第89話 届いた、報せ。
異世界に落ちた。帰れないアラフォーパパが、異世界で戦う。
とりあえず、腹が減ったので魔物を焼いた。
面白いと思ったら、評価やブックマークをもらえると
ヨーヘイより先に作者が泣きます。
リリアは、まだ、動かなかった。
伝令所の掲示板の前で、両手を体の脇に下ろしたまま、一枚の紙を見上げている。朝の光が斜めに差して、紙の端を白く光らせていた。そこに押された紋章——槌と天秤を組み合わせた、武具商組合の印——を、リリアの目が、なぞるように追っている。
ヨーヘイ:「リリアさん」
もう一度、呼んだ。今度は、肩のあたりまで近づいて。
リリアの睫毛が、ふるりと動いた。それで、ようやく、こちらに気づいたらしい。
リリア:「……あ。ヨーヘイ、さん」
ヨーヘイ:「どうした。さっきから、ずっと」
リリアは、すぐには答えなかった。紙を見て、ヨーヘイを見て、また紙を見た。それから、胸元に手をやった。何かを確かめるみたいに、布の上から、そっと押さえる。その仕草を、ヨーヘイは前に一度、見たことがあった。王都を出るより、ずっと前。古い街の、武具商の詰所の前で。
リリア:「……届いて、いました」
ヨーヘイ:「届いた?」
リリア:「いつか、置いてきた問い合わせの、返事です。もう、忘れられているかと、思っていました」
声が、いつもより細い。語尾が、空気に溶けるみたいに、間延びして消える。
ヨーヘイは、掲示板の紙に目を移した。組合の紋章の下に、几帳面な字が並んでいる。各地の組合詰所を回る、定期の伝令の写しらしい。求める品、探す人、引き取りたい品——そうした問い合わせの返答が、町から町へ、こうして貼り出されながら旅をする。その一行に、確かに、彼女の名があった。
リリア:「鉄鳶、という名前を、探していました」
ヨーヘイ:「テットビ」
リリア:「……はい。鉄の、鳶。盾を打った、職人の銘です」
リリアの指が、胸元から、ゆっくりと離れた。
リリア:「母が、持っていた盾に、その銘が、入っていました。母がいなくなってから、私は、その盾の行方を、ずっと。……鉄鳶を辿れば、いつか、母のことも、分かるかもしれないと、思って」
そこで、言葉が、止まった。
ヨーヘイは、続きを待った。けれど、リリアはそれ以上、口にしなかった。母のこと、と、それだけ言って、目を伏せる。聞いていいことと、待つべきことが、ある。それは、昨日、井戸のそばで思ったことと、同じだった。
ヨーヘイ:「それで、その返事には、なんて」
リリアが、顔を上げた。今度は、紙ではなく、ヨーヘイを見て。
リリア:「鉄鳶の、いた場所が、絞り込めた、と。……西の、街道の先。山を一つ越えた、職人町に、その銘の品を扱っていた店があるそうです。今もあるかは、分かりません。でも、当たれる場所が、一つ、できました」
リリアの手が、もう一度、その一行を指でなぞった。指の先が、わずかに、震えていた。母の盾を探して、街から街へ、紙を置いて回った。返事が来るとも限らないものを、置き続けて。その全部に、今、初めて、一筋の返りがあった。震えるのも、無理はなかった。
細い手がかりだ。確かなものは、何もない。けれど、切れてはいない。彼女が、ずっと、切れないように繋いできた糸の、その先が、ほんの少しだけ、手元に手繰り寄せられた。
リリアは、もう一度、紙を見上げた。その横顔は、もう、さっきの、宙に浮いたようなものではなかった。
リリア:「……当たらなくても、置いておけば、いつか、誰かの目に留まる。母も、そうやって、探したはずですから」
言って、リリアは、小さく、息を吐いた。
ヨーヘイは、その横顔を、少しの間、見ていた。
母を探して、ここまで来た人だ。盾の銘という、細い糸を一本だけ握って、街から街へ、問い合わせを置いて回って。返事が来るかも分からないものを、それでも置き続けて。——その気の長さが、ヨーヘイには、他人事ではなかった。自分も、結局、似たようなものだ。帰る道のない場所から来て、それでも、いつか会いたい顔を、心の隅に、ずっと置いている。置いておけば、いつか、と。リリアの言葉は、そのまま、自分にも刺さる言葉だった。
違うのは、リリアには、手繰る糸が、今朝、一本、たぐり寄せられたこと。自分のほうは、まだ、糸の先がどこにあるのかも、分からない。それでも、彼女の手がかりが前に進んだことは、なぜだか、自分のことのように、嬉しかった。
その時、後ろから、軽い足音が駆けてきた。
ルカ:「なになに、なんの話。リリア、なんか顔、変やで」
リリア:「……変、ですか」
ルカ:「ええ意味でや。なんか、ぱっとした」
ルカは、リリアの隣に並んで、掲示板を見上げた。字を追って、首をかしげる。
ルカ:「うちは字、あんまり読まれへんけど。……これ、リリアの探しもんの、手がかり?」
リリア:「……はい。そう、みたいです」
ルカ:「ほんなら、行かな」
ルカは、あっさりと言った。耳が、ぴんと立っている。
ルカ:「行こや。西やろ。うちらも、どうせ西やん」
リリアの目が、わずかに揺れた。
リリア:「……でも。ルカさんの、里のほうが」
言いかけて、リリアは口をつぐんだ。
ルカの里の子らのことが、頭にある。一日でも早く、薬を届けたい。その道の途中で、自分の探しものに、足を止めさせていいのか。リリアは、そういうことを気にする。気にしすぎる、と言ってもいい。
ルカ:「そういうの、ええねん」
ルカが、リリアの言葉を、最後まで言わせなかった。
ルカ:「うちの里に行くのも、リリアの探しもん辿るのも、どっちも西や。同じ道や。途中で寄れるなら、寄ったらええ。なあ、ヨーヘイ」
ヨーヘイ:「方角は、確かに同じだ。詳しいことは、地図を見て、ちゃんと決めよう」
ヨーヘイは、そう言うに留めた。職人町がどこで、里への道とどこまで重なるのか。それは、紙の上の一行だけでは決められない。どちらも、急いている。だからこそ、勢いで決めずに、ちゃんと見比べたかった。
リリア:「……はい。ありがとう、ございます」
リリアが、頭を下げた。下げた拍子に、後れ毛が、頬にかかる。
ヨーヘイは、視線を、町の通りへ移した。朝の宿場町は、もう、荷を積む人や、馬を引く人で動き始めている。先へ進むなら、その前に、やっておくことがあった。
◆ 宿場町・換金所と、朝の屋台
通りの角に、換金所の看板が出ていた。
ヨーヘイは、収納から、走り鳥の魔石と、抜いておいた羽毛の束を取り出した。魔石は、Eの、小さなもの。羽毛は、軽くて、嵩がある。脂の乗った地走りの鳥の羽は、寝具の詰めものに使えると、街道で聞いていた。
換金所の親父が、魔石を光にかざし、羽毛を一掴み、握って戻りを確かめた。
換金所の親父:「魔石が二百。羽は、状態がいいな。四百五十でどうだ」
ヨーヘイ:「助かります」
銅貨が、六百五十枚。手のひらの上で、ずしりと鳴った。山を越えるなら、路銀は、あって困らない。
解析の声:「換金額、相場の範囲内です。羽毛は、やや高く引き取られています」
ヨーヘイ:(脂が乗ってたからな。鳥の脂は、羽まで仕事をする)
換金所を出ると、ルカが、屋台の鉄板の前で待っていた。
ルカ:「ヨーヘイ、むね肉、まだちょっと残ってるやろ。朝、食うてから行こや。腹減って山越えるの、しんどいで」
ヨーヘイ:「違いない」
収納の底に、走り鳥のむね肉が、あと二切れ。脂の少ない、淡白な肉だ。昨日まで、皮目を焼いて脂を立たせる食べ方ばかりしていたから、今朝は、変えてみることにした。
薄く、削ぐように切る。塩を、軽く。鉄板を、強めに熱して、さっと、両面を撫でるように焼く。火を入れすぎない。淡い肉は、入れすぎると、すぐに固くなる。表面だけ、香ばしく色がついたところで、上げる。餞別にもらった干した実を、刻んで散らした。甘みと、酸み。淡白な肉に、味の取っ掛かりができる。
リリア:「……いい、匂い」
リリアが、鉄板を覗き込んだ。手がかりが届いて、肩の力が、少し抜けたのかもしれない。さっきまでより、表情が、やわらかい。
一切れずつ、配った。
ルカ:「……あ、これ、昨日とちゃう。さっぱりしてる。朝に、ええわ」
ルカの尾が、左右に揺れた。
通りすがりの荷馬車の御者が、煙に振り向いて、足を止めた。
御者:「兄ちゃん、それ、売りもんかい」
ヨーヘイ:「すみません、今朝は、身内の腹ごしらえだけで」
御者:「なんだ、残念。……いい煙、出してるな。どこかに、店、構えてんのか」
ヨーヘイ:「いえ。まだ、どこにも」
まだ、どこにも。そう答えるのは、これで、何度目だろう。行く先々で、同じことを聞かれる。煙を見て、足を止めて、店はどこだ、と。
いつか、その問いに、ここだ、と、通りの一点を指して答えられる日が来るだろうか。腰を据えた、一軒の店。毎朝、同じ場所に火を入れて、誰が来ても、同じ味を出す。——そういう景色は、まだ、遠い。けれど、こうして聞かれるたびに、その遠さが、ほんの少しずつ、近くなっている気もした。
御者は、笑って、馬車を進めていった。
フィンが、外套の内から、鼻先を出した。鉄板の匂いに、つられたらしい。ヨーヘイは、小さく切ったむね肉を、指先で、外套の中へ運んだ。
フィン:「キュッ」
ヨーヘイ:(人前だからな。中で、静かに食えよ)
◆ 西へ・街道の分かれ
腹ごしらえを終えて、一行は、宿場町を出た。
町を抜けると、街道は、ゆるい上りになった。遠く、霞の向こうに、山の稜線が見える。あの山を、一つ越える。リリアの手がかりの先も、ルカの里も、その向こうだ。
リリアが、隣を歩きながら、何度か、口を開きかけては、閉じた。やがて、思い切ったように、顔を上げた。
リリア:「……あの、よろしければ」
ヨーヘイ:「ああ」
リリア:「山を越えた、最初の分かれ道のことなんですが。職人町は、北の谷筋だと、伝令には。ルカさんの里は、西の、もっと先。……もし、北に少しだけ、寄っていただけるなら」
リリアが、自分から、道を口にした。
これまで、彼女は、いつも一歩、退いていた。皆の決めた道を、黙って付いてくる。自分の探しもののために、皆の足を、止めさせない。そういう人だった。その彼女が、今、自分の行きたい先を、言葉にしている。
ヨーヘイ:「……いいと思う。山を越えたら、分かれ道で、地図を広げよう。北の谷が、どれくらいの寄り道になるか、ちゃんと測って——」
言いかけて、ヨーヘイは、口を閉じた。
外套の中で、フィンが、もぞりと動いた。さっきまで、肉の余韻で、丸まっていたはずだった。それが、急に、体を起こした。鼻先が、外套の合わせ目から、ぐっと突き出される。
向いた先は、前ではなかった。
後ろ。通ってきた、街道の、霞んだ向こう。
解析の声:「……気配を、捉えました」
ヨーヘイの足が、止まった——のではなく、歩幅が、ひとりでに狭くなった。声が、続く。
解析の声:「王都に入る前と、同じ匂いです」
フィンが、外套から、すっかり顔を出して、後ろを向いていた。喉の奥で、低く、ひとつ、鳴く。それは、いつもの三つの鳴き声の、どれとも違っていた。
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【第89話 リザルト&ステータス】
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▼ ヨーヘイのステータス(本話終了時点)
Lv:31(戦闘なし・据え置き) HP:504/504 MP:244/244
スキル熟練度(本話で動いたものだけ記載):
・なし(非戦闘・既知の手での調理のみ=据え置き)
▼ 本話の収支
・収入:銅貨650枚(走り鳥の魔石〔E〕200・羽毛450を換金)
・支出:なし(宿場町を当日出立・新たな宿代なし)
・本話終了時手持ち:20,581枚(銅貨)
▼ 収納アイテム(前話からの変動分のみ)
・走り鳥の魔石(E)・羽毛を換金で手放す
・走り鳥のむね肉(残り)を朝の一皿で消費=走り鳥の在庫を使い切る
・小瓶一本(ルカが布に包んで継続携行=里で薄めて使う想定)に変動なし
・ヴェルナとニナからの餞別(塩漬け・干した実)を継続保持(干した実を一部使用)
・各魔石・装甲・厚皮・換金待ちの品は継続保持。レア鉱石はドンネ預かり
▼ 本話の出来事
・88末の続き=リリアが見つめていたのは、武具商組合の紋章入りの伝令の写し。いつか彼女が置いた「鉄鳶」への問い合わせの返りだった
・鉄鳶=母の盾に入っていた職人の銘。リリアは盾の行方を辿って、母の手がかりを探していた(母の真相は語られない)
・伝令の報せ=鉄鳶の品を扱っていた店が、西の山を越えた北の谷筋の職人町にあると絞り込まれた。「次にどこで当たれるか」の一点が手に入る=長く動かなかったリリアの探しものが、再び前へ
・ルカが「同じ道や、寄ったらええ」と背を押す。ヨーヘイは方角の一致を認めつつ、寄り道の幅は地図で測って決める方針(道の最終決定は保留)
・宿場町の換金所で走り鳥の魔石・羽毛を換金(路銀=山越えの備え)。残りのむね肉を、皮目焼きとは変えた“さっと炙って干した実を散らす”朝の一皿に
・通りの御者に「店はどこだ」と問われ、「まだ、どこにも」と返す=腰を据えた店への手応えの継続
・出立後、リリアが自分から「北の谷へ少し寄ってほしい」と道を口にする=いつも一歩退いていた彼女が、初めて、自分の行きたい先を言葉にする
・末尾:その言葉の途中、フィンが街道の後ろを向く。解析が「気配を捉えました/王都に入る前と、同じ匂いです」。フィンが、いつもの三つの鳴き声と違う、低い声で鳴く
▼ ヨーヘイの考察
解析さん、記録、お願いします。
今朝、リリアさんに、報せが届きました。鉄鳶、という、職人の銘の手がかりです。お母さんの盾に入っていた名前だ、と。彼女が、ずっと、切れないように繋いできた糸の先が、少しだけ、手元に来ました。当たれる場所が、一つできた。それだけで、人の顔は、こんなに変わるんですね。
それから、ずっと気になっていたことが、一つ。リリアさんは、いつも、一歩、退く人でした。皆の決めた道を、黙って付いてくる。でも今日、初めて、自分から「こっちに寄ってほしい」と、言いました。北の谷へ、と。あの一言を言うのに、彼女がどれだけ迷ったか。隣で歩いていて、分かりました。だから、ちゃんと、地図を広げて、応えたい。
走り鳥の在庫は、今朝で、使い切りました。最後のむね肉は、皮目を焼かずに、さっと炙って、干した実を散らしてみました。淡い肉には、甘みと酸みの取っ掛かりが要る。ルカが、朝にええわ、と言ってくれました。魔石と羽は換金して、路銀にしました。山を、越えるので。
……その、山越えの話を、している途中でした。フィンが、後ろを向いたんです。前じゃなくて、来た道のほうを。解析さんが、気配を捉えた、と。王都に入る前と、同じ匂いだ、と。あの匂いが、また、追いついてきました。あれは、誰の足音なんでしょうか。記録、お願いします。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
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星ひとつでも、ヨーヘイの飯がうまくなります。
また次話でお会いしましょう。




