第30話『揃わない』
定植から、さらに数日。
ハウスの空気は、変わらず静かだった。
ビニール越しの光がやわらかく差し込み、畝をなぞるように広がっている。
苗は揃って見えた。
葉は立ち、色は濃く、ツヤもある。
――順調。
誰が見ても、そう言う。
けれど。
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仁花がしゃがみ込む。
迷いなく、土に手を入れる。
軽く崩す。
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その手が、止まる。
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「……バラバラばい」
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澪がすぐ横に来る。
同じように、土を掘る。
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「え……」
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一本、細い根。
まっすぐ下に潜っている。
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別の株。
横へ逃げるように伸びている。
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さらに隣。
ほとんど動いていない。
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澪の声が小さくなる。
「同じ条件やのに…」
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調が立ったまま言う。
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「同じじゃない」
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一拍。
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「“受け取り方”が違う」
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静かな言葉だった。
だが、重かった。
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いちかは、立ったまま畝を見ている。
動かない。
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「……味、ズレる」
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全員が止まる。
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彩葉が振り向く。
「見た目じゃ分からんよ?」
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いちかは、短く返す。
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「分かる」
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一拍。
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「これ、このまま行ったら――」
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「揃わん」
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風が、わずかに葉を揺らす。
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調がゆっくりと畝に降りる。
土をすくう。
軽く握る。
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「根が動いたことで」
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ほろり、と崩れる。
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「“個体差”が出た」
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指先に残る湿りを見ながら、続ける。
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「これは、良い土の証拠でもある」
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一拍。
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「でも――品評会では負ける」
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沈黙。
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仁花が、ふっと笑う。
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「面白いやん」
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立ち上がる。
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「強いのだけ残せばいいやん」
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その瞬間。
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いちかが首を振った。
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「違う」
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声は低い。
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「全部で勝つ」
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空気が、変わる。
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仁花が目を細める。
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「欲張りやな」
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いちかは視線を逸らさない。
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「当たり前やろ」
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澪が間に入る。
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「でも…どうやって揃えるん?」
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その問いが落ちる。
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いちかは、答えられない。
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畝を見る。
根の動きは見えない。
だが、分かる。
ズレている。
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沈黙。
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その中で。
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調が、ぽつりと落とす。
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「水」
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全員が見る。
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「今は“探させとる”段階」
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一拍。
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「次は――」
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指先で土を押さえる。
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「“止める”」
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その言葉が、重く沈む。
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いちかの目が、揺れる。
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「……止める場所も、決める」
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自分で言葉をなぞるように呟く。
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仁花が腕を組む。
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「動かしたら、止めるか」
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澪が不安そうに言う。
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「でも…触りすぎたら…」
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調が即座に切る。
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「戻る」
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一拍。
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「根は、今が一番弱い」
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その言葉に、いちかの手がわずかに動く。
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夕方。
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ハウスに、誰もいない。
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いちか一人。
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ホースを持つ。
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蛇口に手をかける。
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止まる。
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畝を見る。
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昨日と、同じに見える。
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でも違う。
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根は、動いている。
見えない場所で。
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「……揃えんといかん」
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小さく呟く。
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ホースを握る手に、力が入る。
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動かせば、揃うかもしれない。
水を寄せれば、集まるかもしれない。
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でも――
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調の声が、頭に残る。
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「触るな」
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一拍。
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仁花の声。
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「強いのだけでええ」
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澪の声。
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「壊れるかもしれん」
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彩葉の声。
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「動き、出とるよ」
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いちかは、目を閉じる。
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思い出す。
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一本の根。
乾いた層に、突っ込んだあの動き。
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「……探しよった」
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目を開ける。
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ゆっくりと、ホースを下ろす。
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蛇口から、手を離す。
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水は、出ない。
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何も、しない。
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畝を、ただ見る。
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「……まだばい」
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一歩、下がる。
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その選択は、逃げじゃない。
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待つための、判断。
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風が通る。
葉が、わずかに揺れる。
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見えない土の中で。
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根は、まだ動いている。
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止まっていない。
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「……揃うかどうかは」
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小さく、息を吐く。
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「ここから」
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動かしただけでは、揃わない。
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揃えなければ、勝てない。
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だが――
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触れば、壊れる。
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夕焼けが、ハウスを染める。
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その色は、まだ土の中。
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見えないまま、残ろうとしている。
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次に必要なのは――
止める技術




