第24話『夕焼けの色』
昼。
いちかはスコップを差し込み、堆肥山を大きくひっくり返した。
ぶわっと湯気が立ち上る。
熱はある。
発酵も進んでいる。
手を差し入れる。
「……ええ」
温度も、湿りも、手触りも悪くない。
むしろ、今までで一番いい状態だった。
それでも――
「……なんか、違う」
ぽつりと漏れる。
自分でも理由は分からない。
でも、“これじゃない”という感覚だけははっきりしていた。
そのとき。
「温度は完璧」
背後から、蔵本澪の声。
振り向くと、白衣のまましゃがみ込んで、土をつまんでいる。
「菌もちゃんと動いてる」
一拍。
「でも、“狙いの味”には繋がってない」
いちかは何も言えない。
そこへ、相良仁花も覗き込む。
「力はあるばい」
腕を組んで、ニヤリとする。
「でも、“押し切る力”じゃなか」
畠山調は無言で中を崩し、断面を見て頷いた。
「方向は合ってる」
短く。
「精度が足りん」
宇良彩葉が、少し離れたところから笑う。
「まだ“色”が曖昧やね」
その一言で、全部が揃った。
悪くはない。
でも、違う。
いちかは、ただ堆肥を見つめた。
⸻
作業が一段落した頃。
空気が少しだけやわらいだ。
いちかは一人、堆肥山の前に残る。
何気なく空を見上げる。
まだ明るい。
けれど、ほんの少しだけ色が変わり始めていた。
白に、橙が混ざる。
その瞬間。
ふと、母の声がよみがえる。
「飲み込んでからやないと、本当の味は分からん」
いちかはゆっくりと視線を落とした。
堆肥。
自分の作っているもの。
「……時間」
小さく呟く。
「最初やない」
「途中でもなか」
一拍。
「“あと”ばい」
その言葉が、自分の中に落ちていく。
⸻
気づけば、時間が過ぎていた。
空が変わる。
赤。
橙。
その奥に、かすかな紫。
全部が混ざっている。
でも、濁っていない。
一瞬だけ現れる、完成された色。
いちかは立ち上がった。
息をのむ。
「……これっちゃない!」
思わず声が出る。
すぐに堆肥へ視線を落とす。
柿の橙。
巨峰の枝の茶。
くん炭の黒。
米ぬかの白。
全部、ある。
でも――
「バラバラや」
空を見る。
堆肥を見る。
もう一度、空を見る。
「同じばい」
理解が走る。
今の堆肥は、素材が並んでいるだけ。
でも夕焼けは違う。
全部が溶け合って、“一つ”になっている。
いちかの呼吸が深くなる。
「夕焼けって」
ゆっくり、言葉にする。
「昼の終わりやけど」
首を振る。
「ただの終わりやなか」
少しだけ笑う。
「一番綺麗に残る時間や」
胸の奥が熱くなる。
「味も同じばい」
拳を握る。
「飲み込んだ後に」
「一番残る瞬間」
そのイメージが、はっきりと形になる。
「それが――」
空を見上げる。
赤と橙が溶け合う。
「夕焼け」
⸻
「決まった?」
背後から、声。
振り向かなくても分かる。
彩葉たちが来ている。
いちかは、空を見たまま言う。
「……夕焼け」
空気が止まる。
いちかは続ける。
「最初で勝たん」
「途中でも勝たん」
ゆっくりと振り返る。
目は、もう迷っていない。
「最後に、全部持っていく」
一歩、踏み出す。
「私が作るんは」
はっきりと。
「夕焼けの堆肥ばい」
⸻
彩葉が、ふっと笑う。
「やっと言ったね、いっちゃん」
仁花が肩を鳴らす。
「いいやん。“後から来る火”や」
澪は小さく頷く。
「菌、設計できる」
調は、ただ一言。
「じゃあ、削れ」
いちかは目を細める。
「……削る?」
調は堆肥を軽く崩しながら言う。
「余計なもんはいらん」
一拍。
「夕焼けは、“混ぜすぎ”では出ん」
その言葉が、まっすぐ刺さる。
⸻
いちかは、もう一度堆肥を見る。
柿。
枝。
ぬか。
くん炭。
全部、大事な材料。
でも――
「……選ぶ」
ぽつりと呟く。
“全部使う”じゃない。
「残すもん、決める」
ゆっくりと手を差し入れる。
熱がある。
でも、さっきとは違う。
意味のある熱。
自分の目指すものに向かっている熱。
顔を上げる。
空は、完全に夕焼けだった。
赤と橙が溶け合い、
境目が消えていく。
それは、終わりの色じゃない。
次に繋がる色。
いちかは小さく息を吐く。
「……まだ足りん」
でも、その顔はもう迷っていない。
「でも」
少しだけ笑う。
「見えた」
夕焼けの色。
それは――
“残り続ける味”の色だった。




