第19話 草地の、でかいやつ ― 捨てるな、それ
◆ 草地・ボルガウ
ゆっくりとヨーヘイを見た。その目が「来る」と言っていた。
馬車を止めた。クレイが御者台から飛び降りる。
クレイ:「全員、降りろ。ベルタさん、馬を後ろに」
草地の向こうに、黒い塊が動いていた。
でかい。
ダークボアより重い。体高が人の頭ひとつ分は超えている。黒褐色の短毛が朝の光を吸い込んで、首から肩にかけての筋肉の盛り上がりが異常だ。頭に太い一本角。目が小さい。知性が薄い。それでも、あの体積が一直線に突っ込んできたら——と考えた瞬間、背中に冷たいものが走った。
ヨーヘイ:(解析さん)
解析の声:「Eグレード正規です。記録のない種。突進と頭突きが主攻撃。旋回が遅い。弱点は首の側面と脚の腱——《解体》Lv2で位置が見えています」
見えた。
首の側面に、一本の線が走っている。皮膚の下の構造が薄く浮き上がるように見える。Lv1の時には何もなかった場所に、今は標的がある。脚の付け根にも同じ線。ここを切れ、と体が先に理解した。
ヨーヘイ:(旋回が遅い。横に抜けられる。ただし——あの突進を正面で受けたら終わりだ)
クレイ:「ガド、正面。俺が側面。シア、脚を狙え。ピナ、支援。レンさんは——」
ヨーヘイ:「横に抜けます。《瞬歩》があります」
クレイ:「……脚の腱を狙えるか」
ヨーヘイ:「やります」
クレイが一瞬、こちらを見た。値踏みじゃない。確認だった。何かを判断して、頷いた。
クレイ:「行くぞ」
ガドが大盾を構えて前に出た。
魔物の目が、ガドを捉えた。
鼻息が変わった。低く、重く、草地に広がる音だ。
ヨーヘイ:(来る——)
地面が、揺れた。
突進の衝撃がヨーヘイの足元まで伝わってくる。ガドが大盾で受けた。めりこむ。草地に足跡が刻まれる。それでも止めた。信じられない。あの体重を、あの速度で——止めた。
クレイが側面から二刀を走らせる。金属が黒い毛皮を掠める音がした。シアの矢が脚の付け根を射る。ピナの魔法が光になって視界を叩いた。
一瞬、止まった。
頭が下がった。次は頭突きだ。
ヨーヘイ:(今しかない)
《瞬歩》を踏んだ。
世界が、ずれた。
一歩ぶんの距離が消えた。風の音が消えた。草を踏む自分の足音だけが、妙に近くから聞こえた。首の側面が目の前にある。《解体》Lv2の視界が光って見えた弱点の線——そこへ、蒼魔鉄中剣を差し込んだ。刃が吸い込まれるような手応えがあった。骨に当たる前に止まれた。急所だ。
魔物が低く鳴いた。長く、重い声だった。
クレイが反対側から踏み込む。ガドが盾を押した。体勢が崩れる。シアの矢が腱に刺さった。
倒れた。
草地に、重い音がした。地面が揺れた。馬車のベルタが「おっ」と声を上げるのが聞こえた。
静かになった。
ヨーヘイは息を整えた。心臓がまだ速い。《瞬歩》で踏み込んだ時の感覚が体に残っている——あの一瞬、世界から切り離されたような静寂。音が消えて、自分だけが動いていた時間。剣が吸い込まれた手応えが、まだ右手にある。
ヨーヘイ:(死ぬかと思った。正直なところ)
クレイ:「……思ったより動いた」
こちらを見て、一度だけ頷いた。それだけだった。でも、クレイが誰かに頷くのをヨーヘイは初めて見た。
ガド:「うまく決まったな!! 次はもっとでかいやつをやろう!!」
ピナ:「ヨーヘイさん速かった——!」
シア:「……《瞬歩》の精度が、想定より高い」
声には出さなかった。ヨーヘイは剣を鞘に戻しながら、息を一度だけ深く吐いた。
解析の声:「E魔石(中)を確認しました。素材価値、高いです」
ヨーヘイ:(分かってる。でも今俺が見てるのはそこじゃない)
魔物の腹を見ていた。
◆ 解体・捨てるな
クレイが素材の確認を始めた。角を触り、毛皮を確かめる。
クレイ:「角と毛皮と魔石だ。肉は置いていくか」
ヨーヘイ:「待ってください」
クレイ:「……内臓を食うのか」
ガド:「あれは臭くて食えないぞ!!」
シア:「魔物の内臓は——」
ヨーヘイ:(解析さん。菌チェックを)
解析の声:「全部位、問題ありません」
ヨーヘイ:「解析スキルで確認済みです。問題ありません」
クレイは三秒黙って、それから手を引いた。止めなかった。それがクレイなりの了承だった。
包丁を出した。解体を始める。
《解体》Lv2の視界で、部位の境目が線として浮いている。ここからここまでがタン。ここからがハラミ。刃を入れる前に答えが出ている。Lv1の時には見えなかったものが、今は全部ある。ダークボアやトリアシとは比べ物にならない肉量だった。
タン、ハラミ、ハツ、レバー、ミノ、シマチョウ。順番に切り出して収納に入れる。
レバーの断面が目に入った。
赤い。深い赤だ。鮮度が色に出ている。
ヨーヘイ:(……レバ刺しができる鮮度だ)
でも、油がない。ごま油に相当する何かが要る。岩塩だけじゃ惜しい。今じゃない——次だ。
収納に入れた。
ガド:「……本当に食う気か」
ヨーヘイ:「食います」
ガド:「……どんな味がする」
ヨーヘイ:「焼いてから言います」
ガド:「!!」
◆ コガネ草の実
解体を終えた時、フィンがいなかった。
草地の少し先で地面に鼻を押しつけている。尾が揺れている。食い気の時の動きだ。
ヨーヘイ:「何を見つけた」
フィンが振り返った。「キュウッ!」
草の根元に丸い種が散らばっていた。親指の爪ほど。黄みがかった色だ。
解析の声:「食用可能です。この地域では種のまま食します」
ベルタ:「コガネ草の実だよ。噛むと甘くてね、子供が好きなんだよねえ」
ヨーヘイ:(種のまま……待って)
手のひらに乗せた。脂が多そうだ。胡麻と同じ理屈が通るなら——
ヨーヘイ:「絞れますか」
解析の声:「……圧搾により油分が抽出できます」
布に種を包んで、平たい石で押した。じわ、と染み出してくる。黄みがかった油だ。鼻を近づけた。
香ばしい。深い。現代の記憶が鼻から先に来た。
ヨーヘイ:「……ごま油だ」
クレイ:「……油を絞った」
ベルタ:「噛んで食べるものじゃないの?」
ガド:「種から油が出るのか!!」
ピナ:「何でも知ってる——!」
シア:「……エルフの文化にも、そういう発想はない。種は食べるものであって、絞るものではない」
シアが少し黙った。「故郷」という言葉を測るような間だった。
解析の声:「油の品質、問題ありません」
ヨーヘイ:(よし。タレの香り軸が手に入った)
コガネ草の実を追加で集めた。フィンが横で「キュッ」と鳴く。
ヨーヘイ:「お前のおかげだ」
フィン:「キュッ」
尾が揺れた。
◆ 焚き火・ホルモン焼き
草地を抜けた先に、街道沿いの休憩地があった。石組みの炉が残っている。
ベルタ:「ちょうどいいね。昼飯にしようよ」
クレイが薪を集めた。ガドが火打石で起こし、ピナが魔法で送風した。焚き火が安定する。石を組んで即席の鉄板にした。
まずタンを出した。薄く、均等に切って並べる。
ジュッ。
音が弾けた瞬間、空気が塗り替わった。脂が熱い石に当たって霧散する匂いだ。肉の焦げじゃない。脂そのものが香りになって広がっていく。草地の風に乗って、どこまでも行く。
四天王が静かになった。全員の鼻が、同じ方向を向いていた。
タンを返す。焼き色が均一に乗った断面へ、岩塩をひとつまみ。コガネ草油を一筋。
ジュ——と低く鳴いた。油が石板で踊って、香ばしさの上に甘さが重なる。これはもう匂いじゃなくて、体に直接来る何かだ。
ヨーヘイ:「どうぞ」
ガド:「……!!」
一口食べた。口を閉じた。二回噛んで、止まった。
目が開く。焦点が草地の向こうへ飛んでいる。
タンは固い部位じゃない。弾力がある。噛み切るたびに肉汁が溢れ出して、塩が溶けて、コガネ草油の香りが鼻を抜けていく。噛めば噛むほど、口の中に旨味が積み上がっていく。唾液が止まらない。飲み込んでも、まだ残っている。
ガド:「うまい!! なんだこれは!! もう一本くれ!!」
ピナ:「おかわり!」
三口目を食べながら言っていた。口の端に油が光っている。
ハラミを出す。タンより厚く切った。石板に乗せると音が変わった——低くて重い、脂の多い音だ。シマチョウを隣に並べると、断面から白い脂がとろりと流れ出して石板の上を光らせた。その脂が端で焦げて、甘くて深い匂いが立つ。糖分が焼ける匂いだ。焼き鳥屋の軒先で、シマチョウが網の上で踊る時のあれだ。
クレイが一歩、前に出ていた。無意識だったと思う。本人は気づいていない。
一口食べた。噛む。止まらない。眉間にわずかに力が入る。シマチョウは噛むほどに脂が出てくる。しつこくない。後味がすっきりしている。塩とコガネ草油がそれを引き出している。口の中に旨味だけが残る。
クレイ:「……廃棄するはずだったものが、これか」
ヨーヘイ:「そうです」
クレイ:「……おかわり、ある?」
小声だった。二刀流の使い手が、焚き火の前で小声でおかわりを頼んでいた。
ヨーヘイ:(あります。いくらでも)
シアが腕を組んだまま立っていた。
シア:「……エルフは、その」
言いかけて止まった。唾を飲んでいた。
シア:「……匂いだけなら、問題ないので」
ヨーヘイ:「シマチョウです。どうぞ」
シアが受け取った。見た。鼻を近づけた。長い耳が少し前に傾いた。匂いを測っている。
一口、食べた。
長い耳が、ぴくりと動いた。
シア:「……」
八秒、黙った。飲み込んだ。視線が手元に落ちている。まだ口の中の余韻を追っている顔だ。
シア:「……一口だけなら」
言い終わる前に手が伸びていた。
ヨーヘイ:(エルフも、旨いものには勝てない)
ベルタ:「なんだこれは!!」
ガドと声量も抑揚も同じだった。ベルタが気づいて、口を押さえた。
フィンが足元で「キュウッ!」と鳴く。
ヨーヘイ:「分かってる。お前の分もある」
フィン:「キュッ」
◆ レバ刺し
ホルモンが一通り出た頃、ヨーヘイは収納からレバーを取り出した。
薄く切る。包丁を入れるたびに断面が鮮やかな赤を見せる。
小皿にコガネ草油を張った。岩塩をひとつまみ。レバーを油に落とした。表面が光った。
解析の声:「……確認です。生で食べますか」
ヨーヘイ:(食べる)
解析の声:「魔物の内臓の生食は、一般的に推奨されません」
ヨーヘイ:(知ってる。でも食べる)
解析の声:「……理由を伺えますか」
ヨーヘイ:(レバ刺しだからだ)
解析の声:「……それは理由になっていません」
ヨーヘイ:(なってる。十分なってる。レバ刺しが食べたいという理由が、世界で一番正当な理由だ)
解析の声:「……」
五秒、沈黙した。
解析の声:「……菌検査を実施します」
ヨーヘイ:(ありがとう)
解析の声:「業務の範囲内です」
また五秒。
解析の声:「……問題ありません。食用として安全です」
ヨーヘイ:(やっぱり最初から分かってたんじゃないか)
解析の声:「……」
ヨーヘイ:(その沈黙が答えだ)
口に入れた。
冷たかった。
収納の中で鮮度ごと保たれていた分、ひんやりしている。その冷たさの奥に、鉄分の重みがじわりとある。噛まなくていい。舌で押すと崩れた。崩れながら溶けていく。
臭みが、ない。
一切、ない。
あの独特の獣臭さが全部、鮮度に負けている。コガネ草油の香りが先に鼻を通って、塩の輪郭がその後を追って、最後に旨味だけが舌の上に残った。後味がきれいだ。引かない。もう一口食べたくなる味だ。
ヨーヘイ:(これだ)
現代で何十回も食べてきた味だ。焼肉屋のカウンターで、レバーが皿に乗って出てきた瞬間の光沢。ごま油の香りが鼻をついた時の、腹の奥が動く感覚。それが今、草地の焚き火の前にある。
ヨーヘイ:「……レバ刺しだ」
声が出た。草地の風が吹いた。誰も何も言わなかった。
クレイ:「……生か」
ガド:「うまそうだな!! 俺も食う!!」
ピナ:「たべていい?」
シア:「……エルフは生食は——」
シアの手が伸びていた。
ベルタ:「焼肉屋で、これ出るのか?」
ヨーヘイ:「鮮度が要ります。でもいつか」
ベルタ:「……毎日行くよ」
笑いながらじゃなかった。
フィンが膝の上に乗ってきた。「キューン」と鳴く。
ヨーヘイ:(お前には焼いたやつを出す。生はまだ早い)
フィン:「キュッ」
納得した声だった。
◆ 出発
昼飯を終えて荷物をまとめた。クレイが火の始末をし、ガドが石組みの炉を元に戻した。
ベルタ:「夕方にはベルネに着くよ。今日は宿でゆっくりしよう」
馬車が動き出した。車輪が轍を踏む音が戻ってくる。草地が後ろに遠ざかっていく。でかいやつを倒した場所が、ただの草地に戻っていく。
ヨーヘイ:(タレの香り軸が手に入った。次は甘みだ)
収納の中にコガネ草の実がある。レバーの残りがある。タレの試作品がある。まだ足りない。でも、一つずつ揃っている。
クレイ:「……レン。さっきの解体、どこで覚えた」
ヨーヘイ:「故郷で、少し」
クレイ:「……故郷では内臓を食う文化があるのか」
ヨーヘイ:「あります。全部食います」
クレイ:「……そうか」
前を向いた。それだけだった。でも口元が少しだけ動いた気がした。
フィンが荷台の端で丸まっている。「キュッ」と一度鳴いて、目を閉じた。
ヨーヘイ:(蓮)
馬車が揺れている。
ヨーヘイ:(お前、レバーは嫌いだったよな。焼肉屋のレバーは皿の端に追いやるくせに、焼き鳥のハツは全部食べてた。あの区別が未だによく分からない)
草地の風が窓から入ってくる。
ヨーヘイ:(今日、ハツを焼いた。レバ刺しも食べた。どっちもうまかった。コガネ草油っていう、ごま油みたいなやつも見つけた。フィンが嗅ぎ当てた。お前が来た時には、全部出す。食べてみろ、絶対うまいから)
フィンが膝の上で丸まっている。重い。でも温かい。街道の風が荷台を通り抜けていった。
ベルネが、夕方には見える。
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【第19話 リザルト&ステータス】
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▼ ヨーヘイのステータス(19話終了時点)
Lv:4 HP:135/135 MP:57/60(《瞬歩》×1回使用・3消費)
スキル熟練度:
・《解析》Lv1 熟練度 76/100(+2)
・《収納》Lv1 熟練度 34/100(+2)
・《採取》Lv1 熟練度 53/100(+1)★コガネ草採取
・《解体》Lv2 熟練度 9/100(+5)★ボルガウ解体
・《料理》Lv1 熟練度 28/100(+4)★ホルモン焼き・レバ刺し
・《従魔契約》Lv1 熟練度 16/100(+1)
・《瞬歩》Lv1 熟練度 9/100(+1)
・《二刀流》Lv1 熟練度 0/100
▼ 本話の収支
・手持ち:143枚(変動なし・護衛報酬は20話で受取予定)
▼ インベントリ(19話終了時)
・蒼魔鉄中剣×1
・短剣×1(予備)
・包丁×1
・採取へら×1
・冒険者証(Fランク)
・ポーション×1
・解毒薬×1
・ガルニク草×4株(収納保管)
・タレ試作品:少量(持ち越し)
・コガネ草の実:多数(収納保管)★新規
・コガネ草油:少量(収納保管)★新規
・ボルガウ素材:毛皮×1・角×1・E魔石(中)×1
・ボルガウ肉(一部):タン・ハラミ・レバー・ハツ・ミノ・シマチョウ(収納保管)★新規
・リリア所持:木製柄+鉄穂先の槍×1
▼ 本話の出来事
・ボルガウ初遭遇・四天王と合同討伐
・《解体》Lv2が初めて実戦で機能
・異世界では廃棄されるはずだった部位を確保
・道中で新素材を発見・現代知識で加工
・野営でホルモン焼き→全員陥落
・レバーを生で食べた
▼ タレ開発状況(19話時点)
・香り軸の素材を新たに確保
・未確保:甘み・酒精相当の素材
・次のステップ:ベルネで甘み素材を探す
▼ ヨーヘイの考察
解析さん、記録します。
ボルガウを倒しました。旋回が遅い。《瞬歩》で横に入ったら、弱点が見えました。《解体》Lv2、使えます。
内臓を全部取りました。廃棄させませんでした。焼いたら、全員食べました。
フィンが草地で何かを見つけました。絞ったら油になりました。ごま油の匂いがしました。
レバーを生で食べました。同じ味がしました。
タレの香り軸が手に入りました。次は甘みです。ベルネで探します。
蓮のハツの話、覚えていますか。焼き鳥のハツは食べるのに焼肉のレバーは嫌、という謎のこだわり。今日、異世界で両方焼きました。うまかったです。
記録、ここまで。
【第19話】草地の、でかいやつ ― 捨てるな、それ
「……それは理由になっていません」
理由になってます。十分なってます。
ボルガウの内臓を全部取った回です。廃棄が常識の部位を、全部持って帰った。ホルモン焼きで全員が黙った。レバ刺しで解析さんも黙った。コガネ草油を見つけたのは、フィンです。




