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異世界の魔物肉、全部うまい。帰れないアラフォーパパ、冒険者しながら焼肉屋はじめました  作者: きりざく
2章

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第12話−1 はじまりの名前 ― 包丁と、箱の中の相棒

◆ 朝



 目が覚める前に、重さがあった。


 膝の上だ。温かくて、軽くて、でもそこにいるのが分かる重さ。5キロもないはずなのに、動けない。


ヨーヘイ:「……お前か」


 フィンが丸まっていた。膝の上で。前足を折り畳んで、耳をぺたんと寝かせて、完全に脱力している。金色の目は閉じている。


ヨーヘイ:「44歳、森で魔物と戦えるのに、膝の上の小動物に勝てない。どういうことだ」


 動くとフィンが起きる。起きれば機嫌が悪くなって、たぶん鳴く。鳴けばリリアも目を覚ます。そうなると——


ヨーヘイ:「……いいや、もう少しこのままで」


 右足を確かめた。昨日まで鈍く痛んでいた膝下が、だいぶ楽になっている。足首を回しても引っかからないし、地面に着けてみれば体重も乗せられた。


ヨーヘイ:「走れるかどうかは分からないけど、歩くのは問題なさそうだ」


 フィンの耳が片方だけ動いた。起きかけている。


ヨーヘイ:「よし、降りてくれ。朝飯の時間だ」


 「朝飯」という言葉に反応したのか、フィンの目がぱちりと開いた。膝から飛び降りて、扉の前に座る。尾が揺れている。


ヨーヘイ:「食い気で起きるのは一貫してるな、お前は」



 階段を降りると、テーブルにスープと黒パンが置いてあった。リリアがすでに座っている。背筋が伸びていて、姿勢がいい。育ちの良さは、こういうところに出る。


 フィンがテーブルに飛び乗った。サーラの真正面に座って、金色の目で見上げる。昨日と同じだ。


サーラ(女将):「毎朝やるつもりかい、この子は」


ヨーヘイ:「すみません、躾が……」


 サーラが棚から干し肉の端切れを出して、フィンの前に置いた。フィンが一口でくわえる。尾がぱたぱたと揺れる。


サーラ(女将):「躾がなってないのは飼い主の方だよ」


ヨーヘイ:(反論できない)


 スープを飲みながら、ヨーヘイは切り出した。


ヨーヘイ:「今日、リリさんのギルド登録に行きませんか」


 リリアがスプーンを止めた。顔を上げる。


リリア:「……はい」


 小さいが、はっきりした声だった。昨夜の「明日、一緒に行ってもいいですか」を、自分で答えに変えている。


 サーラが台帳に視線を落としたまま、一言だけ加えた。


サーラ(女将):「出かけるなら朝のうちにしな。昼は人が多くなるから」


ヨーヘイ:(「人が多い」。追っ手の目に入りやすい、と言っている。直接は言わない。でも全部分かっている。この人はずっとそうだ)


ヨーヘイ:「分かりました。午前中に済ませます」



◆ ボルド



 ギルドの奥、石畳の作業場。


 ヨーヘイが収納からヤキボアの素材を出すと、ボルドが前掛けの手を止めた。


 作業台に並んだ肉を見て、脂肪層を指で押した。5秒、黙っている。


ボルド(解体担当):「……いい脂だ」


 声が低い。でも、感心している声だった。初めて内臓を持ち込んだ時の「これは本当に食うのか」とは、響きが違う。


ヨーヘイ:「スペアリブに相当する部位は残していいですか。料理に使います」


ボルド(解体担当):「食ったのか」


ヨーヘイ:「石の上で焼きました」


 ボルドが手を止めて、7秒ほど黙る。


ボルド(解体担当):「……次は炭を使え。この脂なら、炭がいい。脂が落ちて煙が立つ。その煙が肉に戻る。石じゃ、そこまで出ない」


ヨーヘイ:(ボルドさんが料理の話をしてくれた)


 初日に「腹壊すぞ」しか言わなかった人が、炭と脂の距離の話をしている。嬉しい。嬉しいのだが、ここで肉トークの蓋を開けたらたぶん止まらなくなる。スペアリブの骨周りの処理も聞きたいし、この脂の融点なら直火でカリッと——


ヨーヘイ:(我慢だ。我慢。今日の本題はリリさんの登録だ。肉の話は次に来た時に全部聞く)


 フィンがボルドの作業台の横にちょこんと座っていた。匂いに反応して鼻がひくひく動いているが、肉には手を出さない。おとなしい。


ボルド(解体担当):「……そいつは」


ヨーヘイ:「フィンです。一緒にヤキボアを倒しました」


 ボルドがフィンを見た。7秒。


ボルド(解体担当):「……見慣れない子だな」


 それだけ言って、作業に戻る。


 換金は正肉と毛皮、骨牙で銅貨40枚。スペアリブ相当はヨーヘイが保持した。手持ちが82枚になった。


ヨーヘイ:(解析さん、聞こえてますか。ボルドさんが炭の話をしてくれましたよ。……何も言わないってことは、業務の範囲外ですか。まあいいです。嬉しかったんで、報告だけ)



◆ ラルフ



 道具屋の扉を開ける。


 ラルフが奥から出てきた。ヨーヘイを見て、次にリリアを見て——頬が赤くなった。


ヨーヘイ:(3回目だ。3回連続だ。ラルフさんは7秒の沈黙ができる冷静な人間のはずなのに、リリさんが来ると0.3秒で赤くなる。俺は同志だと思っていたが、ラルフさんの方が重症かもしれない)


ラルフ(道具屋):「いらっしゃいませ。あの、今日は——包丁ですか」


ヨーヘイ:「はい。取り置きをお願いしていた分です」


 ラルフが奥に引っ込んで、木箱を抱えて戻ってきた。カウンターに置いて、布を開く。


 鋼の刃が、窓からの光を受けて鈍く光る。


 ヨーヘイが手に取った。重心が、短剣とは全然違う。柄が太くて、刃に向かって重さが移っていく設計だ。手の中に収まると、刃先の延長に自分の腕がある感覚がした。


ヨーヘイ:(……美咲の包丁と同じ重さだ)


 台所に立っていた頃を思い出した。休職する前、日曜の朝に一人でカレーを仕込んでいた。美咲がまだ寝ている間に、玉ねぎを刻む。包丁を握ると、指先から肩まで一本の線が通る感覚があった。あの感覚と、今の手の中の重さが重なる。


ヨーヘイ:(帰ったら、美咲の台所に立ちたいな)


 喉の奥が一瞬だけ熱くなって、すぐ引いた。


ヨーヘイ:「……これで、やっとまともな解体と調理ができます」


ラルフ(道具屋):「大事に使ってください。研ぎ方なんですが——あ、すみません、聞いてない段階から話し始めてしまって」


ヨーヘイ:「聞かせてください。全部」


 ラルフの目が光った。


ラルフ(道具屋):「刃の角度が大事なんです。研ぎ石は粗目と仕上げの2段階で、最初は粗目を15度くらいの角度で当てて、手首を固定してスライドさせます。仕上げは10度くらいまで寝かせて——あの、聞いてます?」


ヨーヘイ:「聞いてます。15度ですね」


ラルフ(道具屋):「そうです! 15度です! それで仕上げは10度くらいまで寝かせて、こう、刃先がかみそりみたいに薄くなったら完成で——研ぎ石も一緒にお持ちになりますか? 銅貨5枚なんですが——あ、予算的にあれでしたら次回でも——すみません、つい」


ヨーヘイ:(ラルフさんの早口、止め方が分からない。でもこの人の話は全部正しいから、止める気にもならなかった)


ヨーヘイ:「研ぎ石は次にします。今日は包丁とポーション1本で」


ラルフ(道具屋):「かしこまりました。包丁55枚、ポーション30枚で……85枚になりますが」


ヨーヘイ:「手持ちが82枚で、3枚足りません」


ラルフ(道具屋):「3枚は次で構いません。レンさんは来る方ですから」


ヨーヘイ:(最初に道具屋でツケを頼んだ時、「ちゃんと来たな」と言ってもらえた。ラルフさんには「取り置きしておきます」と言ってもらえた。今は「来る方ですから」。信用って、こうやって積み上がっていくんだ)


 フィンが棚の間を歩き回っている。鼻をひくひくさせながら、ポーションの瓶が並ぶ棚に近づいた。


 鼻先を瓶に近づけた瞬間——


フィン:「キュッ!」


 くしゃみだった。小さな体がびくんと跳ねて、棚から飛び降りた。


ラルフ(道具屋):「あっ、大丈夫ですか? 匂いがきつかったかもしれません、あの棚は薬品系で——」


 フィンは気を取り直すように鼻を振って、今度は包丁が入っていた木箱の中に入り込んだ。くるりと回って、丸まった。箱の縁から金色の目だけ出して、こちらを見ている。出る気がない。


ラルフ(道具屋):「あの……そこは商品の……」


ヨーヘイ:「フィン、出ろ。そこは商品だ」


 金色の目が動かない。耳だけが、ヨーヘイの声に合わせてぴくぴく動いている。


ラルフ(道具屋):「……いえ、もう売約済みの箱ですし、レンさんのですし。大丈夫です」


ヨーヘイ:(優しすぎるだろラルフさん)


 リリアがフィンの方に手を伸ばすと、フィンが箱の中で少し体を寄せた。リリアの指が耳の根元に触れる。フィンの目が細くなる。


ラルフ(道具屋):「あの、この子は何の種類なんですか」


ヨーヘイ:「分からないんです。解析でも種別未確定で」


 ラルフが10秒ほど黙った。フィンを見ている。


ラルフ(道具屋):「……見たことがないです。うちに図鑑があるんですけど、載っていない。以前の——」


 止まった。


ラルフ(道具屋):「いえ、何でもないです」


ヨーヘイ:(「以前の」で止めた。ラルフさんにも何かありそうだ)


 包丁を布に包み直して、収納に収めた。ポーションも1本。


ヨーヘイ:「ありがとうございます。3枚は明日中に必ず」


ラルフ(道具屋):「お気をつけて。……本当に、お気をつけて」


 扉を閉める直前、ラルフがもう一度言った。いつもと同じ言葉だ。でも毎回、少しだけ声が小さくなる。本気で心配している人間の声だった。


 通りに出ると、包丁とポーションが収納の中で重さを主張している。これで道具は揃う。


 リリアが隣を歩いている。次はギルドだ。


 ——通りの空気が、ほんの少しだけ変わった気がした。サーラが「朝のうちにしな」と言った意味が、足の裏にじわりと伝わってくる。



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【第12話−1 リザルト&ステータス】

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▼ ヨーヘイのステータス(12-1終了時点)

Lv:3 HP:95/118(自然回復・右足回復中) MP:52/52


スキル熟練度:変動なし(街中行動のみ)

・《解析》Lv1 熟練度 53/100

・《収納》Lv1 熟練度 18/100

・《採取》Lv1 熟練度 28/100

・《解体》Lv1 熟練度 11/100

・《料理》Lv1 熟練度 3/100

・《従魔契約》Lv1 熟練度 1/100


▼ 本話の収支

・ヤキボア素材換金(ボルド持ち込み):+40枚

・包丁購入:▲55枚

・ポーション×1:▲30枚

・ラルフ未払い:3枚

・手持ち:▲3枚(ラルフに3枚ツケ)


▼ インベントリ

・短剣×1

・★包丁×1(NEW・ラルフの取り置き品・鋼製)

・採取へら×1

・冒険者証(Gランク・探索者)

・ポーション×1(NEW)

・ヤキボア・スペアリブ相当(保持)


▼ パートナー

・フィン(従魔契約済み。ラルフの木箱が気に入ったらしい)


▼ ヨーヘイの考察


 解析さん、報告です。


 包丁を買いました。ミナさんに「解体場は使えますか」って聞いた最初の日から、ずっと欲しかったやつです。手に持った瞬間、短剣との違いが分かりました。重心が刃にある。これなら角度だけで切れる。ボルドさんが最初に教えてくれた「刃の角度が悪い」が、包丁なら解決する気がします。


 ボルドさんが「炭を使え」って言ってくれたのが嬉しかったです。初めて内臓を持ち込んだ時は「腹壊すぞ」しか言わなかった人ですよ。脂と炭の距離の話まで出てきた。あの一言で、スペアリブの焼き方が頭の中に浮かびました。ボルドさんの炭で焼く。絶対旨い。


 ラルフさんの早口は今日も健在でした。15度と10度の話、全部正しいです。あと、リリさんが来ると0.3秒で赤くなるのも健在です。3回連続です。


 フィンがラルフさんの木箱に入って出てこなくなりました。ラルフさんが「売約済みだから大丈夫です」って許可してくれたんですが、あの箱、俺のなんですけど。


 3枚のツケ、明日返します。


【第12話-1】はじまりの名前 ― 包丁と、炭と、箱の中の相棒


ついに包丁を買いました。


道具が揃うと、できることが変わる。この回から、料理の解像度が一段上がります。フィンに名前をつけた回でもあります。

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