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ウォルバーと私  作者: 一ノ瀬きなこ(吉菜小)
第二章
31/41

第30話 ぼくらの約束

昔は、挿管も呼吸器もないんですよねぇ

ペインコントロールもアヘン頼りみたいだし

 ツインズ城の居室。

 俺のは、クラークの隣室だから角部屋の一つ手前。

 リア様が騎士学舎で習う範囲を俺たちも予習しなくてはならない。リア様はお一人で座学の授業を受けられるが、他の時間できちんと議論ができるように、俺たちも講義内容を頭に入れていなければならなかった。寝台の上で、自分の習熟度とは異なる冊子を読み進めていて、途中で瞼が重くなった。顔にそのまま教本を載せ、目を閉じる。借り物のせいか古臭い匂いがした。

 意識が体から離れる瞬間を薄く探っていると、廊下を剣呑な足音が近づいてきた。客は自分宛だとどこかで勘付きながら、睡魔に負ける。

「グレイ」

 開けられた戸は、彼らしくなくノックが省かれている。

「んー」

 大きな音で目は覚めたが、体は休んだまま、仰向けで。冊子を目元からどけ、欠伸を漏らした。座学は自分の分とリア様の分で二倍。稽古も普段は、一つの組みに一人しかつかない教官が、俺とリア様とクラークの三人に対し、二人付く。

「レイクヤード公が、危篤だそうだ」


 その時の感覚は忘れられない。怒りがこみ上げた時に似ていた。カッと頭が熱くなった。

 レイクヤード公への純粋な尊敬や、掛けていただいた言葉。死がそれらを奪うということに対する怒りだったと、後から知った。戦場に出てから何度もなんども経験してようやく言葉で表せるようになった。それを初めて経験したのが、この時だった。一番初めで、一番奪われた時だった。

 

 通常そのようなことは許されないだろうが、俺たちはしばらくの暇を認められた。あの家には子供がいないから、後のことを手伝えるように、父やクラーク公がレイクヤード公への最後の心遣いだったのかもしれない。子供は持ち場を投げ出せても、父親二人は立場が違う。最後に立ち会えず、葬儀にも顔を出せない自らの罪滅ぼしだったのかも知れない。

 まだ子供だからと、馬車に乗せられ、あの日のように二人で密室の中だった。

「間に合うだろうか」

「きっと、間に合う」

 向かい合って、肘掛についた手で口を覆い、互いに目も合わせず、それ以上の言葉も交わさなかった。

 間に合ったけれど、それはもう、間に合わない方が良いような状態だった。

 レイクヤード公は既に意識が朦朧としていて、俺のこともクラークのことも分からなかった。それどころか、おそらく何も知覚できていなかった。曰く、続く高熱とひどい浮腫で目も曇り、音も濁り外界との接点が既にない。ただの発熱する肉塊と化していた。

 夫人に久々に会った印象は「痩せたな」だった。あんなに、一目会いたいと毎日思っていたが、この姿は望んでない。正しくは、やつれたのだったけれど。相変わらず、きびきびと屋敷中を歩き回っていた。親族への世話や、医者との会話、俺たちとゆっくり話す時間もない様だった。時々、何も無い所で立ち止まり、近くの家具に手をついて息をする様子を時々遠くからみとめていた。そして、俺が駆け寄る前に、また息を詰め、またもや足でどこかに行ってしまうのだった。鼠が滑車を回す様に。

「夫人が、心配だ」

 客人が多いために、二人一室。向かいのベッドに腰掛けるクラークに打ち明けた。

「大丈夫ですかと一言でいいお聞きしたい、何かしてあげられることは無いんだろうか」

 深く考えた上で口にしていた。

 つもりだった。

「僕らには、無理だと思う」

 いつもの、後ろ向きな発言とは少し異なっていた。教官や事務官とガキのくせに喧々諤々、対等に話している時の目をしていた。

「なんで」

「たぶん、いま余計なことをするのは彼女の仕事や悩みを増やすことにしかならないよ。子供に心配されたって、夫人は自分の不甲斐なさを責めるんじゃないかな。限界だからこそ、生半可な優しさでぎりぎり立っている彼女を折ってしまったらどうする。僕らはこの家の全部のことを肩代わりしてあげられるの。できないよね。手を出したら余計彼女のやることを増やすことになると思う。僕らはそれくらい、彼女から遠いんだよ」

 クラークの目はひどく冷ややかで、大人びていて、ハッとする程いつもと違かった。

「子供が大人を心配するのは、差し出がましい以外の何ものでも無いと、僕は思う」

「な……なんでお前が、お前なんかがそんなこと分かるんだよ」

 腹を立てて発したはずの語尾は昔ほど強く無い。コイツは馬鹿じゃないともう知っているから。

「僕もたくさん人に助けてもらったから。助けるのが下手だなって、正直思った人もいる。それを相手に失礼にならない様に断るのは、辛い境遇にあるときは重ねて苦痛だよ」

 長い間離れることなく一緒にいる。腰が引けてることが多いから、いつも自分より少し下だと思ってる。でも、本当のコイツを垣間見た時、毎回足を掬われたように感じる。クラークの視点は冷静なものの考え方は、俺を余裕で超越している。

「僕にとっても、彼女はとても大事な人だから、できもしないことはやらないで欲しい」


 時はすぐやってきた。夕方に知らされ、部屋角で固唾を飲む事となった。浮腫で喉が塞がれ呼吸音が奇妙だった。俺たちは見たものを父親に、公と縁のあった大人に伝えなくてはいけない。役目は少ないのだから、それくらいできなければいけなかった。仕事を投げ出したのだから、それくらい当然だ。

 正直、目を背けたい光景だった。

 最後は自分の痰を狭くなった喉に詰まらせ、バタバタと水から揚がった魚のごとく、体を跳ねさせていた。医者の助手が寝台から落ちない様に抑えつける中、鼻水と涙と涎を赤じんだ顔から垂れ流してレイクヤード公はこの世を去った。

 小綺麗という言葉を絵にしたような人だった。死に様は小綺麗から程遠かった。

 夫人は俺たちよりもしっかりと顔を上げて、涙を浮かべることもなく。その場にいた多くの人間は多く布で口元を押さえていたのに、その素振りさえ見せず立っていた。


 公が亡くなった夜が開けると、それまでいた人たちは来るときよりも早い間隔で帰っていった。そんなもんなのか、どこにもぶつけないが怒りが胃の底に雑巾を貼りつけたようにあった。長居してもやれることはないことぐらい分かるけれど、公がいなくなってしまったんだということをこの人たちはどれだけ軽く捉えているんだと怒りが鎮まらなかった。

 最後の客を夫人とクラーク、三人で見送る。

「ごめんなさい、少し休みます」

 馬車が走り出してすぐ、額を指で押さえた夫人は呟いて踵を返した。いつもより早口に。

秋の落ち葉が、足元をくすぐっていた。

「もう、いいと思う」

 夫人が屋敷に駆け込んだのを、ただ眺めるしかできないでいると、クラークが耳打ちしてきた。

「もう、彼女じゃないとできない急ぎ仕事は終わったから。折れても、立て直すまで周りも待てる……たぶんね」

「そんなに夫人の気持ちが分かるなら、お前の方が」

 急ぎの仕事がどうとか、そんな事判断すらつかない。大人のようなクラークに、気が弱くなっていた。自分自身の疲労で周りを見る余裕なんてなかったのに、それができるこいつの方が。

「僕より、お前の方がちゃんと適してる。らしくないな、弱気なんて」


 屋敷も領地も相続について、しばらくは据え置かれる事になっている。しかし、レイクヤード公が所有した書籍の中には貴重なものや、国の事情に関わるものが含まれていた。戦争中の今だからこそ、それだけはなるべく早くツインズ城に運ぶ必要があった。

 選別を俺とクラークと二人で行い、城へ戻る馬車に乗せて帰る。それもまた、俺たちの役目だった。

 客人がいなくなった次の日、書斎の鍵をユリアに開けてもらい、俺とクラークは選別を始めた。どの貴族も持ち得る書籍は残し、少しでも珍しければ木箱へ入れる。秘密保持は建前で、貴重で高価な書籍を搾取する手段なのかもしれなかった。


「これはどうだろうか」

「いや、戦術書の中では……うちにも全巻揃ってる、珍しくないだろ。」

「グレイのところだからじゃないの」

 重たい空気が少しでも軽くなるように。自分で十分判断できることでも、互いに声を掛けないながら作業を進めた。

 ことり、戸口から音がした。まだ顔の青い夫人が立っている。

 俺より部屋の奥にいたクラークが駆け寄り、手を貸す。

「まだ、休んでなきゃいけないんじゃ」

「ううん、動いてないと、余計なこと考えちゃうから。ありがとう、クラークさん」

 

「先ほど、運び出した木箱なのですけれど」

 馬車に乗せやすいようにと、既に運び出されていた分をどうすればいいかと男衆が顔を出す。

「あ、僕が見ます」

 クラークが、手を挙げて男衆の元に向かった。

 黙りこくって、手を動かす。でも、どこかで、彼女の気配を探っていた。

 だから、目元を抑えて俯いた時もすぐに気がつけた。

「ごめんなさい」

 謝りながら身を縮こませる彼女に、決して触れてはいけないと思った。

「駄目ね。私」

 ばたばた涙を零し、俯いて丸まった小さい背をただ僕は上から眺めていた。

「俺にとって」

 これを言って何になるのか、わからなかったけれど。

「俺にとって、貴女は特別です。特別に大事です。ラベンダーの野原に連れて行ってもらってからこれは大きくなるばかりです」

 顔を伏せたままの彼女に一方的に伝えた。

「レイクヤード公が亡くなる直前、無理を押して働きづめる貴女が心配でした」

 公の穏やかさや、知性は心のそこから尊敬している。わずかにしか時間を共にしていない自分がそうなのだ。彼を愛していた彼女がこれで奪われたのものはいかほどに大きいか。

「俺たちしかいません。もう、大丈夫です」

 崩れるように、膝が折れた。

「俺が貴女をいつも思っていることを忘れないで下さい。いつだって、力になりたいと思ってる」

 恐るおそる、張り詰めた肩先にだけ手を添えた。

 しゃがみこんで、嗚咽を漏らし始めた愛しい人にずっと指先だけを添えて、落ち着くまで近くにいた。


「貴方みたいな歳の子に心配させて、情けないわね」

 赤い目を擦る小さい手を、上から包んで剥がす。擦りすぎた頰は赤くなっていた。

「でも……ありがとう」

 泣き笑いを、真正面から知った。伝えて良かったと心から思った。これは少しでも何かになったと、微かに感じ取れた。

「この本、汚しちゃったから、持って行けなくなっちゃわ」

 涙の染みができてしまった表紙を、恥ずかしそうに、手でこする。

「開拓史の中でも珍しい部類らしいですが、これはここに置いてください」

 こくこくと、頷いて、分厚くて重い本を彼女は胸に抱いた。


 一番人が座っていなければならない席を空けたまま、三人で会話なく、夕食をする。

「夫人、ご来客です」

 ユリアが晩餐を中断させるタイミングで耳打ちした。弔問だとしても、食事が終わるまで待たせて不思議じゃない。

「一度、私がお会いしましょう」

 カトラリーを置いた夫人をユリアが引き止めた。

「いえ、この家にではなく。城からお二人に急ぎの使者です」

 口に運びかけていたフォークに刺さった野菜を、ためらった。迷って、結局、伏せて皿の上に戻す。

 わざわざ城から人が遣られる立場でない。しかも日が落ちてから。

「急ぎだそうです」

 ユリアのこの態度は初めてだ。予感がした。クラークと目を合わせる。口を拭って、席を立った。


「申し訳ない、こんな時間に」

 やはり。使者は自分たちにあてがわれるには年嵩で。

「リア様の初陣が決まりました。お二人には脇を固めて頂きたい」

 走り過ぎた時の喉の痛さだ。ともすれば、吐き気を伴うような。

「やはり、どうかね、緊張するかい」

 壮年の事務官は伝えるべきことを伝えたと、相好を崩した。拳をきつく握り、挑むように相手の目を真っ直ぐ見た。

「いえ、国にいつこの命を使ってもらえるかと、待ちわびていました。正直、興奮しています」

 自分は、武家の出だと思い知った。クラークも、息は浅くなっていたが、背筋を伸ばしてしっかり腰据えていた。

「自分も、精一杯努めます」

 それから、具体的な日付やなんやら、今の城の様子なんかを話し、事務官は腰をあげた。

「それでは、まだ他の家も回らなくては行けませんから」

「え、これからですか」

「はい、戦場に出ない分、こんな時くらい夜通し働きます。あなた方に国を守ってもらうんですから」

 朗らかに、しかし、軽くはなく。事務官は微笑んだ。

 噂には泣かれたり、家族に罵られる場面もある聞く。この人は、そう言う仕事だ。自分たちも、家族がこの場にいないから、相棒の手前弱さを見せられずに強がっているところがあるから、落ち着いて聞けたまでだ。

 応接室を後にする事務官を見送ろうと、一緒に、部屋を出た。

「おっと、この度はご愁傷様でした」

 事務官が扉の脇に頭を下げた。

 はっとした。夫人が揺れる瞳で見上げていた。思わず、足を止める。事務官を見送ると言ってクラークはそのまま廊下を後にした。

「出兵が決まりました」

「聞きました」

 俯いてしまった、彼女に、その心細さが透けて見えてしまった。

「あなたも、私を置いて先立つつもりですか」

 華奢な手に爪を立てているのを制す。自分の手はもう、彼女より大きかった。

「大事だって、特別だって、言ったくせに」

「すみません」

 白い頰に、雫がぽろぽろ落ちた。

「約束して」

 責める声で紡がれる。

「私が大事なら、それが嘘じゃないなら。どんな状況に陥っても、たとえ足が動かなくなっても、這ってでも、ここに必ず帰ってきて」

 うるんで、溢れて、今にも崩れそうな綺麗な目に不躾にも吸い込まれた。壁にほんの少し薄い体を押し付けた。ふんわりと、包まれる感触に。唇が触れ合う。接しているだけなのに、吸い付いて離れない一瞬の錯覚。

「約束して……エド」

 せめてもと頷いて応じた。


次回から、久々に他キャラクター視点になります


久々にみんなに会いたいね

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