酒が要ります。明日、探します。
記録、ここまで。
【第20話】ベルネ ― 甘いやつを、探す
「……Fランクか」
ガロンさんはそれだけ言って、奥に戻りました。元Aランクの目が、カードではなくE魔石の記録欄で止まっていたことに、ヨーヘイはまだ気づいていません。
ミツノミという実を見つけた回です。フィンが一直線に走った。タレに甘みが入った。解析さんが「……はい」と言いました。この「はい」を書くために、13話からずっと書いてきました。




