第38話 奴隷医師
アンナマリア様視点。新キャラ多くてごめんなさいね。そろそろ役者が揃いますから。いや、まだだな。でもここら辺はどっと出てくるの。
途中、落窪物語みたいになったね笑
「それは、あなたにも非があるように思えてよ、アンナマリア様」
いつのまにか私との面会権をトシュテンに取り付けたラウラ小母。今日も肥えた体を私に与えられた脆弱な椅子にはめている。話題は件の舞踏会だった。ドレスの色に指定があることを、知ろうと思えば知れたと言うのである。
「舞踏会のドレスコードはそれこそ失敗があってはならないから、あちこちに貼り紙がなされるのです。城内のあちこちにも期日前にあったはずだわ」
「でも私はこの部屋から、トシュテン様との晩餐以外出られないのですよ」
「城の中の人間を一人ぐらい手篭めにできていないの。それくらいの賢さはあると思っていたわ」
あんたが何を知っている。あとから首を突っ込んで頼みもしない助言などするな。
「私だって」と口走った時、ルヒトが盆をひっくり返した。銀製のゴブレットが石床にぶつかり派手な音をたてる。雪が深くなったこの季節でも私の部屋にだけ敷物はされていない。
「申し訳ございません」
ルヒトは謝罪をしながら私を見上げた。
「なんで奴隷ってこう粗相が多いのかしら、こんな者たちに世話をさせるだなんて。私の保護下に入れたのなら決してないことですからね」
ラウラ小母が手土産に持って来た蜂蜜酒をボトルから移し替えて来たのだ。私は彼の訴えるような視線を認め、あえてあしらうように冷たく告げた。
「持ってき直しなさい」
ラウラ小母が帰ってからルヒトから厳しい声で注意をされた。
「あれはあのお方の常套手段だ。わざと火に油を注ぐような物言いをして相手を激情させ失言を誘うのです。トシュテン様に命じられて狩猟会に連れて行かれた時に実際に目にしました。ラウラ様はある貴族の男性と揉め事を起こしたのです。そして、頭に血を登らせたその男は自身が汚職をしていることを公衆の面前でいつのまにか口走っていたのです。汚職をしている貴族など珍しくもありませんが、人が集まる場で明らかになった場合他の者達への体面で罰を与えざるを得ません。ヘルベルト様の一声で男はその場で縄をかけられ引きずられるように連れて行かれました。しかもそれがラウラ様の故意であったなんて出席していたもののほとんどが知らなかったでしょう。私もトシュテン様が後で侍女に漏らしているのを聞いて理解できたくらいには達者なのです」
あの時、ルヒトの牽制がなければ、彼は私に傾いていると口走っていた。それがあの強かな老婆に知られたのなら、ぞっとする。彼を殺されていたかも知れないし、それを弱みに彼女の傀儡になっていたかも知れない。
「迂闊だったわ」
臍を噛めば、彼は控えめにゴブレットを差し出して来た。件の蜂蜜酒。
「毒味に舐めさせていただきましたが、とても美酒でした。今日は事なきを得ましたから」
舌をなじませるように一口含めば、確かにふんわりと花のような芳醇な香りが広がった。肩から力が抜けて、初めて自分は息を詰めていたのだと知る。
「あなたも付き合いなさい」
立ち去ろうとするルヒトを呼び止めた。
「いえ、そんなわけには」
「命令よ」
冷たく言い放てば、眉根を寄せて渋々対面に腰を下ろした。
肘掛にもたれ私は自身の白くて細い人差し指を噛む。
「如何なさいましたか」
決して、杯に口を付けずに彼は問いかけて来た。
「いいえ、ラウラ小母の言葉には一理あると思って」
「お気になさってはいけません。あなた様が置かれている状況は奴隷のそれよりも厳しい」
杯を開けるようにジェスチャーを送ると、これまた渋々彼は杯を傾けた。私も先ほどより多く口に含む。するすると喉を通ってしまうが、奥にアルコールの香りが残る。度数はかなり高いだろう。トシュテンとの晩餐で散々酒は注がれているが、実は私は下戸だった。飲みやすいからと調子に乗らず、時々の楽しみに酒瓶は隠しておいた方が良さそうだ。
少し経つと、ツキン、ツキンと腹の上が痛み始める。空きっ腹だったのが良くなかった。机に体重を預けると、すかさず支える手が伸ばされる。
「またですか」
舞踏会からこっち側、胃痛が癖になっていた。
「やはりお医者様を頼むべきです」
このやりとりも癖のうちである。
「嫌よ、ここの医者はろくに処置もしないで私の体を弄るだけ」
あの下衆医者を思うだけで、目尻が熱くなる。酒のせいか、いつもより感情が前に出てしまった。ルヒトの袖を握る。制するように指が外されそうになるのを、拒み淵に涙を湛え睨みつけた。
「あの医者を呼んだら、許さない」
奴隷は主人の目を見ることに慣れていない。強い視線の訴えは徐々に彼の居心地を奪った。ふっと指先が弛緩した。
「この手は最終手段にしたかった」
ルヒトは諦めたように立ち上がった。この男もまた目が少し赤い。
「あなた、呑めない口ね」
口元が弧を描いた。
「アンナマリア様こそ」
少し口を尖らせて、彼は部屋を辞した。
胃を抑えてうずくまっていると、ルヒトは老奴隷を連れて部屋に戻って来た。
「ずっと前から考えてはいたんですが、あまりにも恐ろしくて行動には写せずにいました。でも、貴女が泣きそうになるだなんて、本当に大事ですから」
痩せこけ、不潔さの残る老人は深く礼をした。
「何をするつもり」
「奴隷医師でございます」
白いヒゲを生やし、禿げた頭を垂れる目の前の老人に不思議と忌諱感はなかった。あてがわれている医師の方が絹の衣に清められた体を包んでいるのに気持ちが悪い。
「あなたの名前は」
「高貴な方に呼ばれるほどの名など、手前にはございません」
「反抗とみなしますよ」
「……ディケとお呼びください」
脈を取り、喉を抑え、下まぶたの内側を見る。その手際は下衆医者となんら変わらない。しかしそこには興味のなさがあった。
「ルヒトこの者はどこまで事情を知っていて」
「ほとんど何も、訳も話さず頼み込んで引きずってまいりました」
乾いた指先で仕事をする老人に先見の明を感じた。ラウラ小母に嫌悪を覚えたのと同じように。
少女のわがままな好き嫌いと思われようが良かった。本質はもっと野生的な勘だ。
「ルヒト、私にはこの方が必要だわ」




