第9話 距離感
共感と同情の話し。私は共感されるより、同情の方が好きです。共感は不可能だと考えているので。
心理学的には、この二つには区分がされているんですよね。
「クレアは早く寝なさい。ただでさえ、明日は夜に移動があるのに」
クラークに叱られて、少し、肩がすくむ。前はそんなことなかったのに、自分に向けられた大きな声を明確に怖く感じた。先ほどまでの怒号はなんてことなかったのに。
なんでだろう。自分と向かい合ったクラークの大きな声に涙が出てきた。
目元に気がついた、クラークはもう一度静かに「早く寝ろ」と言って部屋を出て行った。
ベッドに潜り込んで、深呼吸をして。少しずつ落ち着きを取り戻す。息を吐くとシーツがその分熱くなった。
そのうちに、くぐもった言い争いが聞こえてきた。両親が私の寝ている間によく言い争いをしていたのを思い出す。不思議なもので、憤りの音は音量がどんなに小さくても子供の耳に届くのだ。
母を亡くしてから、思い出す家族の時間は、どれも幸せなものばかりだった。でも、きちんと思い出すと家の中で母はいつも苛立っていた気がする。
一生懸命、目を閉じていたけれど、ずっと聞こえる低い声に我慢がきかなくなって布団を抜け出した。どうせ話題は私のことだろう。わかっていて、気にかけないのは私にできないことだった。
「あの子がどんな目にあったのか。忘れたとは言わせないぞ」
戸に耳をつけると、言葉の内容がわかるようになった。床板が軋まないように気をつけながら、戸側に体重をかける。
「あの子の悲鳴を聞いていて、あの子の呆然とした顔を見て、なんでお前は粗雑に扱えるんだ」
「忘れるわけないだろ、舐めてんのか」
「なら、なんであんな格好させて、夜の街なんかに。何かあったらどうするつもりだ」
グレイの舌打ちが鳴った。
「だったら、あいつの部屋から夜な夜な聞こえる泣き声とか、うなされてる声はお前の耳には届かないのか。おい、お前が正しいなら、目を見ろよ。部屋に戻ってからずいぶん時間経たないと、あいつは寝れないのを知らないって言うんじゃないだろうな、あ?どうなんだよ。危険な目に合わせないために、部屋に閉じ込めて、色々思い出させんのは良いのかよ」
ばれてたんだ。泣き声はシーツで殺していたのに。唐突に、連れて行ってくれと頼み込んだあの日のことを思い出す。私は一人になりたくない一心だった気がする。必死すぎてあの時、何を考えていたかは明確には思い出せないけれど。
「あいつの置かれた環境をわかってやんのが、俺らのできることじゃ」
グレイの言葉を、クラークがぶった切った。
「わかってやれるわけないだろ。俺たちの想像が及ぶとでも思ってんのか、わかったつもりになる方が傷つけると思わないのか」
叫ぶようなクラークの声に胸が苦しくなる。彼はそのまま語気を荒げた。
「何があの子を傷つけるか。俺には皆目見当がつかない。でも、他のやつは、あの子傷に気がつきすらしない。だから俺たちが近くで見てやらないと。それともなんだ、お前はあの子が何を怖がるか確実にわかってんのか」
「正面で怒鳴りつければ泣くってことぐらい、お前じゃないから分かってる」
グレイの口調はどんどん冷静なものになっていた。冷たく、クラークを突き放す。
「偉そうにおっしゃるけどな、お前はあいつになんかしてやれたのか、クラーク」
口篭るクラークに、グレイは続けた。
「本当に、あの子のことを思うなら、まずもってこんなところに連れて来るべきじゃなかったろ。それを、自分の近くに置くことで、彼女の顛末を把握することで、救った気になってる勘違い野郎はどこの誰だよ」
声が物音に変わった。激しく椅子の倒れる音がして、とっさに扉を開けてしまった。
私がいると思ってなかった二人と、気づかれる前に自分の部屋に戻るつもりだった私、お互いに唖然とした顔で、見合う。
グレイの胸ぐらをクラークが掴み上げていた。私は口をぱくぱくさせながら頭を回した。
「あ、あの。喧嘩は良くないと思うよ」
私のために、とか、煩わせるつもりはなかった、とか、言わなくちゃいけないことはいっぱいあるのに。
「最初の約束、忘れたわけじゃないよ。邪魔になったら私はいなくなるから」
言った途端に、二人が息を飲んだ。気まずそうに、クラークはグレイの襟を離す。
「クレア、笑わなくて良い」
苦い表情をしたグレイが眉間を揉んだ。
クラークは何も言わずに私の脇をすり抜け、部屋を出て行った。怒ってるのかな、嫌われてないかな。背中を見送りながら、そんな心配で胸がいっぱいになる。
二人だけになった後、グレイは呟いた。
「クレア、お前をあの村に置いてくれば良いとは思っていた。だけどな、連れてきたからには、俺は責任とって面倒みるつもりでいる。余計な心配はしないで、俺らに甘えてりゃあ良い」
彼の気遣いに私は苦笑した。
「ありがと、私は大丈夫だから」
翌日、まだ陽の高いうちから、私とグレイは港に出ていた。クラークは、出立前最後の手紙をアド・リティームに出しに行っている。船の荷詰を手伝いつつ、夜に紛れて隠れる場所を確認する。馬やウォルバーも詰め込む手だった。
手を支えてもらいながら、船に乗り込んだ。
「うわー、揺れる、揺れる」
川の流れはものすごく穏やかなのに、予想以上に揺れる。
「うるせぇな。これは全然揺れてない部類だぞ」
「これ、本当に沈まないの」
きょろきょろあたりを見回しながら、足を進めた。
「まあ、沈まないからこそ、うちの店はこんなにでかくなったのですな」
ボルイは苦笑しながら、麻の布をめくった。
「この中に屈んでいただくことになります。耐えられますか」
グレイには聞いていないことは明白だった。まあ、武人に体力が持つかというのは愚問である。
「あっ、全然。屋根があるだけ天国ですよ」
「酔ったら、外に吐けよ」
そして、夜。ノースに気づかれることもなく、私たちは大河を渡った。
大河を渡ると、いよいよ起承転結の「起」に終わりが近づいてきますね。
次からは、クレアたちの視点を離れて、アドリティームとアンナマリア様のお話を挟みます。




