第31話 紅浴街の娼館
卒論を書いていました。まじ、しんどかった(まだ始まったばかり、これから添削返ってくる)。
過去編も終わったので、情報解禁続きます。新キャラ祭りじゃー!!
さて、今更ですが、この小説は差別的な描写や、不快感を与える描写が出て来ます。それは、決して著者個人が差別主義なのではありません。差別的な、屈辱的な表現を用いることで、その言葉や発想がいかに不快で人に向けてはいけないものかを訴えるための措置です。
夜中、桶のひっくり返る音に身を起こす。手探りで獣脂灯に火をつけた。
「悪い、起こした」
詫びながらネイサンが倒れるように、膝を折る。
「ううん、寝てないから」
メルーは私たちより少し待遇がいいから、別の幌で寝る。
「はい」
器に入れた水と手ぬぐい、薬を手渡す。
「主人様にケツ掘られるよりも、お前に後始末手伝わせる方が情けねぇんだけど」
「ごめん」
「謝られんのもな」
主人様はきっと女人に嫌な思いがある。男を好きだとかそういうのでなく。私も一度だけ呼び出されたが、いつまでも反応しないみたいで、私の服の下が女だと見えた途端、横っ面を張られた。それから、夜呼ばれることはない。ある夜、物音で起きて灯りをつけると、ネイサンが履き物を降ろして後始末をしていた。
自分の身代わりをさせているような罪悪感と同情で、ネイサンが呼び出された日は眠れずにいる。この行商に身を置いて数月。自分の苦痛をどこか他人のもののように感じている。それはきっと、ネイサンが私の身代わりに、より酷い目にあっているから。
ネイサンに背を向ける形で横になっていると、声だけが降ってきた。
「明日から、紅浴街に入る。冬の間の拠点だ。紅浴街にいる間は主人様の家にある農園に動物を繋いでおける。人を雇うし。主人様は家の中か贔屓の男娼館に篭る。俺らも少し気が抜ける」
衣擦れの音と一緒に淡々と、訥々と。
「連れてく所あるから」
どんな一方的な宣言にも抵抗をしなくなった自分がいる。あれをしろ、これをしろと言われてすぐに体が動くようになった。人は慣れるのだと思った。肩の傷は時々痛むが塞がりはした。
「うん」
以前、グレイに連れて行かれたのは、歓楽街の中の一角でしかなかった。
紅浴街は街そのものが風俗と賭博の土地だった。元は温泉地だが、公衆浴場とは色が生まれる場所である。主人様がここを拠点にする理由は自ずと知れた。ここは上から流れて来たものの溜まる場所だ。異形の動物を見世物にして金を稼ぐ人間にはぴったりだ。
街から少し離れた位置に農園があった。人が長い間居なかったことによって、一度は死んだ建物。厩や鶏小屋も同じだった。埃とカビの匂いが充満している。開けられる戸と窓を全部あけ、仕切りのそれぞれに動物をつなぐ。ウォルバーも鎖に繋がれ足枷をされた。枷は錠付きで、鍵は全部主人様が持っている。
足枷が気になるようで、嘴でしつこく齧るのを制す。
「だめ、足に傷がついても良くないし、口もあんまりやる膿んじゃうよ」
声をかけると頭を上げて擦り寄ってくる。力加減が下手で殆ど頭突きだ。
「出かけるからね、近くにいれないけど帰ってくるから」
「クレア」
ネイサンに呼ばれて、返事をした。
「いい子にしててね」
彼の言う通り、ここにきてから主人様の姿を見かけない。あの男を見ないだけで、涙が出るほど心に余裕が生まれた。
別に仕事がなくなったわけではない。それでも、他の場所から連れてこられた奴隷たちのおかげで、日が昇る前に起きる必要もなく、日ごとに夜回りをしなくてよくなった。文字通り息をつく暇ができたのだった。
紅浴街は露骨だった。売り物も、店の格も。しっかりした店であるほど、装飾が鮮やかな色で塗られている。窓辺に顔を出す女は皆整った顔をしていて、どこか知性を感じさせた。品のない色ではあるものの、下手な商店より金がかかっている。そのような店の前は道も綺麗に整えられていた。掃き清める使用人の衣服は自分たちのものよりしっかりしている。しかし、大通りから離れれば様相は明確に変わる。道は汚れ、建物も貧相になり、歩くものも心なしか俯いている。
一番、寂れた並びで、人の流れから外れて、裏通りに回った。ネイサンは裏口を勝手知ったる様子で入っていく。
「俺だけど……」
店のものとも馴染みのようで、でも歓迎されてるようには思えない反応を寄越される。
「あー、アンタね、ちょっと待ってな」
風呂を浴びたばかりらしい、下着姿の女があちこち恥じらいもなく歩いている。見世物屋にいる間、メルーやネイサンたち男性の品のない姿を見ることはあるが、同性のこういった痴態の方が拒否感の強いことを知る。汚いと内心感じた。自分だってもう長いこと爪の間から泥が消えたことないのに、こんなダニまみれの衣を着てるくせに。
二階から殺す気のない足音が迫ってくる。下着も付けずガウン姿の女が靴だけ綺麗なものを履いてネイサンに抱きついてきた。
「久しぶり!!ちゃんと生きてたね!偉いねー!」
ガシガシと彼の頭をこねくり回す手は不健康に白い。建物から出ずに夜仕事をする生き物だからだ。かといって、同じく色白であるアンナマリア様とは似ても似つかない。品のない生き物。
「リューリ、この娘、少し前からうちの見世物屋に来た。クレア」
「こんにちは」
「わー、大変だね。あの変態オヤジの下で、女の子一人。お互いに頑張ろうね」
こっちの生活の何を知っているのか、馴れ馴れしく彼女は私の肩を叩いた。
「リューリ、うっさい。やんなら上でやんな、馬鹿なアンタと違ってこっちは忙しいんだよ」
「はーい」
怒鳴る声に肩をすくめる。リューリは悪びれもせず、ネイサンの手を引いた。この二人が恋仲だとしたら、ネイサンを見る目が変わるな、心のどこかで意地の悪い声が聞こえた。
「はい、これ」
うなぎの寝床とはこのこと、布で仕切られただけの、汚い布が敷かれた空間が、彼女の居室のようだった。
背負っていた大きい背嚢から、ネイサンはいくつも包みを取り出す。獣のための薬が包まれていた油紙に乾いた草がぎっしり入っていた。
「何これ」
ネイサンに向かって尋ねると、勝手にリューリが答えた。
「子ども堕ろす薬になるの、この薬草。土が悪くてここらには生えないんだ。あと、不思議なもんで、これを粉にする時期が冬じゃないと効き目がなくて。毎年、冬が来たら、ネイサンと一緒に臼で挽くの。そのお礼にアタシが布海苔買ってネイサンにあげてるの、ほら、女の人と違って、男は濡れないから」
へらっと笑う、人を疑うことを知らなさそうな子どもみたいな顔。こんな場所に住んでるくせに。また自分とは思えない声が、心の中に響いた。
リューリが出してくれた菓子をつまみながら、二人は離れていた間の話を始める。いつもは無口なネイサンが饒舌とは言わないまでも、きちんと話をしているのを見ると、やっぱり、この二人はそういう仲なのかなと察せてならない。
日が天辺に登った頃、リューリは髪を結い化粧を始めた。他にも数人、寝床で化粧をしているみたいで、その匂いが部屋に充満し始める。不思議なもので、薄ぼけた顔だった女たちがみるみる派手な顔つきに変わって行く。城で交流のあった女性たちとは、化粧の狙いそのものが違うようだった。
「リューリ、客だよ」
「え、うそ。はーい」
まだ、辺りは暗くない。リューリ自身も少し驚いたみたいで、急いで紅を口元に引いた。私たち二人に詫びながら、慌ただしく部屋を出た。
リューリがいなければ、ネイサンも店にはいれない。彼女より少し遅れて私たちも店を出た。裏口に行く途中、表に熊のような、岩のような男が佇んていた。その腕にしなだれ掛かるリューリを見た。その脇には見慣れたより雄羊の兜を持った兵士が数人。
兜に気づき、顔から血の気が引いた。私をあの夜、犯したのも。アンナマリア様を攫ったのも。クラークたちから引き剥がしたのも。あの雄羊の兜だ。
大男に目を向けるその男が抱えているのは、周りとは違う。意匠の凝らされた羊の髑髏。それから知らされるのは、この獣みたいな大男が、ノースの軍人であり、指揮官以上ということだった。
岩がゆっくりと振り向く、その瞳は死体のように濁っていて、生き物の精気を吸い取るような恐ろしさを湛えていた。
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