第33話『持ち込む強さ』
品評会当日の早朝のハウスは、まだ冷えていた。
ビニール越しの光が、やわく差し込む。
その中で、紅野いちかは黙って手を動かしていた。
赤い実を、一つずつ取る。
見る。
置く。
箱の中に並んでいくのは、揃った実だけ。
――少ない。
見なくても分かる。
分かっとるけど、手は止めん。
後ろで、母が静かに数えよった。
「……規定、ギリやね」
その一言で、空気が止まる。
いちかは何も返さず、次の実を手に取った。
少しだけ、小さい。
色はある。重さもある。
でも――どこか、ズレとる。
揃っとらん。
じっと見る。
ほんの一瞬、迷いがよぎる。
入れれば、数は安定する。
外せば、ギリギリになる。
指に、少しだけ力が入る。
――そっと、戻した。
「これ、入れん」
短く言う。
母は何も言わなかった。
ただ一度、うなずいた。
「削りきったな」
後ろから、相良仁花の声。
振り返らずに分かる、あの笑い方。
「なら文句ねぇやろ」
軽い声。
でも、その奥はちゃんと見とる。
いちかは、小さくうなずいた。
「菌も揃っとる」
蔵本澪がしゃがみ込んで、箱の中を覗く。
「後は……崩れんかだけ」
理屈の顔じゃない。
これは、賭けに入っとる顔。
分かっとる。
全部、ギリ。
畠山調が、箱を一つ持ち上げた。
重さを測るみたいに、静かに。
「総合点では不利」
はっきり言う。
でも、間を置いて続けた。
「……でも、評価軸は揺らせる」
その時だった。
「入口、弱い」
宇良彩葉の一言。
全員の手が止まる。
彩葉はもう動いとった。
箱を引き寄せる。
並びを崩して、組み直す。
向き。
高さ。
間隔。
ほんの数ミリ、数センチ。
でも、空気が変わっていく。
「数が少ないなら、“揃い”で勝つ」
手を止めずに言う。
「見た瞬間に、“あ、違う”って思わせる」
いちかは、それを黙って見よった。
箱の中。
赤が、揃っていく。
数じゃない。
“質の並び”。
「……これでよか」
ぽつりとこぼす。
準備は終わった。
「怖か?」
母の声。
いちかは、少しだけ笑った。
「怖かよ」
正直に言う。
間を置いて、
「でも、もう迷わんばい」
箱を車に積む。
揺れんように、きっちり固定する。
揃えたものを、崩さんために。
走り出す。
車の中は、静かやった。
誰も喋らん。
ただ、エンジンの音だけが続く。
いちかは箱から一粒取った。
赤い実。
それを、口に入れる。
――甘い。
すぐ来る。
迷いのない甘さ。
飲み込む。
……一瞬、静かになる。
そのあと。
ふっと、来る。
夕焼けみたいに。
遅れて、広がる。
そして――残る。
目を閉じる。
(これでよか)
ゆっくり、息を吐いた。
会場が見えてくる。
人、人、人。
空気が、重い。
車を降りる。
箱を持つ。
視線が、刺さる。
前と同じ場所。
でも、違う。
並んどる。
相良仁花。
前よりでかい箱を抱えとる。
蔵本澪。
クーラーボックスを静かに運ぶ。
畠山調。
寸分の狂いもない規格箱。
宇良彩葉。
美しいパッケージ。
そして――
京極綺羅。
静かに立っとる。
何もせんでも、そこにおるだけで空気が変わる。
一瞬、目が合う。
「……減らしたのね」
綺羅が言う。
静かに。
でも、全部見抜いとる声。
いちかは、ほんの少しだけ笑った。
「揃えた」
一拍。
綺羅の口元が、わずかに動く。
「いい判断」
それだけ。
でも、十分やった。
受付に進む。
箱を差し出す。
係員が確認する。
「規定数、確認します」
時間が、少しだけ伸びた気がした。
……カチ、カチ、と数える音。
一瞬の間。
「……問題ありません」
その一言で、空気が戻る。
いちかは、ゆっくり息を吐いた。
胸の奥にあったものが、少しだけ落ちる。
でも――
(足りんまま、来た)
分かっとる。
(でも)
箱の中の赤を思い出す。
あの揃い。
あの味。
(これが答えやけん)
静かに、前を向いた。




