第17話 酒と暖炉
私もヤギが飼いたい。
お酒飲みたい。語らいたい。
ようやく、ホッとできるシーンが書けました。これからは上向きな話が増えるので、書くのが楽しみです。
夫は大酒家であった。高価で癖が強い、蒸留した麦芽酒を好きこのんで飲む。出先にて買い付けては書斎の棚に並べていた。
台所の裏にヤギを飼いっていた。それの散歩を欠かさずに、自分で乳を搾って、チーズを作るのを趣味としていた。自作のチーズをつまみにじっくり飲むのが彼の至福の時だった。
時には、私も付き合った。そのための友も多く。とても静かな人だったのに、自然と館に人が訪れる事は多かった。
穏やかな人だった。
いつも彼の元に集まる友は、好き勝手に喋っていき、彼は深い瞳で頷いた。何かを語るわけでなく。ただ杯を傾けていた。その友の中には、今や騎士団長になったオズワルド・グレイ様もいた。
「奥方も付き合い給え」
彼は当時、騎士団の団員であった。長い足を投げ出し、黒髪を掻き揚げた彼は、とても子供がいる父には見えなかった。若々しく、快活でよく通る声で私を呼び止める。
「いえ、女の私がいては盛り上がる話も盛り上がらないでしょう」
ハムや乾した果物、夫の作ったチーズを運んだ私は、苦笑を浮かべた。
「いいや、夫人は聡明なお人とお聞きしましたぞ」
ふと夫を伺うと、薄く微笑み頷いた。彼と付き合いがある人間でなければ頷いているか判断できない程であったが。
「それでは」
夫の好むものは私には癖が強すぎるので、葡萄酒を下から運んできた。オズワルド様は夫が彼の好みを聞いて選んだものを。
暖炉を囲み、椅子に深く体を預けながら。
「今年は青草を抑えて、春夏も干し草を与えたんだ」
そう呟き、夫はチーズを口に含み、香りを楽しむように目を細めた。
「何が変わるのです」
「青草は臭いがするからね。乳も青臭くなる」
「ふむ、一つ失敬。んむ、美味い。確かに、青臭みはないですな。」
「そうか」
夫は嬉しそうに呟いた。
「来年は果物を混ぜてみてはどうです。風味が変わるやもしれませんよ」
ヤギのチーズはワインでも十二分に美味しく頂ける。
「あまり水分が多いと腹を下すかもしれぬからなあ」
「飼っているのは、一頭ではないのでしょう。一番若くて健康なもので試してみればいいのです」
オズワルド様の言葉に「それもあるな」と頷く彼。
私は、杯を空け、葡萄酒を注ぎ足す。
「奥方は中々いける口ですな」
オズワルド様に揶揄されて、軽口を返す。
「だから、この家に嫁げたのかも」
少し気分が良くなって、くすくす笑うと、夫の眉間が少し曇った。
「なんだ、意見があるなら言ってみろ、レイクヤード殿」
オズワルド様も少し酔っていらっしゃって、ガハハと笑って夫を突いた。あからさまに表情を変える質ではないからこそ周りは自ずと彼が何を思っているのか、つぶさに気にかけるのだ。
夫は口を開かなかったが、この刹那、私は幸せな妻だと思えた。些細なことに怒ってくれるこの人と歳をとれるのだと。
「騎士学舎で教官を務めているのだが、私も父だから中々必要以上に思ってしまうのだ」
色々な話をするうちに、話題はオズワルド様の職務に移った。
「ご子息はお幾つなのです」
よくお酒が回って、肘掛に体を預けながら問う。
「長男は今年で十に。その上に姉が二人いて、更に上に養子の男が一人」
「養子の子を、長子と呼ばないのですか」
踏み入ったことであるとは思ったが、口が軽くなっていた。言ってから、後悔した風を見せると、気にするなとオズワルド様がおっしゃった。
「これが、よくできた男なのだ。エドマンに跡目を継がせたいという妻を察して、自分の事は気にせずに、エドマンを長子と周りに言えというのだ。もちろん息子と思っている。家のことは残せないが、それ以外でできることがあるならなんでもするつもりだ」
ちょうど、その頃、子供が産めなくなる病気が女の間で流行っていたのだ。二十を越してしばらく子供ができなければ、貴族たちは迷わず養子を取った。しかし、それが早とちりであった家も珍しくなかったのが、実際のところだ。
「それは、よくできた」
「疑っておりますかな」
オズワルド様に図星をつかれる。
「オズワルド殿の御養子は本当にできた子だよ。卑屈な風は本当になく、弟が可愛くて仕方がないと、帰りたい家族がいて幸せだと、本当に愛おしそうに言っていたよ」
夫は暖炉の炎を覗き込みながら、口角を上げた。
「それで、騎士学舎は」
夫の軌道修正で、オズワルド様は手を打った。
「うちのは本当に捻くれた感はないのだが、同じような境遇の子が担当している隊にいるのだ。クラーク家の長男なのだが、今年奥方に男の子が生まれたようで」
「クラーク家は騎士の家ではないのでは」
「跡を継がないということを明確にするために、騎士学舎にいるのだ。親元で書記官のことを学んでいては実子に角が立つとでも思ったのだろう」
息子と同じ年恰好の子供を相手にしていると、心が必要以上に揺れるのは無理もない。
「夏の長期休暇に、家に帰りたくないそうだ」
「何か、良くないことでもするのですか」
問うと、オズワルド様は首を振った。
「むしろ、品行方正。大人し過ぎるくらいだ。成績も優秀だし、周りがやんちゃをしようとすると、必ず諌める側に回る」
「なぜ、それで彼の不安に気がつけたのです」
「だからこそだ。うちのは確かによくできた子だが、嫌なことは嫌だと駄々をこねたし、怒られれば拗ねてムクれた。友人がいたずらをして怒られ時、道連れに怒られて、不満を見せるどころか、率先して謝るのは心配になるさ」
子供を育てているわけでないからわからないが、自分の幼少期を思えば、我慢が効かないのが子供だった。
「ある時、長期休暇の話で、子供たちが盛り上がった時、端で俯いていたんだ。呼び出して、どうしたのだと問えば、ポロポロ泣きだすんだから、驚いた。うちなら賑やかだし、似た境遇で好きにやってるのもいるが、行き過ぎたお節介は、政治的な誤解を生みかねんし。そうなった場合、責任感の強いあの子のことだ、罪悪感を覚えて、ますます、人に頼れなくなりそうでなあ」
可哀想だとは、思うものの、クラーク家の面子もある。
コトン、とカップが置かれる音に振り向いた。
「その子と、君のところの長男を夏の間、この館に招くのはどうだろうか」
いつもは聞いて終わる夫が、具体案を出すのは珍しかった。
「エティクエッテの風習にそう言ったのがあるだろう」
夫が出したのは、社交界で貴族の後継たちが恥をかかないように、礼儀作法に詳しい女性の元で、ダンスや作法を学ぶというものである。
「ふむ、廃れつつある風習だが、古からの格式はあるしなあ。奥方は社交界でも中々、評判がよろしいですからな」
最後のは社交辞令にしても、中々悪くない案かもしれない。
「私が招いたことにすればいい」
夫はまた、杯に琥珀色の液体を注いた。
その夏、彼らは館にやってきた。大きなトランクを抱えて。
まだ声変わりも迎えていない、小さい子供が二人して。
それが、今では立派に国を背負って傷を受けている。
「ヘンゲル・ハイケーン、其の一声決して強かに非らず。然れど、民一人残らず其の声を聞いた。民が自ずから耳を傾けた故にの事である。彼宣うに、この地に鍬を入れ、耕し、其の穀物で牛を留め、其の牛から乳を飲む。然すれば、長く苦しい赤子の飢えも、癒えるで在ろう」
真っ白いレースカーテンが風を孕み、ベッドの脚と、組んだままの私の足をくすぐる。後れ毛が額をこする。その一筋を指で掬い耳にかけ、本のページをめくった。紙の擦れる音が、この部屋の穏やかさを囁いた。本を読み上げる私の声は、陽の光とともにリネンに溶けた。
「東南の平地は、暖かく。王の目に誤りは無かったと直ぐに証明が為された。民は慶。子は育ち、家畜も肥えた」
寝台が軋む。息を飲み、震えながら音の方へ睫毛をあげた。
「剣を取る者も、嘗て其の手に鍬があったと忘れず、農夫を敬い、雨を敬え」
掠れた声が鼓膜を震わせた。記憶よりも、随分と低く、重みのある声。
「なぜ、開拓史を」
「声を……掛け続けろって、童話なんかがいいってお医者様はおっしゃるけど、うちは子供が生まれなかったから、こんなものしか無くて」
見つめても、見つめても足りない。彼の瞳は長い間、瞼に隠されていたのだ。その光をもう二度と失いたく無かった。
「泣いているんですか」
「馬鹿」
「ひどいなあ」
起き上がろうとして、寝台に縫い付けられたように直ぐ、枕に頭をつけた。怠そうに、体を横たえても、目は確りと此方を見ている。
「水をたくさん飲まなくは、喉に何度か管を通して重湯を流し込んでいましたが、体が重たいのは、体にお水が足りないからです」
人を呼びながら、背中を支える。医者の指示で作ってあった、塩と砂糖を溶かしてある水を飲ませた。
カップ一杯を空にして、また寝かせる。
「約束、守ったでしょう」
久方ぶりに、言葉を交わした、エドマン・グレイはあの頃の面影を残して笑っていた。
次回は来週の月曜日(6月11日)、朝6時更新予定です。




