第100話 奥に、根が、ある。
異世界に落ちた。帰れないアラフォーパパが、異世界で戦う。
とりあえず、腹が減ったので魔物を焼いた。
面白いと思ったら、評価やブックマークをもらえると
ヨーヘイより先に作者が泣きます。
一晩だけ、体を休めた。リリアの光も、ルカの火も、空のままでは、あの森は抜けられない。交代で火の番をして、家々の前の炭と塩の線を、守り直して、白まない夜を、ひとつ、越えた。白い波は、あの夜は、来なかった。奥の根が、力を溜めるみたいに、静かだった。その静けさが、かえって、急げ、と背中を押した。
夜明け。里長の家の戸口で、蓮の頭に、手を置いた。すぐ戻る。今度も、それだけを言った。
戸口を背にした、その時から、俺の足は、もう森へ向かっていた。
振り返らなかった。振り返れば、蓮の顔を、もう一度見てしまう。行かないで、と言えずに言葉を飲み込んだ、あの五歳の顔を。だから見なかった。見ない代わりに、腹の底へ、あの声を沈めた。パパ。必ず、戻る。それだけを錘にして、俺は白い森の口へ、足を踏み入れた。
――ひどい、ところだった。
里の斜面を登りきると、木々から色が抜けていた。葉は白く、枝は骨のように乾いて、幹の根元から、太い根が地面を割って這い出している。その根が、脈打っていた。どく、どく、と、地の下で何か大きなものの心臓が動いているみたいに、湿った鼓動を伝えてくる。踏むたび、足の裏に、生温い震えが返ってきた。
匂いが、鼻の奥に貼りつく。甘く、腐っている。熟れすぎた果実を、何日も日向に放ったような。そして、音がない。鳥も、虫も、風さえも死んだ、綿を詰めたような静けさ。生きているものの気配が、根の鼓動のほかに、ひとつもなかった。
ルカ:「……こっちや。子どもの頃、何べんも入った。奥に、泉があってな。そこを目指す」
先頭を行くルカの声が、掠れていた。狐の耳が、ぺたりと伏せられている。案内する、と自分から言った。里の奥なら、うちが一番わかる、と。だがその横顔は、知っている道が知らない姿に変わり果てているのを、一歩ごとに、突きつけられている顔だった。
フィンが、俺の肩の上で、ぐるる、と低く喉を鳴らした。丸まる代わりに、背を起こして、まっすぐ奥を睨んでいる。迷いのない、まっすぐさだった。色も音も死んだこの霧の中で、俺たちには方角も分からない。だが、この従魔にだけは、はっきりと見えている。奥に、何があるのか。
ヨーヘイ:(フィン、お前が指すほうへ行けばいいんだな)
フィン:「キュッ」
短い、確かな返事だった。
その白い森が、俺たちを、招かれざる客と見なしたのは、すぐだった。
枯れた下生えが、割れた。中から這い出てきたのは、四つ足の獣だ。狼に似ているが、毛は抜け落ちて、皮膚が青白く、目のあるべき場所に、白い綿のようなものが詰まっている。それが数えて、六。低く伏せて、こちらへ、じり、と間合いを詰めてくる。
解析:「敵性反応。……ヨーヘイさん、この魔物たち。今まで倒してきた獣とは、少し、違います。体の芯から、あの胞子と、同じ匂いがします。……この魔物たちは、"あれ"から、生まれています」
ヨーヘイ:("あれ"から……この森そのものから、湧いてるってことか)
考える暇はなかった。先頭の一匹が、地を蹴った。
ヨーヘイ:「ルカ、右を頼む! リリア、退路に光を! フィンは俺の目だ!」
背中の剣を抜きざま、俺は瞬歩で間合いを詰めた。景色が一瞬伸びて、獣の脇へ回り込む。振り抜いた刃が、青白い首を断つ。手応えが、いつもと違った。肉ではなく、湿った木の芯を断つような、鈍い感触。倒れた獣は、血の代わりに、白い綿を吐いた。
右手でルカの炎が唸った。二匹まとめて焼き払い、赤い光が霧を舐める。リリアの掲げた手から、金に近い光が筋になって伸び、俺たちの背後に、白の届かない一本道を敷いた。浄めの光の帯だ。それがあるおかげで、後ろから回り込まれずに済む。
残り三匹を、瞬歩と二刀で捌いた。長くはかからなかった。だが、勝ったという気は、しなかった。倒した獣が、みな、白い綿になって崩れていくのを見ていると、これは殺し合いではなく、腐った畑の草を毟っているだけだという気が、してくるのだ。
俺は、倒したばかりの一匹の前に、しゃがんだ。癖だった。倒した獣は、まず、食えるかどうかを見る。肉の匂いを嗅ぎ、身の締まりを確かめる。それが、この世界で生きてきた、俺のやり方だった。
だが、鼻を近づけた瞬間、腹の底が、拒んだ。
ヨーヘイ:「……駄目だ。これは、食えない」
解析:「はい。……この個体は、胞子に、汚染されています。食用には、適しません。口にすれば、里の人たちと、同じ症状が出ます」
解析より、俺の鼻のほうが、先に分かっていた。腐った甘さの奥に、命の匂いが、ひとつも残っていない。これは肉ではない。生きていたものの、抜け殻だ。
この森では、獲物が、食えない。
当たり前のことが、当たり前でない。それが、この場所の異様さを、何より腹に据えさせた。ここは、命を育てる森ではない。命を、白い綿に、作り替える畑だ。
ヨーヘイ:「……少し、食っておく。奥まで、腹が保たん」
俺は背負い袋から、携えてきた干し肉を出した。里を出る前に、自分の荷から分けておいたものだ。七輪に炭を熾し、火を入れる。汚染された白の中で、赤い熾火が、ぽつりと灯った。塩を振り、干し肉をのせると、じゅ、と脂が滲んで、炭の上で反り返った。焦げる香ばしさが、腐った甘さを、一瞬だけ押しのける。
この匂いだけが、この森で、生きていた。
ヨーヘイ:「リリア、ルカ、食え。フィンも。……一口でいい。奥は、もっと、きつい」
リリアが、光を保ち続けて汗ばんだ手で、それを受け取った。ルカは、無言で、口に運んだ。フィンが、肩の上から鼻先を伸ばして、俺の手のひらから、小さな一切れをくわえる。
フィン:「キュウッ」
脂の焦げた匂いを、蓮に嗅がせてやりたい、とふいに思った。この子は、サガリから先に食う。「もう焼けてる?」が口癖の、あの子に。――里に、あの匂いを、あの子のいる場所を、この白に二度と、渡すものか。俺は、干し肉の最後の一切れを噛み締めて、腹に力を入れた。
その火を消して、俺たちは、また奥へ進んだ。
脈打つ根が、太くなっていく。一本、また一本と、地を割る根が集まって、やがて、束になった。その束の伸びる先に――白い霧の、いちばん濃いところに、それは、立っていた。
人型だった。あの、里で対峙した白い人型が、束ねた根の前で、こちらに背を向けて、幹を見上げるように、立っている。俺たちの足音に、ゆっくりと、白い面が振り返った。
人型:「……戻ってきたのか。麦が、鎌を持って、畑へ」
ヨーヘイ:「なぜ、里を狙う。何が、目的だ」
答えないだろう、と思っていた。だが、人型は、隠さなかった。隠す必要が、ないのだ。畑に、麦が問いかけたところで、農夫は困りはしない。
人型:「世界には、裂け目がある。薄い、皮一枚の裂け目が。そこから、こちら側の実りが、少しずつ、滲み出す。私たちは、それを、育てる。育てて、収穫する。……この里は、よく肥えた、畑だった。ただ、それだけのことだ」
裂け目。滲み出す。育てて、収穫する。言葉のひとつひとつが、平たく、乾いていた。この男は、世界を、農地としか見ていない。
解析:「……その、裂け目は」
いつも即答する声が、詰まった。
解析:「その裂け目は……私が、」
ヨーヘイ:(解析さん?)
解析:「……いえ。……なんでも、ありません。忘れて、ください」
妙だった。相棒の声が、揺れた。名前も、数字も、迷わず返してくるはずの声が、何かを言いかけて、慌てて引っ込めた。まるで、触れてはいけないものに、指先が触れたみたいに。だが、問いただす間は、なかった。
ルカが、俺の前に、出たからだ。
ルカ:「……畑て、言うたな」
声が、震えていた。狐の尾が、ぶわりと膨れて、逆立っている。
ルカ:「今、畑て、言うたな。うちの里を。うちの、みんなを。……よう肥えた、畑やて」
人型は、答えなかった。答える価値もない、というように、束ねた根の奥へ、白い面を戻す。
ルカ:「うちが、生まれた里や。婆ちゃんも、幼馴染も、みんな、あそこで笑っとった。それが……それが、白ぅなって、痩せて、動けんようになって。……それを、水やりや、収穫やて。ふざけんな……ふざけんな……!」
ルカの目から、涙が、こぼれた。だが、その足は、退かなかった。震える手のひらに、赤い炎を灯し、涙を拭いもせず、彼女は奥を睨んだ。
ルカ:「うちが、断つ。この根、うちが断つ。奥まで、うちが連れてったる。……うちの里を、返してもらう」
俺は、その背中に、何も言わなかった。言葉は要らなかった。ただ、いつでも前へ出られるように、剣の柄を握り直した。この怒りに、俺の火を、添えるだけだ。
その時、白い霧が、奥から、うねって晴れた。人型が、片手を上げたからだ。誘うように。見せつけるように。
――霧の向こうに、それが、あった。
樹だった。ただ、桁が違った。
見上げても、見上げても、頂が霧に消えて見えない。幹は、里の家を何十軒も並べたほど太く、そこから伸びた無数の根が、地を割り、うねり、遠く里のほうまで這っている。あの根が、里を病ませていた大本だ。脈打つ鼓動の、心臓。幹の表面は、ぬめる白い樹皮に覆われ、その所々が、袋のように膨らんで、脈打つたびに、胞子を、はあ、はあ、と吐き出している。
巨大な、白い、化け物の樹。
人型:「あれが、私の畑の……実りだ。まだ、下ごしらえの途中だがな」
言い残して、人型は、幹の陰へ、白い霧に溶けるように、退いていった。討たせもせず、追わせもせず。まるで、これから起こることを、遠くから眺める気でいるみたいに。
俺は、その巨大な樹を、見上げた。剣は、抜いている。だが、どこを断てばいい。あの太さを、あの高さを、どうやって。
――いや。
俺は、目を細めた。料理人の癖だった。大きな塊を捌く時、いきなり刃を入れはしない。どこに筋が走り、どこに関節があり、どの順で解けば、いちばん楽に、いちばん綺麗に断てるか。それを、見る。あの膨らんだ袋。脈打つ根の束。胞子を吐く、あの一点、一点。あれには、順序が、あるはずだ。断つべき、順序が。
その順序を、俺の目が、拾い始めた、まさにその時だった。
幹の、はるか高み。霧の切れ間に、ひとつだけ、淡く光るものが、あった。
果実だった。この白い樹に、ただひとつ。腐った白ではなく、内側から、金色に、灯っている。甘い香りが、一瞬、風もないのに、俺の鼻先まで届いた。生きた匂いだった。この森で、あの干し肉の火の次に、たったふたつめの、生きた匂い。
肩の上で、フィンの鼻が、ひくり、と動いた。
解析:「……ヨーヘイさん。あの、果実」
解析の声が、久しぶりに、前のめりになった。
解析:「あの果実、内部構造が……あれは、他のどの素材とも、違います。あれは……あれは――」
そこで。
解析の声が、途切れた。
ぷつり、と、糸を切ったように。いつもなら続くはずの言葉が、来ない。名前も、数字も、危険度も。何ひとつ、返ってこない。
ヨーヘイ:(……解析さん?)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【第100話 リザルト&ステータス】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▼ ヨーヘイのステータス(本話終了時点)
Lv:31(本話は森の道中戦のみ・奥の巨樹は未撃破) HP:504/504 MP:244/244
スキル熟練度(本話で動いたものだけ記載):
・据え置き。《瞬歩》Lv2・熟練度29/《二刀流》35/《料理》Lv3・熟練度5 を維持(道中の汚染獣は瞬歩・リリアの光・ルカの炎で薙いで駆け抜け、剣の決定打は使わなかったため数値変動なし)
▼ 本話の収支
・異世界通貨20,581枚に増減なし(里の奥・売買なし)
▼ 収納アイテム(前話からの変動分のみ)
・携行の干し肉・塩を決戦前の一口に消費(携行の範囲内)/エリクサーは残り0本のまま/道中の汚染獣は胞子に汚染され食用にできず、解体も換金もしていない(この森の獲物は食材にならない)
▼ 本話の出来事
・99末の決断の後、一晩だけ里で回復(交代の火の番・炭と塩の線の守り直し。胞子の波はこの夜は来ず=根が力を溜める不気味な静けさ)。夜明けに蓮へ「すぐ戻る」を告げて出発
・里の奥、白く枯れた森(胞子の供給源)へ侵攻。ルカが先頭で案内(子どもの頃の森が変わり果て、狐の耳が伏せる)
・脈打つ根・色の抜けた木々・死んだ静けさ・甘く腐った匂いの森。フィンだけが迷わず奥(根)を指す羅針盤
・道中戦闘=汚染された獣型(六体)と交戦。解析「この魔物たちは、"あれ"から生まれています」=この世界の魔物の出自が、初めて言葉になる
・倒した獣が食えない=解析「胞子に汚染・食用不可」。ヨーヘイは携行の干し肉を七輪で炙り、全員へ一口(汚染の白の中で唯一"生きた匂い"/蓮を一瞬思う)
・人型と再対峙。侵略の言葉の一片=「世界の裂け目/滲み出す実り/育てて収穫する」。名も目的も明かさず
・解析が「その裂け目は……私が、」と言いかけて止まる=いつも即答の相棒が初めて言い淀む
・ルカの激情=「畑」「よう肥えた畑」と言われ、涙をこらえて「うちが、断つ。うちの里を、返してもらう」=当事者の決意(本人は病の大本が何かは知らないまま)
・奥の巨樹の全貌=桁外れの白い巨樹(頂が霧に消える/根が里まで這う大本/膨らんだ袋が胞子を吐く)。人型は「実り」と示して幹の陰へ退く
・ヨーヘイが料理人の目で、巨樹のどこを断てばよいか、その順序を読み始める
・末尾=幹の高みに、ただひとつ淡く金色に光る果実→解析「あの果実、内部構造が……あれは――」→そこで解析の声が途切れる→ヨーヘイ「(……解析さん?)」
▼ ヨーヘイの考察
獲物が、食えない森だった。倒しても、白い綿に崩れるだけ。命を、抜け殻に作り替える畑。あの人型は、そう言った。育てて、収穫すると。この里を、よく肥えた畑だと。
ルカが、泣いた。泣きながら、退かなかった。うちが断つ、と言った。あの背中に、俺は言葉を添えなかった。代わりに、剣を握り直した。あの怒りに要るのは、慰めじゃない。並んで立つ、一本の刃だ。
あの、桁違いの樹。どこを断てばいいのか、まだ分からない。だが、大きな塊ほど、順序がある。筋がある。関節がある。俺の目は、それを拾い始めていた。拾えれば、断てる。
――なのに。あの、光る果実を見た時。いつもなら、真っ先に名前を返してくるはずの相棒が、黙った。名前も、数字も、来なかった。あの果実は、何だ。なぜ、解析さんが、あれを、読めない。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
最後まで読んでくれてありがとうございます。
感想・評価・ブックマーク、どれでも嬉しいです。
星ひとつでも、ヨーヘイの飯がうまくなります。
また次話でお会いしましょう。




