第12話 何故、今
これで、第1章のエピソードで終わります。
以前と変わったのは、日が昇る前に目を覚まし、誰の手も借りず、寝間着からドレスに着替えるようになったこと。
「朝食のお時間です」
「食欲がありません」
「少しは食べていただかないと、貴女に何かあったら私が」
「あなたは私に意見できる立場にいますか。奴隷一人罰せられるくらいで、私の考えは変わりません」
同じやり取りを幾度しただろうか。ルヒトの表情からは、今日も呆れが読み取れた。どうせ、子供のわがままだと侮っているのだ。
違う、と暴れ始める声が心の内に響いた。一度、声が反響を始めると中々治ろうとしない。違う、これはわがままなんかではない。自分が何をされているか、その意図を正しく理解しているからこそ、新鮮で豪華な食事を摂れるわけがないのだ。
その後は、件の馬車に閉じ込められ移動が始まる。いくら時が経とうとも、狭い暗闇で身動きを制限されるのは慣れなかった。そして、心が完全に折れた後、馬車から引きずり下ろされる。
身だしなみを整え、トシュテンに散歩に連れ出される。善意の仮面を被った彼の底には疑う余地のない悪意が流れていた。
必ず散歩では、捕虜の繋がれた区画を通らされる。日に日に、痩せていく民の前を、血色のいい、清潔な、新しいドレスを着た私がトシュテンの紳士的なエスコートを受け通るのだ。
その上、時たま、彼らの前で、トシュテンは私に果物や菓子を食べさせることもある。ルヒトとは違い、拒めば怒鳴られ手が飛んでくる。それでも拒めば、護衛に後ろから髪を押さえつけられ、力任せに口にねじ込まれる。それでも、拒もうとした。しかし、彼らが、私に駆け寄ろうと、鎖を食い込ませ血をにじませ嗚咽を漏らすのを見てから、その場で出されるものだけは、拒めなくなった。己の民が傷ついているのを見過ごせる私ではなかった。
日々、彼ら捕虜の私に対する不信感は増すに違いない。
忠誠を誓わせる時、我々も民を守ると誓うのに。
私は、あまりに無力だった。
夕食に、ルヒトは普通の食事と流動食のようなスープをだす。
普通の食事に手をつけない私に少しでも栄養を取らせようとして。
「姫様、スープは味のついた湯です。もはや食事ではありません、ですから召し上がってください」
飢えている体に、食事のいい匂いは毒と化す。手のひらに爪をたて、必死に自分を正した。
まだ、トシュテンに連れ出される前までは、与えられたものを食べれていた。でも、あんな自国民の姿を見せられては耐えられない。
トシュテンに世話をされて、沐浴をする。この週間が始まってから、もう二週間にもなるが、未だになぜ、このような仕打ちが成されるのか。頭で理解できでも飲み込めない。
今日もまた、人の気配に無理やり目を覚まし、自分の手で、服を脱ぎ、ドレスを着る。寝室にされている部屋から、垂れ布をくぐると、いつものように豪勢な食事が並んでいる。
「お食事の時間です」
「食欲がありません」
テーブルを通り過ぎようとしたとき、急に気が遠くなった。目の前が激しく点滅して、吐き気がこみ上げる。崩れ落ちた体が、美しく配膳された食器を崩した。金属の盃が音を立てて落ちるのを、どこか遠いところで聞いている心地になる。
「アンナマリア様」
トシュテンが抱き止めるより前に、私は強かに頭を地面に打った。
口腔に広がる甘味。ハッとして、匙を持った手を押しのけうとする。しかし体には力が入らない。
「蜂蜜をといた重湯です。少し回復したら、山羊の乳をベースにしたミルク粥を」
「や、めて」
「アンナマリア様」
もう、限界だ。誰よりも白い頬を、透明な涙が伝った。
「お願い、死なせて」
それでも、ルヒトは私の喉に、栄養を流し込んだ。
「姫様、奴らを喜ばせたいですか」
頭を振る。それなら、と彼は匙を口にねじ込んだ。
「それに、この程度ではまだ死ねません」
アンナマリア様を寝かしつけて、テントを出る。出入り口の布が動くだけで、重装備の見張りが警戒心をこちらに向ける。対象はあんなに非力な少女ただ一人だというのに。
「ハエック イゥメンタ」
兵士が通る度に脇に寄り頭を下げる。中の誰かからその音が聞こえた。意味は、家畜の下。わざわざ口に出さないと、腹の虫が収まらないのかと思うと、笑いさえ込み上げてくる。
こっちは生まれた時から虐げられてる。虐げておいて、そんなことも忘れるなんて。
アンナマリア様がここ数日口にしているものでは到底、餓死には及ばない、それが経験則でわかる様な扱いを私たち奴隷は受けてきた。今更、罵詈雑言程度で心は動かない。
「お前なら、ツインズ城には誰を行かせる」
「叔父上は如何です」
「いや、あれには生気がありすぎだ。いつかは、お前のものになる城だということを忘れるな。玩具を取り上げても気がつかないような盆暗か、取り返す気力もない腑抜けを選ぶのが無難だ」
「それでいて、ハイケーンの残党からしっかり城を守る兵力と、私が入るまでにある程度まで国を整え直す統治力がある人間ですか」
トシュテンのテントから、領主ヘルベルトの声が聞こえた。珍しい。
「そこに誰かいるか」
ヘルベルトが声を発する。伊達に息切れすることもなく、この長い戦争で舵を離さないでいる。そこいらの遺族様なら、人の気配にここまで敏感でないだろう。
「ルヒトと申します」
「父上、ほらアンナマリアに付けている従者です」
「気色の悪い趣味だな。入れていい。どうせ、ツインズに人を入れるのは、ローズホイッスルに戻ってからだ。城に帰るまでに、考えておけ」
ヘルベルトは身の回りに奴隷を置かなかった。むしろ、トシュテンの方が面白がっている感がある。
「あまり、ハイケーンの娘を甘やかすなよ。お前が欲しいというから、預けてるんだ。躾を忘れるな」
「もちろん、父上の虐待じみた監禁より、ずっと効果出てますよ」
傍を通り抜けたヘルベルトの背中にトシュテンが投げかけた。
「別に、お前たちと同じ空気を吸ったところで、何が起きるわけでもないのにな。家畜舎を通っても何もないのと同じで」
私は曖昧な笑みを返した。
「高貴な生まれの方は家畜舎に近づくのでさえ嫌がりますから」
「それもそうだな。あの娘はどうした」
「蜂蜜をといた重湯を召し上がりました」
「まあ、明日は船の移動だ。足腰立たずとも問題ない。いいぞ。いい調子だ。物が碌に食べられないくらい、捕虜を思いやっている。健気な話だ」
同情する表情に見えるが、その実は恍惚である。
「しかし、この先も、お食事を拒否なさったらどういたしますか」
「ふふっ、そう思っただろう」
トシュテンは文箱の横に置かれた小包を手に取った。雑に封を開ける。
「港町はいいなあ。何でも手にはいる」
中から、細長い管と袋が出てくる。
「小動物の消化管をつなげて作られているらしい。鼻から内臓に直接流動食を流し込む道具だ」
楽しそうに、管を広げ、恍惚とした表情を浮かべる。
「人質風情、病気になる自由は許されてない、わかるか」
「素敵だと、思います」
「そうだろう、そうだろう」
「あれを見ろ」
グレイが対岸を指差した。
クラークの鎧にある紐を締めながら、私は振り向いた。
「ノースの船だ」
覗き込むと、昨日までとは比べ物にならない量の船が、びっしりと並んでいた。川を渡るときにばらけると聞いていたのに。ばらけてなおこの数なのか。
私たちは、ボルイの手引きで、ノース領地側のリバービュー宿
「アンナマリア様はヘルベルト・ノースの長子と一緒の船だ。デカい船二隻のうち、先にくるのが、アンナマリア様の船だ」
「お前、その情報をいつ仕入れたんだ」
「コッカテイル連れ出してたあの夜だ。宿の手配のための先触を探ってたらあの店の人間に詳しい奴がいるって話でな。女連れてないと入れない店だったんだ」
グレイは目を細めて、涼やかに河岸を眺めている。
「遊びに行ってたんじゃ」
「息抜きをさせてくれたんじゃ」
傍に置いてあった、兜を拾い上げ立ち上がった。
「見張りしとけよ」
「これ、私も着けなきゃいけないの」
問いかけると、クラークが手を止めて黙り込んだ。フリューメン総合商店の制服はもう着れない。行動を起こした時に着ていては、必ずボルイたちに迷惑がかかるからだ。そして、クラークが、私の肌着の上につけているのは、ベスト型の鎖帷子だった。
「クレア」
いつもと声色が違うので、彼の表情を伺う。
「今日は命が消える日だ。言っていることわかるな」
彼は膝をつき、両腕を掴んだ。痛いくらいに、手に力が入る。
「俺たちのどちらかが、剣を受けたら、ウォルバーに乗ってとにかく逃げろ」
そして、彼が身につけていた短剣を私の腹帯にしっかりと結んだ。そして。私のブーツを脱がせ、その中に金貨を隠し、また履かせる。
「クラーク」
「この金貨があるからと言って、宿屋に泊まったり好きなものを食べたらダメだぞ。仕事を探して働くんだ。わかったね」
「クラーク」
「あの日、お前を村においてくればよかったって、今になって思ってる」
「クラーク」
「本当に……ごめん」
しばらく黙って項垂れていたクラークが頭を上げた。
「クラーク、あの」
「船が、来たみたいだ」
船の中で横になっていると、尚の事、気分が悪いようで、アンナマリア様は船べりに寄りかかるようにぐったりとしていた。この辺りの遊人船は布でできた屋根を張る。船の中に日差しが入らないのが、せめてもの救いだった。
「もうすぐです」
声をかけても返答さえ、帰ってこない。
「ルヒト、冷たい飲み物はあるか」
トシュテンの言葉に、水筒を出す。
「そこまで冷えていませんが」
「まあ、いい」
彼は一口含み飲み干してから、アンナマリアに差し出した。
「胃がすっきりすれば、まだマシなはずですよ」
差し出すも、彼女は首を振るばかりだった。
「まあ、いい。向こうに着いたら、すぐに宿に入れるようにしてある」
波止場に船が着いた。トシュテンは早々に船から降りて行った。
「あの、この船に乗っていらっしゃる娘さんの案内をするように言われたのですが」
アンナマリア様よりも少し背の低い少女が恭しく船に乗り込んで来た。城の中でいるような立ち居振る舞いに少し眉をひそめる。町の女はここまで洗練されているだろうか。それに。
「この御人には誰も接触が許されていないはずだが」
もし、そんなことがあれば、必ず自分は知らされている。
気がつけば、船の中には、すぐに立ち上がれないアンナマリア様と自分とその少女だけになっていた。
「え、でも主人に直接言われたのですよ。トシュテン公の大切な方だと」
病人がいるから、早めに部屋の手配をしろというのが、間違って伝わったのだろうか。
そう思っているうちに、するりと、彼女は私の脇を抜け、アンナマリア様に近づいた。
気だるげに、アンナマリア様は瞼をあげる。焦点の合わない瞳が徐々に大きく見開かれた。
「クレア」
彼女の知り合いだとすれば
「ハイケーンの人間か」
呟くや否や、少女がはじかれるように顔を上げ、アンナマリア様を引っ張り上げるように立ち上がらせた。
「アンナマリア様、逃げます」
少女が体当たりをするように、船を降りようとする。いつもならなんでもない衝撃なのに、体勢の悪さと船の揺れがちょうど重なり、後ろによろけてしまった。
船の中を走る人間がいたのと、自分がよろけたことで、船全体が、大きく揺れ、波止場に激しくぶつかった。
「何事だ」
船の降り口にいた兵士がこちらを覗き込んだ。
次の瞬間には、船内にバケツで水をかけられたように、血が吹き込んでいた。ゴトンと音を立てて落ちたのは、頭が2つ。布が張られた船の屋根が赤く染まっている。
何者かが馬を走らせながら、降り口に立つ兵士の頭を薙いだのだ血糊のついた劔と白い馬の足が船内、布屋根の下でも見切れたいた。
それでも、勢いを殺さず、少女が船外に足を踏み出す。アンナマリア様も手を伸ばした時には波止場に足を付けていた。
急な日差しに目が眩む。
「アンナマリア様、騎士の後ろに乗って下さい」
船の前を走り抜けた白馬が、方向を変えて、自分の前につけていた。差し出された手を掴み、必死によじ登る。下から何かに突き上げられた。クレアが、彼女の肩を踏ませている。
「クレア、あなたは」
嫌な予感がして、周りを見ると、もうすでに、兵士の人垣が出来つつあった。
「大丈夫です」
彼女の声をかき消すように、馬の嘶きと、けたたましい蹄の音が近づいて来た。黒馬が兵士を蹴散らし、人頭を跳ね、人垣を崩した。その隙間を狙うように、白馬の騎士が馬の腹を蹴った。馬が飛ぶの間際クレアを振り向くと、黒馬の騎士に引き上げられていた。ああ、あなたはもう一人で馬によじ登れるようになったのね。
「姫、貴女の兄上に命じられて馳せ参じました。兄上がいるアド・リティームまで送り届けます」
「兄が、兄は生きてるんですね」
両親が死んだと聞いたとき、兄もきっと探され殺されたと思っていた。
「ええ、もちろんです」
涙が滲んだ。この地獄からやっと解放される。
「一度、港町を出て、森に入るぞ」
追いついて来た、黒馬の騎士が怒鳴った。いつの間にか、ダチョウのような、それにしては鼠に頭が似ている奇妙な鳥が並走している。
港町の終わりが見えて来た。向こうに平野が見えた。
「あれは何」
クレアが呟いた。黒い塊が見える。平地への道を塞ぐように構えられていた。
「ノースの兵士」
「まさか、港で騒ぎがあったと知るには早すぎる」
後ろからも既に追っ手が迫っている。
前方の兵団に一人、馬上でスコープを覗いている男がいた。
「ヘルベルト・ノース」
「なぜ、トシュテンより後の船に乗っているはずじゃ」
「とにかく、抜けるぞ」
騎士が身を低くし、馬の速度がグンと上がった。その反動で、治っていた筈の目眩と吐き気がこみ上げた。掴んでいなければならない指が解けていくのを感じる。
なんで今。
「アンナマリア様っ!!!」
私は空中に留まっている気がした。馬だけが遠くなっていく。クレアが、私に手を伸ばして騎士の背から体を起こした。騎士の体と空間が空いたのが行けなかった。前方から飛んで来た矢が、彼女の右肩に刺さった。
衝撃で、クレアが吹き飛んだ。
駄目、貴女は傷ついちゃ。
地面に体が打ち付けられた。息がグッと抜ける。
「カハッぁ!!」
暗幕をかけるように、全部が無くなった。




