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ウォルバーと私  作者: 一ノ瀬きなこ(吉菜小)
第二章
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第15話 一人になって

クラークは自責の念が強くなりがちだから、こんな状況で一人になるべきじゃ無いよね。

 日が沈む前に火を消すのは、逃避行の鉄則である。


 火が必要に思えるのは冷え込みがきつく、暗闇に不安を覚える夜であるが、闇夜の中の焚き火は、自分の居場所を知らせるが如く目立つのだ。

 少し離れたところに馬の手綱を結び、自分は木の上に体を結わえて眠る。一人旅になった今、高価な馬を失ったとしても自身を生かすことを考えなくてはいけなかった。


 日中、一人焚き火でウサギを焼きながら、三人で旅をしていた頃を思い出す。もう涙は出ないが、思い出したくもない苦痛な瞬間が頭にこびりついて離れない。事務的に味も感じず、ウサギ肉を胃に詰め込み、残りを油紙に包む。水で口をすすいで、焚き火を踏み消し木の葉で隠した。

 クレアは初めて自分の仕掛けた罠にウサギがかかった時、それは、それは美味しそうに食べていたのに。

 記憶の反芻は目を閉じると、なお一層激しくなった。




 背中が急に軽くなって、体を伏せたまま目だけで背を伺った。アンナマリア様が、いつの間にか後ろに離れてようとしていた。落馬する。そう思った時には、彼女の体は宙に踊っていた。

「アンナマリア様っ!!!」

 クレアが乗り出すように手を伸ばしていた。不味い。

 風を切る音が耳をかすめた。

「弓兵かっ」

 血飛沫が網膜に焼きつく程に鮮やかだった。時が止まったかのように、少女に複数の矢が突き刺さる、まさにその瞬間が引き延ばされた。

 グレイの背からクレアがみるみる離れていく。


ヤメロ、その子だけは……!!!


 地に打ち付けられたクレアを見て、頭が真っ白になった。アンナマリア様を助けなければいけないということは、完全に失念していた。


 馬を翻し、馬を飛び降りた。土を抉るように膝をつき、クレアを抱き上げた。手の平が暖かく濡れる。赤く濡れていた。

 矢のほとんどは肩を割くのみで体には残らなかったが、一本は刺さったまま残っている。

「痛い、痛いよ、痛いの」

 上がった息で繰り返すこどもにひどく動揺する。状況も何もかもを忘れた。

「クレア、ものすごく痛いけれど矢を抜くよ」

 左手で抱きしめたまま矢を抜く。叫ぶ少女に歯を食いしばった。

 マントをちぎり必死に止血をする。

 できることはもう無い。脂汗で濡れた額から、張り付いた前髪を退ける。

「大丈夫、大丈夫だから。俺がついてる」

 何を言っているかも分からず、繰り返しながら髪を撫でて頭を抱き寄せる。

 気がつけば、手元に影が落ちていた。

「ご苦労なこった。多勢に無勢にもかかわらず、見上げた慈悲をお持ちだ」

 見上げると、ノースの雄羊の兜が此方を覗き込んでいた。腕が伸びて来て、クレアを取り上げられる。脳の血管が飛んだ。クレアに向かって、進むことだけが頭にあり、無意識化に兵士を殴りねじり伏せた。

 だが、抵抗虚しくすぐに抑えられて腕を縄できつく拘束される。

 助けを求めて、振り返るも、同じようにグレイが何人もの兵に抑え付けられていた。

 誰か……。あの子だけでも。


「ケェーーーーーーン!!!」

 聞き馴染みのない、鳴き声だった。

 鳥が羽ばたくにしては大きな音が迫ってくる。

「ケェーーーーーーン!!!」

 ウォルバーだった。羽ばたきながら猛烈に走るウォルバーが、ノース兵を振り切ってクレアに近づく。

「グェーーーーーーー」

 おかしな声を上げたかと思うと、広げた羽が羽ばたくごとに膨らみ、大きくなった。そんな馬鹿な、物が何も加えずに増えることなんてあるか。

 跳び上がった。ノース兵を爪のある足で蹴りつけ、クレアが解放された。そして、クレアを掴みそのまま空に舞った

 その場にいた、誰もが空を見た。

 ウォルバーが空を飛べるなんて、前代未聞だ。


「放っておけ、どうせ手負いの何もできない小娘だ。後で探しても遅くなかろう」

 人垣が割れた間から現れたヘルベルト・ノースが声を発した。

「だが、このガキどもはそういう訳にはいくまいよ」

 ヘルベルトは冷ややかな笑みを讃えながら、腰をかがめた。

「痛みにはどれほど強い。拷問にはどれほど耐えられる」


 自分が拷問に耐えられたのは、思えばクレアのことがあったからだ。正直、心がここになかった。暴言を浴びせられても、棍棒で殴られても。自分の体と気が切り離されていたのだった。

 放心状態で時間が経つと、他の捕虜が捉えられている木の幹に自分も括られる。

 口の中に妙に唾液が溜まるなと、吐き出したら全て血だった時は、感覚の麻痺に笑いがこぼれた。


「二人なら、逃せるらしい」

 グレイが見張りも寝落ちた夜更けに囁く。

 グレイの方が拷問の度合いがひどかった。

 襲撃時に、身分もないクレアに飛びついた自分はまともでない、主犯ではないと思われたようで、グレイの方がより有益な情報を持っていると判断されたようだった。

 片目がほとんど開いていない状態で、グレイはなお涼しく笑っていた。

「しかし、そうなったら残った人達は」

「俺たちのことは心配するな。むしろ、早く楽にして欲しいくらいだ」

 年嵩の兵士が薄笑いを浮かべた。冗談にしても笑えない。

「今まで生かされてんだ、ここまで来て二人逃げたくらいで皆殺しにはならん」

 やはり戦場で上級兵がいるのは精神的な余裕が違う。

「従っておけ、なんなら命令してもいいぞ」

 今まで、グレイと二人だけで張り詰めていたから、久々の指示に素直に頷く自分がいた。

「お前たちはリア様の今を知っているんだろう」

 問われて、二人ともすんなり口を開きそうになる。それを止めたのは年嵩の兵士の方だった。

「いい、いい。吐くものがないから痛めつけられても誰も有益な情報を漏らしていない状態なんだ。吐くものがあったら、もう、保たん。そうか、良かった。これからもどこにも漏らさずに逃げてくれ」


「じっとしてろ、ちゃんとした刃物じゃねぇから手首傷つけるが、声あげんなよ」

 精根尽き果てて、眠っていると、手に鈍い痛みがあって目が覚めた。声が漏れそうになったら、泥の味がする布を口に詰め込まれる。

 手が急に楽になった。縄が切られたのだ。

「いいか、まだ動くな」

 今日、グレイは別の木に括られている。

「あっちはあっちで、縄解きの凄いのを行かせたんだ安心しな」

 手が自由になって、見てみれば、縄を切ったのは石を砕いて作られた刃物だった。

「今日、川を越えたのを覚えてるだろう」

 確かに、移動中川を渡った。

「馬は用意してやれん、とにかく走れ、そんでもって、川が見えたら服脱いで飛び込め。服も一緒に川に流すんだ。犬が追えないようにな」

「でも、それでは」

「いいから言うこと聞いとけ、クソガキめ」

 久々に餓鬼扱いをされる。

「川に入ったら、顔を上にして力をとにかく抜くんだ。そのまま少し流されろ」

「なんでそんなに」

 尋ねると、拷問過程で抜かれてガタガタになった歯を見せて笑った。この状態で笑えるのは尋常でない。

「知ってるかって、俺の知恵じゃねえ、ここに捕まってる全員で逃すんだ。このナイフを作ったのも、俺じゃねえ、お前の相棒の縄解くのも俺じゃねえ、計略練ったのも俺じゃねえ、この後テントに火つけんのも俺じゃね」

 覚えとけ、坊主、と小突かれた。

「強いのが一人いたからって、その軍は強かならねえ。指示通り、作戦通りお互いの邪魔をせずに動けるかってのが軍の強さよ。一人一人の仕事は何にもなんねぇけど、それを一つの目標に向けると強くなんのよ。お前が本国に戻ったら、このこと忘れずに、軍神の元で兵立て直して、俺たち助けに来てくれや」

 

 火の手が上がってからのことはあまり覚えていない。普段は感じるはずの日の匂いも、鼻血が鼻腔にこびりついて感じなかった。

 元々碌に走れなかった上に、逃げる途中で矢を受けたグレイを投げ入れるように川に飛び込ませたことや、平気なふりをしていたグレイが大河を越えられたあたりで急に馬上で意識を失ったこと。レイクヤードに行くべきだとグレイが熱に浮かされながら説得してきたこと。そのくらいしか覚えていない。

 必死だったのだ。それこそ記憶をする余裕もないくらいに。




 余裕がない方が良かった。脂汗を浮かべて目を覚ますたびに思う。一人になって、考え事をする時間ができてしまってすごく思う。クレアなり、グレイなり、庇うものがないと、記憶の反芻は止まらなかった。

 くじいていた足が痛む。

「もう少し夫人にお世話になった方が良かったか」

 まだ身体中が痛いのに動くべきでは無いだろうが、ただ休むことの方が難しい自分がいた。

更新ペースをどうするか、考え中。

とりあえず、明日は更新します。

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