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ウォルバーと私  作者: 一ノ瀬きなこ(吉菜小)
第二章
38/41

第37話 姉

 キャラクターイラストが完成しました。Twitter(@WollverAndMe3)にて公開しています。

グレイの姉ちゃんがお見舞いに来ました。

湖畔は煌めく。水面の輝きを風がこそいで、換気に開けた窓の隙間から部屋に持ち込む。陽の光が天蓋のように彼の寝台を包んだ。脇に立ち額から前髪をのければ、その指があっけなく男手に捕らえられる。

「昔みたいに、乱暴に起こしてくださらないのですか」

 私の手のひらに一つキスをしながら、上目で心まで覗かれそうだった。勢いよくシーツを剥いでいたあの日々が懐かしい。もうあんな戯れは許されない。間柄が変化してしまったから。

「怪我を治すには食べて寝ることとお医者様に言いつけられましたからね。もう少し寝ていてもよろしいのですよ」

「じゃあ、貴女も一緒に二度寝してください」

 腕が腰に回され、気づけば寝台の上に抱き上げられている。

「おやめになって、傷に障りますから」

 逃れようとする私に少年みたいないたずら顔をのぞかせた。表情は幼いのに、腕の力は逞しくて。彼は異性なのだと嫌でも気づいてしまう。

「怪我が治れば、あなたに俺を拒む理由はないのですね」

 そのからかい言葉を受け流せずに、口角が下がった。

 それを見るなり、突き放すように腰から手を外し、松葉杖を手繰り寄せんと背を向ける。

 まただと後悔しながら、言葉を重ねた。

「貴方の傷は治ります。治りますから……ごめんなさい」

 こんな時、この大きな背中に気持ちのままに縋りつけたら。しかし、それは自分の理性が許さない。未だに私という女は夫のものだという気持ちが消えない。寝台を挟んで、離れたまま指先だけ宙を掻く。

「いいんですよ、憐れみは」

 自虐的な声は高い天井にぶつかることもなく、消えていく。彼は足を引きずったまま着替えを始めた。


「生活に支障は残らないでしょうが、戦線には戻れないと考えた方がよろしいかと」

 ほとんどの傷は縫って安静にしていれば塞がっていった。しかし、脚に異常が残った。矢で深く抉れた腿の傷の状態が正直よくない。

「回復訓練を積んでもですか」

 彼の問いかけに、医師は希望を残そうとしなかった。

「ここから先はなんとも明言できません」

 実際、杖がなければ歩くこともままならない。片方の足に力がほとんど入らないせいで、筋肉は落ち、ここ二月で足の太さが変わってきている。

 男衆に手伝わせて膝の可動域を広げる訓練をする間も、苦しそうな声が漏れ聞こえた。


 そんな、自分の容態を「たいしたことないですよ」と受け流し、私が真剣にこれからの話をしようとすると、はぐらかすように逃げてしまう。

 彼自身が一番、焦っている。その証拠に、人目を忍んで杖なしで歩く練習を繰り返し、派手な転倒音で周りをぞっとさせることが幾度も。切なさを、こらえ切れないような日々が続いていた。

 もし、亡き王に夫への愛を誓っていなかったのなら簡単に物事を運べていたのだろうか。否、この屋敷で過ごした夫婦の時間故に私の心は若い騎士に触れられないのだ。彼からの接触はあっても、彼が目を覚ましている間に私から指を伸ばすことはない。彼の目に欲が浮かぶようなら、私は本気で体を退け、本気で嫌がる私に強いる彼でなかった。


 昼過ぎ、夫の書斎で机仕事をしていた。手紙の中から返信が必要なものだけをより分けていると、サッパリとした文字の便箋が垣間見えた。

『拝啓 レイクヤード夫人

 残冬の候、風邪など召されずにお過ごしでしょうか。

 愚弟がお世話になっているという旨、クラーク公から聞きました。近々様子を見に行きます。馬を飛ばすので、手紙の到着と同じくらいになるでしょう。急ですいません。』

 内容に、体温が下がるのを感じながら、後半を読み飛ばし差出人を認める。

『カリーナ・サーハリー エドマンの姉より』

 しばし、思考がまとまらなかった。手紙の到着と同じくらい……それはいつなの。空耳だろうか、馬の駆ける音が聞こえた気がして玄関側の廊下に飛び出た。窓を一つ開くと、その音は幻聴ではなく。耳に届くその輪郭はますます鮮明になった。

 女性が見事な馬さばきで、玄関ポーチに駆け込む。軽く目眩を覚えながら私は品もなく屋敷の中を走った。

「ユリア、ユリア……!どこなの、ご来客です」

 ユリアを呼ぶより先に、けたたましく扉が叩かれた。

 先に駆け付けた男衆が慌ててドアを開ける。

「あら、こんにちはあなたがレイクヤード夫人で間違えないかしら

 よく通る声。晴れた冬の空みたいな人だった。グレイ家の人間だと一目でわかる豊かに波打った黒髪。いたずらっぽい目。凛とした眉。

「はじめまして、カリーナ様」

 きびきびと礼を寄越し、ずかずか扉をくぐった。

「ここが、レイクヤード公のお屋敷なのですね。私一度来てみたかったの。男どもばっかりいい思いをして。女はいつも置いてきぼりだったでしょう。でも、話に聞いた通り本当に素敵な場所だわ」

「あの、御付きの方は」

 引け腰で尋ねれば、襟巻きを外しながら振り向いた。女性用の騎乗服にあしらわれた裾布がふわりと広がる。

「いませんわ、一人で来ましたの。お父様の領地の男じゃないと、馬で私についてこれないんですもの」

 外套を駆けつけた、ユリアに渡すと魅力的な笑顔を満開にした。


 戦場もかくやという速さで馬を走らせた埃まみれの服装のまま、エドマンに会おうとしたのはさすがに止めた。まずは体を清めてもらい、私のドレスを貸す。これにも驚いたが、彼女は下着数枚と最低限の食料だけ馬に積んでここまで来たのだという。

「ほら、夫の領地からここはそう離れていないじゃない」

 グレイ家の長女に当たるカリーナは早いうちに政治のためにサーハリー家に嫁いでいた。少女のような瞳をしているが、三児の母のはずだ。

「さて、エドの部屋はどこかしら」

 エドマンの元へ案内する間にも気になれば扉をあちこち開けて、覗きいていた。

「来客のご予定でしたか」

 騒がしさに、枕から頭を上げていたエドマンが姉に気づいた。

「姉上」

 一瞬ものすごく嬉しそうな顔をして、慌ててその表情を隠した。

 カリーナは床に膝をつき、彼の手の甲にキスをした。そして、腰を上げてからも額や頬に何度も唇を落として、腕に閉じ込めた。

「生きていると聞いて、居ても立ってもいられなかったの」

 目の端に涙を浮かべて彼女は笑った。

「子供のように扱うのはやめてください、恥ずかしいです」

 嫌がるふりをしながら、自分から抱擁を求める彼はもう末っ子の顔をしていた。

「姉上。父上は母上は、エリス姉上やディミトリアス兄上は」

 問われてカリーナはエドマンの髪を撫でた。

「きちんと話します。安心して、私の可愛いエド」


「父上は、行方が分からないの。でも、他の家族の居場所は分かっている。屋敷は焼けてしまったし、領民を守ることはできなかったけれど」

 ベッドの横に椅子を運ばせた。カリーナはそこに腰掛けると、エドマンの手を握って語り始めた。

 グレイの領地は城が落とされて間も無く、ノースの軍勢に攻め込まれた。

「母上は運よく私たちの屋敷にお越しだったの。ディミトリアス兄様は婿入りした先の家にいらっしゃた。エリスが指揮を執ったわ。指揮といっても戦えるものはみんな出払っていたから数人の男衆と家のことをする女たちだけだけれど」

 エリスはグレイ家の次女である。

「元々、勝ち目なんてなかったからそのつもりだったらしいわ。ノース勢が領地に入ったと聞いてから、屋敷に到るまで窓を木板で塞がせて、家中に油を巻いたそうよ。いよいよ奴らが家に迫った時、各扉に囮を設置して決まった順路で家の中を駆け回らせたの。ほら、うちってあちこち改造してあるから迷路のようじゃない。それぞれの扉からそれぞれの隊が八合わないように家の奥まで誘い込んで」

 ボンッ、カリーナは手で爆風を表した。

「囮を勝手出てくれた者たちは助からなかったけれど、皆承知の上で戦ってくれた。家も焼け落ちたから、ノースの奴らが私たちの家を踏み荒すこともない」

「エリス姉上は」

「生きてはいるわ」

 グレイはその頃場をきき不安そうに何度も頷いた。

「でも、松明を握ったまま屋敷の中を駆けずり回ったから、ひどい火傷で右手は持たなかった。うちの屋敷に逃げ延びてから、腐敗がひどくて切り落とした」

 でも、悪いことばかりでもないわ。カリーナは言葉とは裏腹に暗い目をしたまま続けた。

「マルコを覚えている」

 問われて、グレイは眉根を寄せた。

「あの、トッド家の痩せっぽっちな長男坊でしょう」

「そう、ずっとエリスに片思いしていたんですって。うちは事務官だし家格も低いからノースに目をつけられることもない。あなたは戦いすぎた。どうか私の胸の中で休んでくれってプロポースしたらしいわ。だから今、エリスはトッド家にいる。状況がもう少し落ち着いたら結婚するつもりとも言ってた」

 トッド家は下級ではないが、代々騎士団長を出しているグレイ家との婚姻など家格が釣り合わず望めない。しかし、エリスはノースからすれば今や大罪人である。どこかに隠れ蓑を見つけなければならなかった。

「あの娘、少し休むべきだわ。戦に出たこともないのに姉弟でのチャンバラごっこと、人から聞いた戦場の話だけで、本当に敵兵を叩き潰すなんて。王からどんな褒美をいただいても足りないくらいだわ」

 いつのまにか彼女の頰を伝っていた涙を、事も無げに女性にしては大きな手で拭った。

「これからは家庭に入るくらいで丁度いいのよ」

 時々、子供を乳母に任せてこうして飛び出してきてしまうカリーナだが、ハイケーンの財政を握るサーハリー家に入って長い。そんな彼女の言葉だった。


「それじゃあ、私は帰るわね」

 一晩開けて彼女は元の騎乗服を身につけ玄関ホールに立った。

「もう少しゆっくりなさっていいんですよ」

 引き止める私の言葉に彼女はしっかりと首を横に振った。

「こんなでも私母親なの。あの子たちの顔が見れないだけでそわそわしちゃって」

「姉上も、サーハリー家に入れるとはいえ、十分にお気をつけください。母上をお守りください」

 まだまだ伝えたいことがあるだろうエドマンに、カリーナは何度も頷いた。

「大丈夫あなたはまず自分の怪我の心配をして」

 彼の手を取ると、いつも彼が私にするようにその手の平に唇を落とした。愛している相手に送る大事な印。


「弟を頼みます」

 カリーナは父親譲りの瞳で私に言い置いた。

 そして、地面を蹴り踏み台も人の手も借りずに馬に跨ると、目礼を差し出した後、土埃を立てて屋敷を後にした。

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