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ウォルバーと私  作者: 一ノ瀬きなこ(吉菜小)
第一章
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第10話 下働き王子

アド・リティームの弁護士見習いの一日


一旦、コッカテイルから離れてジョセフ視点です。

大人しいリア様は気持ちが悪い。

 ロイヤーの朝は早い。


 いや、嘘をついた。正しくは後ろ盾のない、駆け出しロイヤーに限って、朝が早い。

 私には金がない。兎にも角にも、客がいなければ収入もなく。ロウソクも買えない。そうなると、日が落ちてからはそう長く勉強ができない。だから、みんなが寝ているうちから起きて本を開く必要がある。

 魚屋の店主が大きな包丁で、魚の骨を断つ音を起床の鐘の代わりにしている。わざわざ事務所の二階ではなく、魚屋の上に部屋を借りたのはそういう事情があった。

 今日も、木と骨がぶつかる鈍い音を聞きながら、無理やり目を覚ました。眠気を必死に振り払った。

 辺りは明るくない。でも空は白んでいて、かろうじて文字は読める。最近、朝が冷え込むようになってきた。ベッドから出ると首元をひやっと冷気が撫でた。上着を着込み、窓を開けて、本を窓枠に置く。必死に文字を目で追いながら、意味が読み取れない箇所は、別紙に覚書を残しておく。あまりにも難しい書は、接続後や周りのかろうじて意味が取れる語句で、その言葉の関係位置を少しずつ洗って推測をする。

 読んでいるつもりでも、よく目が滑る。ため息をついた。目をこすり、薄橙に滲む空を見た。

「秋が来ちゃう」

 去年の同じ頃、法律学舎の寮で、同じように窓辺に教科書を置いていた。来年からは客が取れ、ロウソクを使って勉強できると胸を高鳴らせていたのに。冬になれば雪が降る、窓枠に本が置けない上に、日が相当短くなるのだ。思えば、周りは寮にいた時からロウソクを使っていた。ロイヤーになろうなんて思うのは大体が法律学舎に学費を収められる裕福な家庭の子供が多い。

 気を取り直して、どこまでも並ぶ隙間ない文字に目を落とした。


 起床の鐘がなったら、本を閉じ、急いで身なりを整えてケリング法律事務所まで走る。身に付けるのは、法衣に準じるいつもの黒いロングワンピース。髪も不潔感が出ない様、撫で付けきつく結う。

 自分の事務所を持つのは、師となるロイヤーの元で何年か働いて、客に顔を覚えてもらってからだ。見習いは、法律に関わる仕事も多いが、小さい事務所では師の世話も仕事に含まれる。

 事務所の二階居住区に駆け上がり、そのままの勢いで戸を開けた。

「おはようございます」

 鐘程度で起きないケリング師を叩き起こし、ベッドのシーツを剥ぐ。まだ、眠り眼でベッドに腰を下ろした師を端目に部屋を出た。

 次に、もう一枚のシーツを剥ぐべく、隣室の扉を叩く。予想に反し、向こうから木戸は開けられた。間借りする、新しい住人が顔を出した。

「起きてたんですね」

「ああ、シーツも剥いでおいた」

 渡されたシーツを受け取り、紐でくくった木札を付け表通りの窓に掛けておく。こうしておくと、洗濯屋が前日分を洗って乾かしたものを、今度は夕刻、裏通りの窓に同じように戻してくれる。


 いつものように、朝食の用意を始めようとお勝手に向かうと、どこぞの国の王子が鍋でキャメルミルクを温めていた。

「なんだ、その顔は」

「いえ、あなたの存在を忘れる瞬間が度々あるんです」

「失礼な、もう幾日たつというか」

 部下に金貨を全部持って行かれたこの男は、事務所の家事手伝いをする代わりに、二階の空き部屋を間借りしていた。

訴訟にかかるお金は裁判所に書類を納める時に証書として収めていたからまだいいものの、後払いになるこの事務所への代金はどうなるかまだ未定である。

にも関わらず、ケリング師はリア様を事務所に宿泊させることを快く了承した。

「上手くなったと思わないか」

 ふかふかに焼きあがったオムレツを木皿に盛りながら見せてくる。最初は竃の使い方も碌にわかっていなかったのに。どこか悔しい自分がいる。

 彼が運んだ皿の上には、カリッといいあんばいに焼かれたベーコンとオムレツが鮮やかなコントラストで並んでいる。気性の荒さが息を潜めている彼はどこか不自然に、私には見える。

「こういった労働、もっと嫌がると思っていました」

 席につきながらぼやく。

「まあ、騎士学舎にいた頃は訓練に掃除洗濯が含まれていたからな。案外、得意分野だ」

 もっと苦労するものだと思っていた。金貨がないと困り果てた顔をしていた時、これは彼の高すぎる鼻をへし折るいい機会だと思った。にもかかわらず、課せられた、水汲みから始まる、細々とした労働をいとも簡単に彼はやってのけた。

「諸君、おはよう」

 遅れて階下に降りてきたケリング師に合わせて、二人とも席を立つ。

「「おはようございます」」

 ケリング師はへっぽこロイヤーのくせに、リア様を平然と下働きのように扱う。そして不思議なのは、リア様も不満を出さずそれに従っている。これも騎士学舎やらの賜物なのであろうか。それか、本当は王子ではなかったか。

「今日は、午前中に一件、午後に一件面談がございます。それと、手紙が三通それぞれ訴訟機関と裁判所から届いていましたので後で目を通してください」

 ケリング師が朝食に手をつけてから連絡事項を伝え、それが終わったら自身もようやく食べ始める。

 彼が作るようになってから、二月程経つ。最初は黒焦げの酷い出来だったが、彼の言う通り日に日に腕が上がってきていた。


 初めての、依頼主であるにもかかわらず。私は彼が苦手だ。

 態度がでかい男は元々好かないのだ。彼によく似た男が頭によぎる。人は論理的に思考をすべきであり、暴力に問題解決を委ねるのは獣の所業である。

「なんだ、今日もご機嫌斜めでいらっしゃる、そんなに嫌ならロイヤーを辞めたらどうだ。はなから女の仕事じゃない」

 ケリング師のところに依頼をしにきているお得意様に、すれ違いざま尻を撫でられた。これだから男は、と歯を食いしばり、師の待つ応接室に案内する。手を叩いても正当防衛で神威の対象にはならないが、依頼が私の粗相で立ち消えるのは避けたい。

 水差しを持っていくために、お勝手に行くと、裏通りにリア様が忙しなく動いているのが見切れる。

「何をなさっているのですか」

 甕から水を組みながら、尋ねる。

「鍛錬だ。訴訟が終わるまで戦場には出れない。だが、それは鍛錬を怠っていい理由ではない」

 暴力的な発想。呆れた私は首を横に振る。

「リア様、掃除は」

「もう終わった」

「それ、辞めないか」

 呼び止められて、振り向く。唐突な発言に、それがなんであるのか私にはわからなかった。

「ここにいる間、そなたは私の姉弟子に当たるわけであろう」

「ええ、一応」

「なら、様をつける必要はない」

 頭の回転は早い方なはずなのに。彼が何も言っているのか、理解が及ばなかった。

「でも、あなたは一国の王子ですよ」

「学舎でものを教える時、教官は身分の差に関わらず平等に扱うと言う決まりがあってな。それが骨の髄まで染みついているせいで、日々教えを乞うているのに、敬われると虫の居所が悪いのだ」

 そんなことを言われても。彼は一国の王子であり、何より私の初めての客なのに。

「こんなに訴訟に関わる時間が生活の中で少ないとは思わなかったのだが、生活の時間の方が長い。客である時間よりも、弟弟子としての時間の方が長いのだ。それに私を敬わないことで目くじらをたてるものはここにはいないだろう」

 なぜ、そんなに食い下がるのか、わからなかったが、彼には相当重要な問題らしい。

「では、なんとお呼びすれば」

「リアで構わん」

「なるべく、そうするようにします。できるだけ」

 了承すると、彼はとびっきりの笑顔になった。


 単純なのか、アホなのか。それとも単純なアホなのか。私が彼を理解できる日は相当遠いようだった。


 明日使う書類の代筆を済ませ、外を見ると、まだ陽が落ちるには間があった。以前なら師のベッドにシーツを掛け、夕飯の用意をしなくてはいけないのに。それはリア様がやるのだと思い出す。時間が空くことなど、ケリング師の元に来てから思い返せばなかった。

 ふと、まだ目を通していなかった判例集を手に取った。いけ好かないけれど。勉強の時間が増えるのは、ありがたい他ないのである。

リア様は軍人なので、掃除洗濯が仕込まれています。


呼び方の工夫は、仲良くなりたいなという気持ちの表れなのかな?それとも自分だけ、誰からも敬称で呼ばれる生い立ちだからこそ、周りの呼び捨てに憧れてたのかな?


ジョセフ目線、少し続きます。


訴訟前準備期間など、訴訟をより迅速に行う工夫が整えられた今でも、平均の訴訟期間は8ヶ月。

裁判所のアクションは一ヶ月間隔で行われます。争っている間も生活をしている時間の方が長いんですよね。


昔は訴訟件数自体が少ないのかもしれませんが、アド・リティームは何せ各地の訴訟が集まる街ですから。

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