第14話 ローズ・ホイッスル城
ついに、ローズ・ホイッスル入城。救出は困難になりました。
コッカテイルがどうなったのかは、この話と次話で釈明されます。次話までで、直接的に痛めつけられる描写は一旦落ち着きます。もう少しご辛抱を。
「いかがですか、ツインズより居心地のいい城でしょう」
トシュテンが、窓の木戸を広くと、広がる緑と雪の残った美しい山峰が姿を表した。吹き込む、高地の澄んだ空気が涙のあとを押し流す。不本意だが、心地よい美しさを感じている自分がいた。
ローズ・ホイッスルの語源は、山からの吹き下ろす風が、笛のように高い音を鳴らすというところにあるが、実際の土地に来て語源の通りだと知る。風がヒューヒューと笛のような音を立てていた。
ローズ・ホイッスル城、入城。その日は祝福か何かのように、雲ひとつない快晴だったのを思い出す。随分と皮肉が効いている。
「クレアは私のせいで死にました、残されていた捕虜も」
トシュテンが部屋から出て行く。ルヒトと二人きりになってから、私は口を開いた。
「何度も申し上げますが、全てが姫様のせいというわけでは訳ではありません」
あの日から、食事を拒否することをやめた。
私が子供じみた意地をはって、栄養失調の引きつけを起こしていなければ、あのまま馬に乗って二人とも逃げ切れたかもしれない。
「残されたハイケーンの捕虜が殺されたのは、あなたを救おうとした騎士二人の逃亡を彼らが図ったからです」
失うまで、彼らの私に対する視線が苦痛で仕方なかったのにもかかわらず、いなくなってから気がついた。彼らがいたからこそ、一緒に戦っているのだと、気丈に振る舞っていられたのだと。
そして。
「それに何より、貴女が慕っているあの少女は矢を受けていますが、あのおかしな鳥が連れ去ったのでしょう」
「あんな、ずんぐりした鳥が飛べるとは誰も思わなかったわ」
「だからこそ、追っ手をまけたのでしょう」
ルヒトもわかって言っている。あの状態で逃げたとしても、クレアは子供だ。あの傷で、助けるような大人の存在もなく生き残れる訳がない。
わかっている、だからこそ。
「私は強くならなければなりませんね」
食事を拒否するような、子供の意地で、好機を逃すのはもうこりごりだ。
もっと確実で冷静な強さが。この悲しみを、あの子の最後を救いのあるものにするために。
「貴女が何か企むようであれば、トシュテン様にご報告しなければなりませんので、ほどほどに」
あの襲撃が失敗に終わってからというもの。城に入るまで、ヘルベルトに毎日のように尋問された。
「騎士に何を聞かされたのだ」
尋問はほとんど拷問と言っていいほどのもので、心身ともに擦り切れた。でも、アド・リティームに兄上がいることを、ノースは掴みきれなかったのだと、その焦りようから確信が持てた。
二人の騎士たちも激しい拷問を受けていた。騎士と接触した捕虜たちも、それまでの比ではない拷問が行われ、日夜、兵が足を止めている間は悲痛な叫び声が陣営にこだまするようになった。
そんなある日、夜半。テントの外が蜂の巣を突いたように騒ぎ立つ。何事かと身支度だけを整え、身構えていると、ルヒトが飛び込んできた。
「姫様、大変です。捕虜の区画から火の手が」
テントは布だ。
「燃え移ることはありませんが、念のため避難を」
あの日から外されない手錠のまま、足枷だけを外されて外に連れ出された。
トシュテンの横で鎮火の報告を聞いた時、鬼の形相のヘルベルが大股で詰め寄ってきた。鎧をつけたままの籠手で裏拳を食らう。
「父上」
「貴様、知っていたな」
何を言われているのか分からなかったが、ある程度のことを察した。
殴られて、脳が揺さぶられた。ひどい頭痛で吐きながら、ヘルベルトを冷ややかに見つめる。鼻を鳴らしたヘルベルトはトシュテンに向き直った。
「件の騎士二人を捕虜が逃した。出せるだけの追手を出したが、この調子だと闇に紛れて逃げられる。貴様が悠長にやっていたからだ愚息め」
野太い叱責にその場の皆が気圧される。どこか涼しく、父に比べてしまう、自分がいた。これは戦況が劣勢に追い込まれて当然であると。
「今から生き残った捕虜の拷問を開始する。死ぬまで緩めるな。私が監督する」
「父上、殺してしまっては」
トシュテンが口を開くと、なぜか、地に潰れていた私の首が鷲掴まれた。そのまま持ち上げられて、息ができなくなる。
「こいつを生かす。それで十分だろう」
捨てるように離されて、気がつく。あご骨の際が少し切れていた。
「ねえ、ルヒト」
「はい、姫様」
「あなた妹がいるそうね」
「なぜそれを」
答えはそれで十分だった。
城に入って数日。自然と生活が落ち着いてしまっていた。囚われているとはいえ、姫として扱われる。身の回りの世話をする奴隷は、ルヒトの他に女が数人足された。
よく痩せているのを選んで、夕飯の時に人目を盗んで袖に隠した食べ物で釣ったのだ。もし受け取らなかったら、粗相としてトシュテンに報告する、という一言と共に。
「いいえ、私の兄と同じね」
口を閉ざしたルヒトを無視して、私は青い山に目を細めた。
「私の兄は、私を猫可愛がりしていたの。私は愛想を振りまく方ではないのに。あなたは。妹を可愛がっているかしら」
「だとしても、妹と関わりないでしょう。トシュテン様がいない限りこの部屋から出られないのですから」
あの日できた、顎の傷は未だ風に触られるとヒリヒリ痛む。
「ただ、あなたには世話になっているから、親睦を深めようと思っただけですよ」
目を閉じる。山の形の残像が、瞼の裏に白く映った。
アンナマリア様の入場から数日は、彼女の周辺のことを取り仕切っていたせいで息をつく暇がなかった。それこそ、家族に一目会う遑もないほど。
城の台所に顔を出す。城で働く者は基本的に平民の中でも、育ちが悪くないものがほとんどだ。奴隷は汚れ仕事や怪我の多い力仕事のために使役されるに限る。
身の回りの世話を全て奴隷にさせるアンナマリア様は侮辱の究極であったし、奴隷を有用に使おうとするトシュテンは間違いない変わり者である。
元々、ノースに奴隷がいるのは、その領地の東の端が干拓地であり、その一帯は海抜が低いことに起因する。川や水路に流れ込んだ水を継続的に汲み出し排水をする必要があるのだ。もちろん人力で汲み出すほかなく。排水はきつく汚く危険な仕事であった。それを押し付けるために連れてこられたのが奴隷の始まりである。奴隷は排水の肉体労働のために最初輸入された。
その後、領地内全体の汚れ仕事や肉体労働に有用であると、人身売買が広まった。十五年戦争による労働力不足も相成り、今や奴隷の人口は相当数に膨れ上がっていた。
「ニーナはいますか」
台所の奴隷を仕切る女性の手隙を狙って声をかけると、裏手の井戸を顎でしゃくられた。
「ニーナ」
洗濯女の中の一人が弾かれたように顔を上げた。
「兄さんっ」
上役が許可のように頷くと、汚れた衣服で手をぬぐいながら、駆け寄ってくる。アンナマリア様の清潔な衣を扱っているせいで、洗っても薄汚れた衣しか身につけられない自分たちの身分に口惜しさを感じる。
胸に飛び込んでくる少女を力いっぱい抱きしめた。
「お帰りなさい」
「ただいま」
じわっと涙がにじむ。トシュテンの身辺とはいえ、生きた心地のしない場面が城の中に比べて多かった。それに、アンナマリア様の世話は奴隷には身には責が重い。
「ただいま」
頭にキスを落とし、また抱きしめる。
「土産の一つでも持って来てあげれればよかったんだけど」
体を離して、まじまじと顔を見る。少し見ない間にまた少し痩せている。
「いいの、不相応なものを身につけていたりしたら、送り主も探されてしまうもの。兄さんがいない間に、洗濯女の中から罰で死んでしまった子が出たの。だから私もこっちを手伝わなくてはいけなくなったのだけれど。そんな目にあうくらいなら、このままの生活で満足しなくちゃ。それに、兄さんが生きて帰って来てくれるのが、私には何より嬉しいわ」
「そうか」
また、切ない愛しさがこみ上げて妹を抱き寄せた。
「なに、急に。そんなに寂しかった」
こんな目にあっていても明るく笑い声をこぼす妹が、自分にとって持てる全てだった。




