第15話−2 はじまりの東縁 ― でかい足跡が、あった
◆ 東縁・ヤキボア1体目
フィンの耳が、前を向いたままだった。
リリアがヨーヘイの袖から手を離して、半歩後ろに下がる。二人の視線が同じ方向を向いて、草の動きを読んでいた。声がない。それでいい。
フィンの体が、さらに低くなった。
ヨーヘイ:(解析さん)
解析の声:「……前方8メートル。ヤキボア、1体。草の中で停止しています」
草が揺れた。揺れ方が変わった瞬間——フィンが「キュウッ!」と鳴く。
鼻を地面につけた。突進の予備動作だ。
ヨーヘイの体が先に動いていた。
《瞬歩》。MP、3消費。
一歩を踏み出した。気づいた時には、側面にいた。頭がついていっていない。3秒のはずが、意識の上では息ひとつ分もなかった。体だけが先に着いていて、ヤキボアが突進した先には草だけが残っていた。
右手の短剣を、首の後ろへ。一点、力を入れる。
ヤキボアが止まった。
ヨーヘイ:「……気づいたら、終わってた」
声に出た。止められなかった。
少し後ろでリリアが息を吐く音がした。
リリア:「……急にいなくなった、と思ったら、横にいました」
ヨーヘイ:(3秒だ。体感ではゼロに近かった。3秒はどこへ行ったんだ。どこに消えた。この世界の物理法則に苦情を入れたい。俺のほうが置いていかれた気分だ)
フィンがヨーヘイの横に走り込んで、ヤキボアの前に座った。金色の目でヨーヘイを見上げている。尾が、ぱたぱたと揺れている。
ヨーヘイ:(分かってる。今すぐやる)
包丁を出した。首の付け根から入れて、血抜きをする。膜の下を探って、硬い組織のかたまりに行き当たる。慎重に切り出すと、親指の頭ほどの結晶が出てきた。青みがかった灰色。F魔石だ。
解析の声:「ヤキボア討伐完了。F魔石(小)、1個。Fグレード下位として昇格審査に使用可能です」
ヨーヘイ:(F魔石。やっと出た)
手のひらの上で、鈍く光っている。収納にしまって、体の他の部位の解体を続ける。バラ相当・肩ロース相当を切り分けて、順番に収納した。
ヨーヘイ:(あの時だ。転落して、右足をかばって走れなかった。リリさんが加わって、フィンが来て、右足が治って、Lv4になって。あの足がここまで来た。3秒だが、この3秒はあの時間全部の積み上げだ)
フィンが解体の進みを確認するように、包丁の先を目で追っていた。
リリア:「……すごかったです。本当に、すごかった」
ヨーヘイ:「ありがとうございます。リリさんも動きが良かった」
リリア:「……私は、半歩引いただけです」
ヨーヘイ:「それが正解です」
リリアが少し目を伏せて、それから頷いた。
フィンが解体の終わった場所に鼻を近づけて「キュッ」と鳴く。終わったのを確認した声だ。
◆ 2体目・3体目
少し移動したところで、フィンの耳がまた立った。
今度は2体、並走している。
ヨーヘイ:(解析さん)
解析の声:「ヤキボア2体、並行移動中。東から接近。フィンへの誘導が有効です」
フィンがヨーヘイを見て、次に2体が来る方向を見た。目が「分かってる」と言っている。
ヨーヘイ:(頼む)
フィンが低くなって、草の中へ滑り込んだ。数秒後、2体のうち1体が南へ方向を変えた。もう1体が東を向いたまま近づいてくる。
ヨーヘイは正面から待った。《瞬歩》は使わない。来るまで待つ。突進の予備動作——鼻が地面につく——今だ。体を半歩ずらして右へ流し、短剣を入れる。
フィンに誘導された1体は、リリアの前に出た。
リリア:「……っ、こっちです!」
声を出して引きつけながら、後退する。ヤキボアがリリアを追って前のめりになった瞬間、ヨーヘイが背後から回り込んで仕留めた。
リリアの声の使い方が変わっていた。3日前は「後ろから来ます!」と報告してからワンテンポあった。今日は動きながら声が出ていた。体と言葉が同時に動いている。
ヨーヘイ:(この3日で、ここまで来た)
3体目は採取モードに入ったフィンが草むらで鼻を止めた瞬間、横から飛び出してきた。
フィンが「キュウッ!」と鳴いて跳ぶ。その動きで側面が空いた。ヨーヘイが入る。
終わった。
解析の声:「《解体》熟練度が29/100に上昇しました」
F魔石が2個増えた。3個並べて手のひらの上に置いてみると、青みがかった灰色が3つ並んで鈍く光っている。
ヨーヘイ:「3本、揃った」
リリアが横から覗き込んだ。
リリア:「……きれいな色ですね」
ヨーヘイ:(きれい、か。昇格の切符だとしか思っていなかったが、改めて見ると悪くない色だ)
ヨーヘイ:「Fランクへの切符が3枚です。収納にしまいます」
フィンが3体目の解体後にも「今すぐやれ」という顔でヨーヘイを見てきた。3回連続で同じ顔だった。毎回ほぼ同じ角度から、ほぼ同じ目で見てくる。
ヨーヘイ:(分かってる。分かってるって。3回とも同じ顔で見てくるな。俺はちゃんとやった)
◆ 採取・でかい足跡
討伐が一段落して、採取モードに入った。
フィンが草の間を縫いながら動いて、カイフクソウとゲドクソウの群生を見つけては「キュッ」で知らせてくる。リリアが採取へらを使い始めて、最初の頃より根の傷め方が少なくなっていた。
ヨーヘイが薬草を収納に入れていると——フィンの動きが、止まった。
鼻が地面に向いている。採取ポイントの時とは違う。土の上の何かを、追っている。
リリアがそれに気づいて、声を出さずにヨーヘイの袖を引いた。
フィンが少しずつ前に進んで、草が薄くなっているあたりで止まった。
近づいてみると——地面に、跡があった。
丸い。
大きい。
ヨーヘイは一度自分の顔に手を当ててから、もう一度足跡を見た。
ほぼ同じだ。
顔ほどある。蹄の形をしている。踏み込みが深くて、地面がしっかりへこんでいる。これだけの重さが、ここを歩いた。そういう跡だ。誰も踏んでいない。でも確かに、ここに何かがいた証拠が、静かに残っていた。
リリア:「……何の、足跡でしょう」
声が、少し低くなった。
ヨーヘイ:(解析さん)
解析の声:「草食系大型魔物の痕跡と推定されます。蹄の形状と間隔から、体高1.5メートル以上と思われます。詳細な種別はこの痕跡だけでは特定できません」
ヨーヘイ:(1.5メートル。ヤキボアの3倍近い。……どんな肉が取れる。この大きさだと——)
ぼんやりと、答えの形が頭の中に出かかった。
ヨーヘイ:(解析さん。この大きさの魔物だと、食用部位は)
解析の声:「……」
長い間だった。
解析の声:「……推測で申し上げるのは業務の範囲外です」
ヨーヘイ:(間があったくせに。業務の範囲外って言ったが、間があった。あの間の長さは、気になっている証拠だ。言わないだけで、俺と同じことを考えた。絶対そうだ)
解析の声:「……」
ヨーヘイ:(黙っても遅い。もう聞こえた)
フィンが足跡の縁に鼻を近づけて、念入りに嗅いでいる。尾が小さく揺れていて、全身で匂いを記録している顔だ。しばらくして、フィンがヨーヘイを見上げた。
ヨーヘイ:「今日は追わない」
声に出た。
ヨーヘイ:「装備が要る。でも場所は覚えた」
リリア:「……また、来るんですか、ここに」
ヨーヘイ:「必ず来ます」
フィンが空に向かって「キュウッ!」と鳴いた。
◆ 大型クロトカゲ
引き返し始めた時だった。
草むらの奥から、音がした。葉の揺れ方が違う。風ではない。何かが、向かってきている。
フィンが「キュウッ!」と鳴いて、低くなった。鳴いたことよりも、その後に鳴き止んだことの方が、ヨーヘイの体を先に動かした。
解析の声:「Fグレード上位——大型クロトカゲ。広範囲毒霧を使用します。急速退避を——」
霧が来た。
草の中から、灰色がかった靄が広がってくる。思ったより速い。リリアが息を吸った瞬間が見えた。
ヨーヘイはリリアの腕を掴んで、《瞬歩》を踏んだ。MP、3消費。
一歩。
草の向こうに出ていた。リリアを引いたまま、体が着地する。霧が広がった先に、二人はいなかった。
リリアの呼吸が、一度乱れた。体ごと引かれた衝撃がまだ残っている。ヨーヘイの手がまだ腕に触れていて、それに気づいてそっと離した。リリアが乱れた髪を押さえながら、後ろを振り返る。着地の拍子に旅装の衿元がずれていて、首筋が白く出ていた。ヨーヘイは前を向いた。即座に。
リリア:「……今の、霧は」
ヨーヘイ:「毒です。吸うと死にます」
リリア:「……」
一瞬、黙った。それから頷いた。「分かりました」の顔で。崩れない。
霧の中から、大型クロトカゲが出てきた。体長1.5メートルを超える胴体が、低く構えている。甲殻が光を鈍く反射して、継ぎ目の部分だけが暗い。
解析の声:「甲殻の継ぎ目が弱点です。包丁で狙うと効果的です」
ヨーヘイ:(包丁……右手に短剣があって、包丁も持つ、ということか)
収納から包丁を引き出した。右手に短剣、左手に包丁。
ヨーヘイ:(何だこれは。解体師か料理人か冒険者か。俺は今何なんだ)
でも、手が止まらなかった。
フィンが横から走って、甲殻を蹴って横方向へ飛んだ。クロトカゲの頭が追う。その瞬間、継ぎ目が開く。
右手の短剣を肩の継ぎ目に入れる。同時に、左手の包丁を首の付け根へ。短剣で押さえて、包丁で抉る。
クロトカゲが一度体を震わせ、止まった。
しばらく間があって——
解析の声:「……新規スキル《二刀流》を取得しました。Lv1。両手の刃物を同時に扱う精度が向上します」
ヨーヘイ:(え)
解析の声:「《瞬歩》熟練度が3/100に上昇しました。《解析》熟練度が65/100に上昇しました」
ヨーヘイ:(《二刀流》が出た。右手に短剣・左手に包丁で、《二刀流》が出た。どういうスキルの取り方だ)
ヨーヘイ:(解析さん。包丁で二刀流を取得した人間は今まで何人いますか)
解析の声:「……」
今度は、さっきより長い間だった。
解析の声:「……統計は業務の範囲外です」
ヨーヘイ:(その沈黙の長さが答えだ。0人ですね。0人なんですね)
解析の声:「……」
ヨーヘイ:(黙認は肯定です。ありがとうございました)
リリアが大型クロトカゲの横で、じっと甲殻を見ていた。
リリア:「……すごい甲殻ですね」
ヨーヘイ:「解体したら色々取れそうです」
フィンが横から「キュッ」と鳴いて、甲殻の端に鼻を近づけた。何か確認してから離れた。さっきの走りで息が上がっているが、尾が揺れている。働いた後の顔だ。
少しの間、2人と1匹で大型クロトカゲを囲んで立っていた。
毒霧の跡が草の上に残っていて、踏まないように距離を取りながら、呼吸を整えた。クロトカゲの甲殻が朝の光を鈍く反射している。リリアの呼吸が落ち着いて、フィンの耳が少しずつ後ろに戻った。
それから、解体を始めた。
甲殻の継ぎ目に包丁を入れると、ざく、と乾いた音がした。中から毒腺の組織が見えて、丁寧に切り出す。E魔石(小)が出た。青みがかった光沢が、F魔石より明るい。
解析の声:「E魔石(小)。Eグレード下位。甲殻素材・高品質。毒腺:錬金素材として高値が見込まれます」
ヨーヘイ:(E魔石。これがEか。ラルフさんが言っていた錬金師に毒腺を持っていけばいい。甲殻も単体で売れそうだ)
肉は白身で、毒腺を除去すれば食用になるらしい。解体しながら部位を分けて、収納に入れていく。
◆ 魔法練習
解体が終わって、薬草を確認していると、リリアが少し間を置いてから口を開いた。
リリア:「……練習、してもいいですか」
ヨーヘイ:「どうぞ」
リリアが草の上に膝をついて、右手を前に出した。
白い光が、手のひらの上に生まれた。0.5秒。消えた。
少し呼吸を整えて、もう一度。今度は1秒近く、続いた。
リリアが手を下ろして、少し間を置く。
3回目。
30秒、待った。
出ない。
リリア:「……今日は、2回でいいです」
ヨーヘイは頷いた。
ヨーヘイ:「2回出ました。十分です。次は3回です」
リリアが少し目を細めた。「次がある」と言われた顔だ。
フィンが近づいてきて、リリアの手のひらに鼻を近づけた。ひとつ、「キュッ」と鳴く。
リリア:「……ありがとう、フィン」
フィンの尾が、揺れた。
今日はこれでいい。そう思いながら、ヨーヘイは東縁の空を見上げた。雲が少なくて、視界が開いている。でかい足跡の場所は、覚えた。
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【第15話−2 リザルト&ステータス】
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▼ ヨーヘイのステータス(15-2終了時点)
Lv:4 HP:135/135 MP:54/60(《瞬歩》×3回使用・各3消費)
スキル熟練度:
・《解析》Lv1 熟練度 65/100(+2)
・《収納》Lv1 熟練度 23/100
・《採取》Lv1 熟練度 39/100
・《解体》Lv1 熟練度 29/100(+4)
・《料理》Lv1 熟練度 9/100
・《従魔契約》Lv1 熟練度 7/100
・《瞬歩》Lv1 熟練度 3/100(+2)★初実戦使用
・《二刀流》Lv1 熟練度 0/100 ★新規取得
▼ 本話の収支
・ヤキボア×3体討伐
・大型クロトカゲ×1体討伐(意図せず遭遇)
・F魔石×3個(換金せず保持・昇格審査用)
・E魔石(小)×1個
・甲殻(大型・高品質)
・毒腺(錬金素材)
・ヤキボア肉:バラ・肩ロース×3体分
・クロトカゲ肉:白身
▼ 本話の動き
・《瞬歩》初実戦(ヤキボア1体目:突進回避・側面取り)
・2体目:フィン囮走行+リリアが声で引きつける連携が完成
・3体目:フィンの先走りで側面が空く→仕留める
・でかい足跡発見(草食系大型魔物・体高1.5m以上・蹄あり)
・大型クロトカゲ:毒霧回避→《瞬歩》でリリアを引いて横へ→討伐
・《二刀流》自動取得(右手短剣+左手包丁)
・リリア魔法:2回発現・3回目不発→「2回でいい」と自分から切り上げる
▼ インベントリ
・短剣×1
・包丁×1
・採取へら×1
・冒険者証(Gランク)
・ポーション×1
・解毒薬×1
・武器屋への紹介状×1
・F魔石×3個(換金不可・昇格審査用)
・E魔石(小)×1個
・甲殻×1(大型・高品質)
・毒腺×1(錬金素材)
・ヤキボア肉×各3:バラ・肩ロース
・クロトカゲ肉:白身
▼ 依頼達成数:10件(累計) Fランク昇格まであと5件
▼ ヨーヘイの考察
解析さん、記録します。
《瞬歩》を3回使いました。1回目は側面に気づいたら着いていました。3秒が消えていました。あの転落した時の足から、ここまで来たと思いました。
リリさんが2体目の討伐で声を使いながら動けるようになっていました。3日前とは違います。
でかい足跡がありました。顔ほどの大きさで、蹄の形をしていて、地面がしっかりへこんでいました。食用部位を聞こうとしたら「業務の範囲外」と言われましたが、間が長かったです。黙認は肯定です。今日は追えなかった。でも場所は覚えました。
帰り際に大型クロトカゲに遭遇しました。毒霧を《瞬歩》でリリさんを引いて回避しました。右手に短剣・左手に包丁で仕留めたら《二刀流》を取得しました。包丁での取得は前例がないと思います。「統計は業務の範囲外」という返答と、その前の長い沈黙で確信しました。
リリさんが「2回でいいです」と自分から切り上げました。次は3回です。
以上、記録終わり。
【第15話-2】はじまりの東縁 ― でかい足跡が、あった
《瞬歩》初実戦と、でかい足跡の話です。
「解析さん、食用部位は——」「……推測で申し上げるのは業務の範囲外です」の間が長かったことは、皆さんも気づいたと思います。




