第99話 火を、入れる場所。
異世界に落ちた。帰れないアラフォーパパが、異世界で戦う。
とりあえず、腹が減ったので魔物を焼いた。
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ヨーヘイより先に作者が泣きます。
白い壁が、里へ落ちてくる。
奥から膨れ上がった胞子の津波は、家一軒を丸ごと飲むほどの高さで、甘く腐った匂いを撒き散らしながら、斜面を滑り落ちてきた。あの綿のようなものが、波頭になって、うねる。触れれば、あの里の人たちのように、魔力を吸い尽くされる。そう分かる白だった。
考えるより先に、声が出ていた。喉が、勝手に、指示を叫んでいた。
ヨーヘイ:「リリア、中心! みんなを、あんたの後ろへ! ルカは右、俺は左! フィン、蓮のところだ!」
叫びながら、俺はもう左へ走っていた。斜面の下、里長の家のある一角へ、白い津波がまっすぐに向かっている。あの家に、蓮がいる。
リリア:「……はい!」
リリアが、里の井戸端まで駆け下り、動けずにいる里の人たちの前に立って、両手を高く掲げた。指先から、金に近い白い光が、傘のように広がる。教会で見た浄めの光を、何倍にも引き伸ばしたような、大きな光の膜だ。押し寄せた胞子の先端が、その膜に触れて、じゅう、と音を立てて溶けた。里の中心に、白の届かない円が、生まれた。
その円の内側に、腰の抜けた老人が、痩せた子どもたちが、身を寄せ合っている。リリアの背中が、震えていた。この大きさの光を、こんなに長く保つのが、どれほどの負担か、素人の俺にも分かる。それでも、リリアは、腕を下ろさない。
解析:「浄化域、展開を確認。半径、およそ十歩。……ヨーヘイさん、この光の外は、守られていません。膜の縁を、胞子が回り込みます」
いつもの声だ。名前も、数字も、即座に返してくる。さっきまで、あの人型を前にして詰まっていた相棒が、今は、はっきりと届いている。それが、どれだけ、心強いか。
ヨーヘイ:(回り込む……縁を、塞げばいい)
ルカ:「うちが、焼く!」
右手から、ルカの声。狐の手のひらに、赤い炎が渦を巻いた。押し寄せる胞子の塊へ、その炎を叩きつける。白い綿が、ぶわっと燃え上がり、黒い灰になって崩れた。腐った匂いに、焦げた匂いが混じる。もう一撃。もう一撃。炎が走るたび、白い波が、後ろへ削れていく。
この火魔法が、ルカの切り札だ。だが、燃費が重い。前に、本人がそう言っていた。使えるけど、すぐ腹が減る、と、笑っていた。今、その言葉の意味が、目の前にあった。
ルカ:「せやっ……! まだ、まだやで……!」
だが、ルカの息が、すぐに上がった。三発、四発と撃つうちに、炎の色が、目に見えて薄くなる。狐の耳が、ぺたりと寝て、額に汗が浮いた。
ルカ:「……あかん、燃費、わっる……! こんな、大きいの、続けて撃ったら……うち、すぐ、空になる……!」
解析:「ルカさんの魔力、残り、三割を切りました。あと、数発です」
まずい。炎は効く。だが、続かない。聖の傘は、面を守るだけで精一杯だ。その間にも、白い波は、膜の縁を、里長の家のほうへ、じわじわと回り込んでいく。
解析:「ヨーヘイさん。里長の家まで、あと二十歩。このままでは、家が、飲まれます」
ヨーヘイ:(分かってる……! 誰か、あの家の前を、塞がなきゃ……!)
だが、塞ぐ手がない。ルカは、右の波を抑えるだけで手一杯。リリアは、中心を離れれば、里の人たちが飲まれる。俺には、攻撃魔法がない。剣を抜いても、あの胞子には届かない。俺にあるのは――背中の荷物と、料理の道具だけだ。
あの家に、蓮が、いる。
だが――俺は、あの斜面で、確かめたことがある。料理の道具でも、できることが、ひとつだけ、あった。
俺は走りながら、背中の収納から、魔石七輪を引きずり出した。地面に据え、炭を放り込み、火を入れる。里長の家の前、白い波が回り込もうとしている、その一線に。炭が、赤く熾った。
ヨーヘイ:(煙が、通り道を、断つ)
煙が、細く立ちのぼる。その筋の内側へ、白い綿は、入ってこない。俺は腰袋を逆さにして、塩を、ひと筋、床に撒いた。家の戸口の前を、横切るように、まっすぐ。
白い波が、その塩の線に、突き当たった。
乗らない。越えない。塩の一本の線が、胞子にとっての、壁になる。斜面で見た通りだ。
俺は、手を動かし続けた。炭を継ぎ、七輪をずらし、煙の筋を、家の壁に沿って、伸ばしていく。塩が薄くなった場所には、すかさず撒き足す。炭が爆ぜて、火の粉が手の甲に落ちても、構わずに、次の一線を引く。これは、鉄板の温度を見るのと、同じだ。焦がさない場所と、焼き付ける場所を、指と鼻で見分ける。俺が、何百回、何千回と、厨でやってきたことだ。攻撃魔法はない。剣も届かない。だが、この手の、この段取りだけは、誰にも負けない。
煙と、塩と、火。俺の厨の道具が、里長の家の前に、一本の防波堤を引いていく。白い波は、その線の手前で、行き場を失って、うねるだけだ。
解析:「……ヨーヘイさん。里長の家の周り、胞子の侵入が、止まりました。あなたの引いた線の内側、被害、ゼロです」
戸口の、細い隙間から、小さな顔が覗いた。その足元に、丸い影が、ぴたりと寄り添っている。フィンだ。俺が叫んだ通り、蓮のそばを、離れていない。戸口に立ちはだかるように前へ出て、迫る白い波へ、牙をむいて、低く唸っている。小さな体を、精一杯、大きく見せて。この子を、通さない、と言うように。
いつも丸まって甘えるだけの従魔が、今日は、蓮の盾になっている。
蓮:「パパ……!」
蓮だった。里長の家の中から、俺を見つけて、泣きそうな顔で、けれど、外へは出てこない。俺が、すぐ戻ると額を合わせて置いてきた、あの子だ。フィンが、その足に、身を寄せて、キュッ、と短く鳴いた。大丈夫だ、と言うみたいに。
ヨーヘイ:「蓮! 出るな、そこにいろ! パパの引いた線の内側なら、大丈夫だ! パパを、信じろ!」
蓮:「……うん! うん、パパ、信じる!」
蓮は、戸口の内側に、ぺたんと座り込んだ。怖い、と、顔に書いてある。小さな手が、フィンの背の毛を、ぎゅっと握っている。それでも、動かない。俺の引いた塩の線を、両目でじっと見て、その内側から、出ない。五歳の子が、俺の言葉ひとつを、信じて、待っている。パパの引いた線の内側なら、大丈夫。その一言だけを、握りしめて。
だったら、俺は、その言葉を、噓にはできない。
その一線を、守り抜く。俺は、炭を継ぎ、煙を絶やさない。手が、熱で痺れても、絶やさない。塩が尽きかけたら、タレの壺の底に残った塩気ごと、線の上へ振った。焼肉屋を開くための道具の、その一粒残らずを、今は、この一線のために使う。
――どれくらい、そうしていたか。
やがて、白い波の勢いが、ふ、と緩んだ。里の中心の聖の傘、右のルカの炎、そして左の俺の煙塩の線。三方で凌ぎきった胞子の津波が、行き場を失って、じりじりと、後ろへ退いていく。
ルカ:「……はぁ、はぁ……止めた、んか……? うちら、止めたん……?」
里が、白い波の下から、また、姿を現す。藁葺きの屋根が、井戸の縁が、辛うじて、残っている。
止めた。守りきった。俺は、拳を握った。
――だが。
解析:「ヨーヘイさん。……胞子が、また、増えています」
退いたはずの白が、里の奥から、こんこんと、また湧き出してくる。あの「根」だ。奥で脈打つ、あれが、いくら焼いても、いくら塩で断っても、次から次へと、胞子を送り出してくる。
解析:「奥の供給源――『根』が、無傷です。ここを断たない限り、これは、何度でも、繰り返されます。……薬も、もう、ありません」
薬は、尽きた。里の一人ひとりを、この波から守り続けることは、できない。炭も、塩も、リリアの魔力も、ルカの炎も、いつかは、尽きる。今日、凌いだ。明日も、凌げるかもしれない。だが、明後日は。その次の日は。守るだけの戦いは、こちらが先に、尽きて終わる。
リリアの腕が、震えている。ルカは、膝に手をついて、肩で息をしている。俺の炭も、残りが、心もとない。この里を、本当に助けるには、白い波を止めるのではなく、それを吐き出している大本を、断つしかない。
なら、答えは、ひとつだ。
俺は、里の奥、白い霧の濃く渦巻くほうを、見た。あの人型が、片手を上げたまま、こちらに背を向けて、奥へ、退いていく。誘うように。根の、あるほうへ。逃げるのではない。畑の様子を、見に戻る農夫のような、そんな悠々とした足取りだった。
あの奥に、大本がある。里を、こんなにした、根が。それを断たない限り、ここで炭を継ぎ続けても、里は、少しずつ、白に食われて死ぬ。守るだけでは、間に合わない。
俺は、燃え尽きかけた炭を、七輪に落とした。腹は、決まっていた。
ヨーヘイ:「奥の、根を、断ちます。……それで、終わらせる」
俺の声に、リリアが、汗で張りついた前髪の下から、まっすぐに俺を見た。傘を保ち続けて、まだ息が整っていない。それでも、その目に、迷いはなかった。
リリア:「……お供します。ここまで来て、あなた一人を、行かせません」
ルカが、荒い息のまま、袖で汗を拭って、里の奥を睨んだ。
ルカ:「案内したる。里の奥なら、うちが、一番わかる。子どもの頃、何べんも入った森や。……うちの、里や。うちが、先頭、行く」
里長の家の戸口から、蓮が、俺を見上げている。行かないで、と、言いたそうな顔で。だが、言わなかった。
蓮:「パパ……」
ヨーヘイ:(必ず、戻る)
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【第99話 リザルト&ステータス】
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▼ ヨーヘイのステータス(本話終了時点)
Lv:31(本話は防衛戦=大本未撃破・ヨーヘイは料理の道具で戦線を維持) HP:504/504 MP:244/244
スキル熟練度(本話で動いたものだけ記載):
・なし(据え置き。《料理》Lv3・熟練度5を維持。剣・スキルでの直接戦闘なし=七輪・塩・炭火で戦線を支えたため)
▼ 本話の収支
・異世界通貨20,581枚に増減なし(里での売買なし)
▼ 収納アイテム(前話からの変動分のみ)
・炭・塩を胞子の防衛線に消費(携行の範囲内・在庫は継続保持)/エリクサーは残り0本のまま
▼ 本話の出来事
・98末の続き=里へ落ちる胞子の津波を、三方で迎撃。リリアの聖属性が里の中心に浄化の傘(面の守り)、ルカの炎が胞子を焼き払う(ただし火魔法は燃費が重く魔力が枯渇寸前)
・ヨーヘイが七輪の煙・撒いた塩・炭火の熱で、里長の家の前に「胞子の通り道を断つ一線」を引き、聖と炎の届かない隙間を料理人の道具で埋める=戦えない主人公の戦線維持
・里長の家に預けた蓮が、怖がりながらもヨーヘイ(パパ)の言葉を信じ、塩の線の内側から出ずに待ちきる=親子の信頼
・胞子の津波は退けたが、奥の「根」は無傷=胞子が無限に湧き直す。対症では終わらない=大本=奥の植物型を断つしかないと全員が理解
・人型は片手を上げたまま、奥(根のほう)へ誘うように退く(本話では討たず)
・末尾=ヨーヘイ「奥の、根を、断ちます」→リリア「お供します」ルカ「案内したる。うちの里や」蓮「パパ……」→ヨーヘイ(必ず、戻る)
▼ ヨーヘイの考察
守れた。今日は、守れた。リリアの光と、ルカの炎と、俺の、塩と炭で。剣は、一度も、抜かなかった。抜けなかった、とも言う。
蓮は、俺の線の内側で、動かずに待った。怖かったはずだ。それでも、パパを信じる、と言った。あの一言に、俺は、どれだけ、助けられたか。
だが、守るだけでは、終わらない。奥の根が、脈打つ限り、この白は、何度でも来る。薬は、もう、ない。塩も、炭も、いつか尽きる。
――だから、奥へ行く。断ちに行く。あの子を、この里を、もう二度と、白く塗らせないために。待っていろ、蓮。必ず、戻る。
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最後まで読んでくれてありがとうございます。
感想・評価・ブックマーク、どれでも嬉しいです。
星ひとつでも、ヨーヘイの飯がうまくなります。
また次話でお会いしましょう。




