第11話−1 はじまりの仲間 ― 目が覚めたら、隣にいた
◆ 覚醒
最初に分かったのは、自分が生きていることだった。
頬が冷たい。土の匂いがする。湿った、腐葉土の匂いだ。吸おうとして、肺の奥が痛んだ。浅く、もう一度。今度は少しだけ入った。
鳥が鳴いている。遠い。風が木の葉を揺らしている音もする。
ヨーヘイ:「……っ」
右足だ。
鈍い痛みが、膝から下にじわじわと広がっている。さっきまでの——いや、さっきがいつだったのかも分からない。目を閉じたのが数分前なのか、数時間前なのか。痛みの質だけが変わっている。突き刺すような激痛ではない。もっと奥の、骨の周りで何かが腫れているような、重い痛みだ。
目を開ける。
視界がぼやけている。光が多い。木漏れ日が差していて、焦点が合わない。
——目の前に、金色の目がある。
丸い。大きい。真っ直ぐにこちらを見ている。十センチもない距離に、小さな鼻先がある。
ヨーヘイ:「……うわっ」
体が反射で引いた。背中が地面を擦る。その振動が右足に伝わって、膝から腰にかけて痛みが跳ねた。
ヨーヘイ:「いっ——! 痛い痛い痛い。動くな俺、動くな」
息を止めて、痛みが引くのを待った。3秒。5秒。じわじわと鈍い方に戻っていく。
もう一度、目の前を見た。
あの生き物だ。耳が不釣り合いなほど大きくて、左右にぴんと立っている。小さな体が地面にうずくまるように座って、金色の目がじっとこちらを見上げていた。
逃げていない。
ヨーヘイが急に動いたのに、一歩も引かなかった。
それどころか、こちらをじっと見ている。怪我をした後ろ足で、ここにうずくまって、意識のない人間のそばにずっといた。逃げた方が安全だったはずだ。森の中には上位種がいる。小さな体で、傷を負ったまま、それでもここにいた。
ヨーヘイ:「……お前か。お前、ずっとここにいてくれたのか」
声が掠れている。喉が乾ききっていた。
あの子が、耳をぴくりと動かす。ヨーヘイの声に反応している。それから視線がゆっくりとヨーヘイの右足に落ちて——また戻ってきた。
右足に目を向ける。
葉が一枚、傷口に貼りついている。銀白色の、朝露のような雫を帯びた葉だ。見覚えがない。でも、出血が止まっている。さっきまで——転がり落ちた時に開いた傷が、塞がっている。
ヨーヘイ:「……お前が、これ貼ってくれたのか?」
あの子は何も言わない。当たり前だ。でも、金色の目がまっすぐこちらを見ている。その目が、声の代わりに全部言っているように見えた。
ヨーヘイ:「……ありがとな。お前がいなかったら、俺——」
言いかけて、止めた。
最後の記憶が、ふっと蘇った。味噌汁の匂い。蓮のスニーカー。美咲の声。ポーションが手から滑り落ちた感触。地面に頬がついた冷たさ。そして——
ヨーヘイ:「……生きてる」
声に出して、確かめた。
ヨーヘイ:「生きてるな、俺」
目頭が、少しだけ熱くなる。こらえた。44歳が森の中で泣くのは二度目になってしまう。一度で十分だ。
解析の声:「……おはようございます」
声が来た。
静かで、いつもより少しだけ低い。けれど確かな声だ。
ヨーヘイは少しの間、何も言えなかった。喉の奥に何かが詰まっているような感覚がある。あの時——意識が落ちる直前、声が来なかった。「限界かもしれない」と言った俺に、何も返ってこない。あの沈黙が、痛みよりも怖い。
ヨーヘイ:「……おはようございます、解析さん」
ヨーヘイ:「……また声が聞けて、よかった」
解析の声:「……業務の範囲内です」
間が、一拍だけあった。
ヨーヘイ:「……今の間、なんですか?」
返事はなかった。
ヨーヘイ:「……まあいいです。聞きたいことは山ほどあるけど、今はいい。それより——」
解析の声:「ステータスを確認します。HP 38/118。右足の外傷は表面が封鎖済み。骨の状態は不明ですが、荷重をかけなければ歩行は可能と推定します」
ヨーヘイ:「38か。20から少し戻ってる。あの葉っぱのおかげか」
解析の声:「右足に貼付されている薬草の効果と推定されます。出血停止による自然回復分です」
体を起こした。腹に力を入れて、左腕で地面を押す。頭がぐらりと揺れたが、すぐに落ち着いた。座った姿勢で、周囲を見回す。
ポーションが、1メートル先の草の上に転がっていた。栓がまだ閉まっている。あの時、指から滑り落ちた、あのポーションだ。
ヨーヘイ:「……あった。お前、これ拾ってくれなかったの?」
あの子が首を傾げている。分かっていない。
ヨーヘイ:「まあ無理か。栓、開けられないもんな」
這って手を伸ばした。指先がポーションの瓶に触れる。掴んだ。栓を捻る。今度は開いた。指に力が戻っている。
一息で飲んだ。
あたたかい液体が、喉から胃に落ちていく。体の奥に、じわりと熱が広がった。右足の鈍痛が少しだけ引く。完全には治らない。でも——歩ける。歩ければ帰れる。
解析の声:「HP 62/118に回復。右足は荷重を避ければ歩行可能です。走行は推奨しません」
ヨーヘイ:「走るなと。了解です」
短剣が3メートル先に落ちていた。左足に体重を乗せて、片足を引きずるように歩く。拾い上げると、柄の冷たさが手の中に馴染んだ。
ヨーヘイ:「短剣よし。採取へらよし。収納にカゲダケ9束。シーオの実は——」
腰の道具袋を見た。口が開いている。中身が出ている。
ヨーヘイ:「ああ、ここからか。お前、この袋からシーオの実を嗅ぎつけたんだな。あれで2体を引き離してくれたのか」
振り返ると、あの子がヨーヘイの後を追うように歩いてきていた。後ろ足の怪我は治っている。ポーションが効いたのだ。小さな足で、ぺたぺたと地面を踏んでいる。
ヨーヘイ:「お前、ちゃんと歩けてるな。よかった。……ほんと、よかった」
二度言ってしまった。でもそれが正直な気持ちだ。
あの子が鼻をひくつかせる。ヨーヘイの右足——貼りついた葉の方を向いている。鼻が速く動いている。何かの匂いを追っているようだ。
解析の声:「右足の薬草を分析します。——ツキシロソウ。白銀草科。葉の効果は傷口の封鎖および止血。体力・スタミナの回復効果はありません」
ヨーヘイ:「ツキシロソウ。……こいつが見つけてきてくれたのか」
解析の声:「推定です。この個体がどこから入手したかは不明ですが、葉を口にくわえて運搬可能なサイズです。周辺に自生している可能性があります」
ヨーヘイ:「あの状態の俺に、薬草まで持ってきてくれたのか。2体を引き離した上に。……お前、恩しかないぞ」
あの子が耳をぴくりと動かす。褒められているのが分かったのか、分かっていないのか。尾がわずかに揺れた。
解析の声:「なお、ツキシロソウの根はエリクサーの主成分として知られています」
ヨーヘイ:「エ、エリクサー!? あのゲームとかでよく出てくるやつですか!? 完全回復するアイテムじゃないですか!」
解析の声:「はい。ただし、エリクサーの精製には根が必要です。根の採取には特殊な処理が必要で、現在の装備では困難です」
ヨーヘイ:「根……根かぁ。葉っぱは手に入ってるのに、根は駄目なのか。惜しい。めちゃくちゃ惜しいな……」
解析の声:「今回は葉のみで十分です。根については、また別の機会に」
ヨーヘイ:「別の機会って——つまり、装備が揃えばいけるってことですよね。覚えておきます。絶対覚えておきます。エリクサーの素材が、この辺りに自生してるんだから」
あの子が、不意に顔を上げた。
耳がぴんと立つ。鼻が速く動き始める。さっきまでのんびり歩いていたのに、体つきが変わった。狩りの構えだ。
そして、走り出した。
ヨーヘイ:「おい、待てって——!」
追えない。右足を庇いながらだと、あの子の速さには全然追いつかない。でも、50メートルほど先で止まった。地面に鼻を突っ込んで、前足でひっかいている。
追いついた時、あの子は口に何かをくわえていた。
カゲダケだった。根ごと。
ヨーヘイ:「……お前、嘘だろ。カゲダケの匂いが分かるのか?」
あの子がヨーヘイの足元に1束を置く。くるりと向きを変えて、また走る。少し離れた岩の陰から、もう1束くわえて戻ってきた。尾を振っている。
ヨーヘイ:「9束プラス2束で——11束! 依頼は10束だから、1束余るぞ。やった! お前すごいな!」
思わずしゃがんで、あの子の頭を撫でた。耳がぺたんと倒れる。嫌がっているわけではない。目が細くなっている。
解析の声:「カゲダケ11束を確認。依頼必要数は10束です。達成条件を満たしています」
ヨーヘイ:「カゲダケはこれで足りた。でも——ツキシダがまだゼロだ。あっちも10束要るんですよね」
あの子の耳が動いた。
ヨーヘイの声に反応したのか、それとも別の匂いを拾ったのか。首を巡らせて、南側の茂みを見ている。鼻が忙しく動く。
また走り出した。今度は振り返らない。茂みの奥に消えていく。
ヨーヘイ:「また行くのか——! お前、ちょっと、待——」
追いつけない。右足を引きずりながら、茂みの入り口まで来た。でもあの子の姿が見えない。走っていった方向は分かる。岩と木の根が入り組んだ一角だ。でも——いない。
10秒。20秒。
ヨーヘイ:「おい」
声を出した。返事がない。鳴き声もない。
30秒。
ヨーヘイ:「おい、大丈夫か——」
足が勝手に前に出た。右足の痛みが跳ねたが、止まれなかった。あの子がいない。さっきまでそこにいたのに、いない。Fグレード上位種がまだ近くにいたら——9束目の時みたいに接近していたら——
解析の声:「Fグレード上位種の反応はありません。周辺に脅威はないと推定します」
ヨーヘイ:「……ああ。そうですか。よかった」
膝から力が抜けた。解析さんが言ってくれなかったら、走り出していた。右足で。折れかけの右足で。
茂みの奥から、落ち葉を踏む音がした。
あの子が出てきた。口に何かをくわえている。前足で地面をひっかきながら、ヨーヘイの方に走ってくる。
薄緑色の葉だ。シダ状の。
解析の声:「ツキシダを検出。この一帯に群生しています。半径5メートル以内に推定8束以上」
ヨーヘイ:「群生——ここに、こんなに!? 嘘だろ!」
しゃがんで確認した。確かに、岩と木の根の隙間にツキシダが密集している。湿った日陰。カゲダケとは生育場所が違うタイプだ。だから昨日は見つけられなかった。
ヨーヘイ:「お前すごいぞ! こんな場所、俺の鼻じゃ一生見つけられなかった!」
声が大きくなっていた。安堵が混ざっている。すごいと思ったのは本当だが、戻ってきてくれたことの方が嬉しかった。
あの子の尾が、ぱたぱたと揺れている。褒められるのが好きらしい。
採取へらを収納から出した。根ごと丁寧に掘り起こす。1束、2束、3束。手が覚えている。あの子が先に走って次の群生地を見つけ、戻ってきてはヨーヘイの前で地面をひっかく。案内しているのだ。今度は、ちゃんと戻ってくる。そのたびに少しだけ安心する。
7束、8束、9束——
ヨーヘイ:「10——よし! 10束!」
解析の声:「ツキシダ10束を確認。カゲダケ11束と合わせて、依頼達成条件を完全に満たしました」
ヨーヘイ:「110枚だ。ツケを返して、余りが出る。帰れるぞ……!」
膝の力が少しだけ抜けた。地面に片膝をつく。安堵が、一気に来た。
あの子が、ヨーヘイの膝の横に座る。見上げている。金色の目が、また真っ直ぐだ。
ヨーヘイ:「……全部、お前のおかげだ。ありがとな」
頭に手を伸ばした。あの子が一瞬だけ身を引いたが、指先が耳の根元に触れると、動きが止まる。
耳が、ゆっくりと倒れていく。
ヨーヘイ:「お前、嫌じゃないのか……触っても大丈夫か?」
返事はない。でも、逃げない。
ヨーヘイ:「なんだこれ……猫の耳とも犬の耳とも違う。もっとふわっとしてて……蓮が生まれた時のほっぺたみたいだ。こんな柔らかい耳、初めて触ったな」
あの子の目が、ゆっくり細くなっていく。
風が、木の葉を揺らした。遠くで鳥が鳴く。森の奥は静かで、Fグレード上位種の気配はない。
腹が鳴った。
ヨーヘイ:「……そうだな。約束してたな」
収納の中に、ヤキボアのバラと肩ロースが入っている。まだ生だ。火を入れていない。でも、この鼻がある。
あの子が顔を上げた。耳がぴんと立っている。金色の目が、ヨーヘイの腰の収納の方を向いた。
ヨーヘイ:「焼くぞ。ちゃんと焼く。だから——一緒に来るか」
返事を聞く前に、あの子はもう立ち上がっていた。
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【第11話−1 リザルト&ステータス】
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▼ ヨーヘイのステータス(11話−1終了時点)
Lv:3 HP:62/118(ポーション回復済み・右足負傷継続) MP:52/52
スキル熟練度:
・《解析》Lv1 熟練度 50/100(+1)
・《収納》Lv1 熟練度 16/100(+1)
・《採取》Lv1 熟練度 28/100(+6)★ツキシダ群生地で大幅上昇
・《解体》Lv1 熟練度 11/100(+3)ヤキボア解体
・《料理》Lv1 熟練度 1/100
・《従魔契約》Lv1 熟練度 1/100 ←NEW
▼ 本話の収支
・手持ち:0枚(未換金)
・ポーション:使用済み(残0本)
▼ インベントリ
・短剣×1
・採取へら×1
・冒険者証(Gランク・探索者)
・カゲダケ×11束(採取完了)
・ツキシダ×10束(採取完了)
・ヤキボア肉(バラ相当・肩ロース相当・収納保持中)
・F魔石×1
▼ パートナー登録
・フィン(従魔契約・命名・本話)。種別未確定。嗅覚追跡(食用系特化)
▼ ヨーヘイの考察
解析さん、報告します。
目が覚めたら、あの子が隣にいました。10センチ先に金色の目があって、びっくりして体を引いたら右足が痛くて叫びました。情けない目覚めです。
でも、生きてた。それが最初に分かったことです。頬についた土の冷たさで。
右足に葉っぱが貼ってあったんです。ツキシロソウというらしい。止血の薬草で、根はエリクサーの素材になるとか。エリクサーですよ。でも根の採取には装備が要るらしい。惜しい。めちゃくちゃ惜しいけど、覚えておきます。
あの子の鼻で採取が全部揃いました。カゲダケ11束、ツキシダ10束。俺一人じゃ絶対無理でした。帰り道でヤキボアにも遭遇して、バラと肩ロースを仕留めました。収納に入ってます。
「一緒に来るか」と言ったら、返事より先に立ち上がっていました。次は、焼きます。
【第11話-1】はじまりの仲間 ― 目が覚めたら、隣にいた
「焼くぞ。ちゃんと焼く。だから——一緒に来るか」
返事を聞く前に、あの子はもう立ち上がっていました。この子は最初からそういう子です。
フィン、よろしくお願いします。




