第11話−2 はじまりの仲間 ― うまそうな脂の匂いがした
◆ うまそうな脂の匂い
帰路は、来た道を逆に辿った。
右足を庇いながらだから遅い。通常なら30分の道を、倍はかかっている。あの子が少し先を歩いて、時々振り返る。待っている。
ヨーヘイ:「急がなくていいぞ。俺が遅いんだから」
あの子の耳がぴくりと動いた。
それから——ぴたりと止まる。
空気が変わった。全身が低くなっている。耳が前方に向かって立ち上がり、鼻が速く動き始めた。さっきのカゲダケやツキシダの時とは違う。もっと強い。もっと切実な反応だ。尾が地面に近づく。
ヨーヘイ:「どうした」
あの子が、左の茂みを凝視している。
解析の声:「左前方15メートル。生体反応を検出。Fグレード下位、単体です」
ヨーヘイ:「Fグレード——下位?」
解析の声:「ヤキボア。ダークボアの小型亜種。体高は推定50〜60センチ。突進型ですが、ダークボアより速度が遅く、予備動作が大きいため回避が可能です」
ヨーヘイ:「ダークボアの小型版か。単体。Fグレード下位なら——HP62の今の状態でも、やれなくはないけど、問題は右足——」
解析の声:「補足します。この個体の特徴として、胴体に脂肪が多く蓄積されています。食用として——」
ヨーヘイ:「きた」
声が裏返った。
ヨーヘイ:「きたきたきたきたー! ボアだ! ボアですよ解析さん! 脂が乗ってるって今言いましたよね!?」
解析の声:「……はい。脂肪含有量が——」
ヨーヘイ:「待ってください。自分の目で確かめさせてください」
茂みの向こうに、影が見えた。
体高50センチほど。ダークボアを見た時の威圧感はない。でも胴体が丸い。異様に丸い。脂だ。背中から脇腹にかけて、脂が乗っている。毛並みの下に、分厚い脂肪の層がある。動くたびにその体が揺れている。
ヨーヘイ:「見てください解析さん、あの丸み。あの脂の乗り方。体高50センチで単体行動ってことは成獣で、脂が十分に乗ってる。あの胴回りなら——バラ。間違いなくバラが取れます。しかも肩のあたりの筋肉の付き方、あれ肩ロースですよ。バラと肩ロースが同時に手に入る。異世界に来て初めてのまともな脂の乗った肉だ!」
口の中に唾が湧いた。止められなかった。
ヨーヘイ:「……落ち着け俺。冷静になれ。HP62で右足が使えないんだぞ。なのに頭の中がバラと肩ロースで埋まってる。おかしい。完全におかしい。でも——やるしかないだろ」
あの子が、ヨーヘイを見上げた。その金色の目にも、何かがあった。鼻がひくひくと動いている。脂の匂いを嗅いでいる。目が輝いている。
ヨーヘイ:「お前も分かるのか。あの匂いが、うまそうだって」
解析の声:「ヨーヘイさん。現在のHPで戦闘を行う場合、回避を主体とした立ち回りが必要です。ヤキボアの突進は予備動作として鼻を地面につける特徴があります。その動作を確認してから横に移動すれば、回避は可能です」
ヨーヘイ:「予備動作がある。それなら——」
解析の声:「なお、右足での踏み込みは推奨しません。左足軸の回避を推奨します」
ヨーヘイ:「左足軸。了解」
短剣を抜いた。
あの子が、ヨーヘイの足元から前に出た。体勢を低くして、ヤキボアの方を向いている。
ヨーヘイ:「お前、何するつもりだ——」
あの子がちらりと振り返る。金色の目が一瞬だけヨーヘイを見て——前を向いた。
地面を蹴った。
速い。思っていたより速い。小さな体が、草の上を低く滑るように走る。ヤキボアの横を、あえて近くを、わざと掠めるように通り抜ける。ヤキボアの首が引っ張られた。視線が、体が、そちらに向く——
ヨーヘイ:「今だ」
声より先に足が動いていた。左足で踏み込む。一歩で間合いに入った。横腹に、短剣を突く。
手応えが、腕に返ってくる。脂の層を通って、肉に刃が入る感触だ。
ヤキボアが鳴いた。低い声だ。体を振って、ヨーヘイから離れる。振り向く。目がこちらを向いている。
鼻を、地面につけた。
ヨーヘイ:「来る!」
あの子が横から飛び出した。ヤキボアの鼻先を掠めるように走る。視線がそちらに引かれる。突進のタイミングが、一瞬ずれた。
その一瞬で、左に跳ぶ。
——右足が、地面を踏んだ。
着地の衝撃が膝を突き抜けた。力が抜ける。右膝が折れる。地面に崩れかけた。短剣が手から離れかけて、左手で柄を掴み直した。指が痺れている。
ヨーヘイ:「くっ——!」
ヤキボアの突進が、頭の上を抜けていく。倒れかけたから、避けられた。立っていたら当たっていた。
解析の声:「回避成功。——偶然ですが」
ヨーヘイ:「偶然って言わないでください。結果的にセーフです」
解析の声:「背面が空いています。今です」
片膝をついたまま、体を回した。ヤキボアが突進の勢いで止まりきれず、3メートル先で体勢を立て直そうとしている。背中が見えている。
左足だけで地面を蹴った。膝立ちから、短剣を突き上げるように振る。背中の脂の層を通って、背骨の横に刃が入った。
ヤキボアの足が止まる。膝が折れるように前足が崩れ、横倒しになった。地面に埃が立つ。
動かなくなった。
ヨーヘイ:「……はぁ、はぁ——」
息が荒い。左足が震えている。右足は、痛みが戻ってきていた。でも立てている。
あの子が、倒れたヤキボアの横に駆け寄った。鼻を近づけて、匂いを嗅いでいる。尾が揺れている。
ヨーヘイ:「お前、尾振ってるぞ。……やっぱり食い気だな」
解析の声:「討伐完了。F魔石1個を確認。素材として胴体・四肢の肉が採取可能です」
短剣を引き抜いて、しゃがみ込んだ。解体を始める。
刃を入れた瞬間に、分かった。
ヨーヘイ:「……これは」
皮の下の脂肪層が厚い。白くて、きれいだ。指で押すと弾力がある。融点が低いのか、指先の温度で表面が少し艶を帯びる。
ヨーヘイ:「この脂は、融ける。火を入れたら融ける。炭火の上に置いたら、じわじわと融け出して、肉の表面を伝って、下に落ちる。落ちた脂が炭に当たって煙が上がる。その煙が肉に戻って、燻す。これは——焼肉だ。焼肉そのものだ」
胴体を開いた。腹側の肉を見る。
ヨーヘイ:「バラだ!」
声が跳ねた。
赤身と脂身が交互に層を成している。三枚肉。バラ肉。焼肉屋で、皿に乗せた瞬間に「これは当たりだ」と分かる、あの層だ。
肩に移る。筋肉の繊維が密で、脂が適度に入り込んでいる。
ヨーヘイ:「肩ロースだ。これは肩ロースだ。間違いない!」
解析の声:「部位の分析結果です。胴体中央部は脂肪と赤身の交互層、肩部は繊維質に脂肪が混在。いずれも食用として適しています」
ヨーヘイ:「解析さん、あなたの分析は正しいです。正しいんですけど言い方が淡白すぎる。これはバラと肩ロースなんですよ。異世界に来て8日目にして、初めてまともな脂の乗った肉を手に入れたんです。もっと盛り上がってくださいよ」
解析の声:「……盛り上がりは業務の範囲外です」
ヨーヘイ:「範囲外って言った今の声、ちょっと楽しそうでしたよね」
あの子が、解体したバラ肉の断面に鼻を近づけている。くん、くん、と匂いを嗅いでいる。金色の目が、きらきらしている。
ヨーヘイ:「お前も分かるか。これ、焼いたらもっとすごいぞ」
肉と魔石を収納に収めた。収納の瞬間、脂の甘い匂いが消える。あの子が名残惜しそうに鼻を動かしている。
ヨーヘイ:「安心しろ、食わしてやるから。ただ、ここだと魔物が出るかもしれないし危ないからな。安全な場所で——美味い肉、食わしてやるよ」
あの子:「キューン」
小さな鳴き声が返ってきた。
ヨーヘイ:「お? お前、言葉が分かるのか。……賢いやつだな」
あの子の尾が、ぱたぱたと揺れた。
ヨーヘイ:「じゃあ、そろそろ移動するか」
あの子が先に歩き出している。ヨーヘイが行く方向を分かっているかのように、来た道を戻り始めていた。
ヨーヘイ:「……お前、本当に賢いな」
◆ フィン
林を抜けた先に、開けた場所があった。
草地と岩が混じった、風通しのいい一角だ。東縁の入り口まではもう少しだが、ここなら周囲が見渡せる。奥域の木々が背後に退いて、空が広い。
ヨーヘイは岩に腰を下ろした。右足を投げ出す。痛みは収まらないが、骨が折れているわけではなさそうだ。ポーションのおかげだろう。
あの子が、ヨーヘイの足元に座った。
見上げている。
ヨーヘイ:「なあ」
あの子の耳が動いた。
ヨーヘイ:「お前、このままついてくるか?」
あの子:「キュッ」
短い鳴き声。耳がぴんと前を向いている。返事だ。
ヨーヘイ:「昨日——いや、さっきか。お前が2体を引き離してくれなかったら死んでたよ。薬草を運んでくれなかったら血が止まらなかったと思う。カゲダケもツキシダも、お前の鼻がなきゃ見つからなかったし。さっきの戦闘だって、お前が横を走ってくれたから側面を取れたんだ」
あの子は黙ってヨーヘイを見ている。耳だけが、言葉に合わせて角度を変えている。
ヨーヘイ:「俺と一緒に来るか?」
あの子が、前足を一歩踏み出した。ヨーヘイの膝に前足をかけて、顎を乗せる。
あの子:「キューン……」
甘い鳴き声だ。目を細めて、ヨーヘイの膝に体重を預けている。
その瞬間だった。
解析の声:「——スキル《従魔契約》を取得しました」
ヨーヘイ:「え?」
解析の声:「従魔契約スキル。Lv1、熟練度1/100。信頼関係を構築した魔獣との間に契約を結ぶことが可能です。契約の意思が双方に確認された場合、自動的に発動します」
ヨーヘイ:「待って——今のは。俺が『一緒に来るか』って言って、こいつが乗ってきたから——」
解析の声:「はい。双方の意思が一致したと判定されました。契約を実行しますか」
あの子が、膝の上からヨーヘイを見上げている。金色の目が、真っ直ぐだ。
ヨーヘイ:「……するに決まってるだろ」
解析の声:「契約を開始します」
空気が変わった。
あの子の足元に、淡い光が滲み始めた。白い光だ。地面に薄く広がって、円を描いていく。円の中に細い線が走って——魔法陣のような紋様が浮かび上がった。光が陣の外縁から内側に向かって流れている。
あの子の体が、かすかに光った。金色の毛先に白い光が走って、耳の先端が一瞬だけ明るくなる。
ヨーヘイ:「……きれいだ」
声が漏れた。
光は数秒で消えた。魔法陣が薄くなって、地面に吸い込まれるように消える。あの子の体の光も引いていく。
あとには、膝の上で目を丸くしているあの子だけが残った。
解析の声:「従魔契約が成立しました。契約個体名の登録を行ってください」
ヨーヘイ:「名前をつけろってことですか」
解析の声:「はい。契約個体には名前が必要です。名前の登録をもって、契約は完了します」
ヨーヘイはあの子の耳を見ていた。大きくて、薄くて、光を通す。動くたびに、ひれのように揺れる。
ヨーヘイ:「フィン」
あの子の耳が止まる。
左右に開いていた耳が、同時にヨーヘイの方を向く。金色の目が、少し大きくなった気がする。
ヨーヘイ:「フィン。お前の名前だ」
あの子:「キュウッ!」
高い鳴き声だ。尾が激しく揺れている。耳がぴんと立って、目が輝いている。
解析の声:「登録しました。パートナー名:フィン。種別:未確定。グレード:判定不能。特技:嗅覚追跡(食用系特化)」
ヨーヘイ:「食用系特化って。……いや、合ってるけど」
フィンの耳が、ぴくりと動いた。ヨーヘイの膝に顎を乗せたまま、収納の方に鼻を向けている。
ヨーヘイ:「……お前、今収納の中の肉の匂い嗅いでるだろ」
フィンの尾が、小さく揺れている。
ヨーヘイ:「分かった分かった。焼く。今から焼く。約束する」
フィンが顔を上げる。目が開いた。耳がぴんと立つ。
ヨーヘイ:「反応が早すぎる」
解析の声:「ヨーヘイさん」
ヨーヘイ:「はい」
解析の声:「……12メートル先に岩場の窪みがあります。風避けになり、周囲の視認性も確保できます。Fグレード上位種の反応はありません」
ヨーヘイ:「焼き場の提案まで。完璧です」
解析の声:「……業務の範囲内です」
ヨーヘイ:「今の『業務の範囲内』、いつもより声が軽かったですよね」
フィンが先に歩き出していた。12メートル先の岩場に向かって、ぺたぺたと歩いている。
ヨーヘイ:「焼く場所に向かって先に歩くな。お前、本当に食いしん坊だな」
右足を引きずりながら、ヨーヘイはフィンの後を追った。
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【第11話−2 リザルト&ステータス】
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▼ ヨーヘイのステータス(11話−2終了時点)
Lv:3 HP:62/118(ポーション回復済み・右足負傷継続) MP:52/52
スキル熟練度:
・《解析》Lv1 熟練度 52/100(+2)
・《収納》Lv1 熟練度 17/100(+1)
・《採取》Lv1 熟練度 28/100(+6)★ツキシダ群生地で大幅上昇
・《解体》Lv1 熟練度 11/100(+3)ヤキボア解体
・《料理》Lv1 熟練度 1/100
・《従魔契約》Lv1 熟練度 1/100
▼ 本話の収支
・カゲダケ11束(依頼必要10束・1束余り)
・ツキシダ10束(依頼必要10束・ちょうど達成)
・ヤキボア素材(バラ相当・肩ロース相当・スペアリブ相当・F魔石1個)
・手持ち:0枚(未換金)
▼ インベントリ
・短剣×1
・採取へら×1
・冒険者証(Gランク・探索者)
・カゲダケ×11束
・ツキシダ×10束
・ヤキボア肉(バラ相当・肩ロース相当・スペアリブ相当)
・F魔石×1
▼ 戦闘記録
・ヤキボア×1(Fグレード下位・単体):フィンとの連携で討伐
- フィンが側面を取らせる囮動作
- フィンが突進の予備動作(鼻を地面につける)を察知、タイミングをずらす
- ヨーヘイは左足軸で回避し背面から短剣で仕留めた
▼ ヨーヘイの考察
解析さん、報告します。
あの子の鼻がすごいんです。カゲダケの残り2束を匂いで見つけてきて、ツキシダの群生地まで案内してくれて。俺の嗅覚じゃ絶対見つけられなかった場所です。
帰り道でヤキボアに遭遇しました。Fグレード下位。解析さんに「脂肪が多く蓄積されています」と聞いた瞬間、テンションが吹っ飛びました。バラと肩ロースですよ。右足が使えない状態でしたけど、フィンが横を走って側面を取らせてくれました。
「一緒に来るか」って言ったら膝に乗ってきた。フィンがいる。次は、焼きます。
以上、記録終わり。
【第11話-2】はじまりの仲間 ― うまそうな脂の匂いがした
「バラだ!」と声が跳ねる瞬間のために、この話を書きました。
右足負傷中・HP62。それでも脂の乗ったヤキボアには勝てなかった。44歳の優先順位の話です。
次の話で、焼きます。




