表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/19

8.笑顔の裏側

黒羽家で働き始めて八日目。


朝。


「おはよー!」


明るい声とともに、三男・紫音がリビングへ飛び込んできた。


金色に輝く髪。


青く澄んだ瞳。


百九十センチの長身に、モデルのような均整の取れた体つき。


世界的DJ。


双子ユニットのメインボーカル。


兄・玖音とのYouTubeチャンネルは登録者数一億人を突破し、世界中にファンを持つトップクリエイター。


誰もが憧れるスーパースターだった。


それでも本人は気さくで、人懐っこい。


幼い頃からお笑い芸人に憧れ、人を笑わせることが何より好きだった。


難関大学経営学部へ進学したあとも、自ら関西のお笑い養成所へ通い、話術や笑いを磨いた。


DJも。


アイドルも。


YouTubeも。


ライブMCも。


すべては、人を笑顔にするため。


その思いだけは、昔から変わらない。


「おはようございます、紫音さん」


「おはよう、凛ちゃん!」


屈託のない笑顔で手を振る。


その笑顔だけで、食卓の空気がぱっと明るくなった。


「今日も朝からええ匂いやなぁ」


「ありがとうございます」


「朝ごはん、めっちゃ楽しみにしててん」


嬉しそうに席へ着く。


「今日は収録?」


玖音が尋ねた。


「せや」


「午前はバラエティ番組」


「午後はライブの打ち合わせ」


「夜はDJイベント」


「その後は動画編集の打ち合わせ」


太音が苦笑する。


「相変わらず忙しいな」


「世界中の人を笑顔にせなあかんからな」


紫音は冗談めかして笑った。


その笑顔は明るかった。


けれど、その裏で誰よりも努力を重ねていることを、兄弟たちは知っていた。


「だから紫音のMCは世界一なんだよな」


太音が笑う。


「ライブでも収録でも、紫音がおるだけで空気変わるもんな」


玖音も小さく頷いた。


「話術もマーケティングも天才だからね」


「まあな!」


紫音は得意げに胸を張る。


その姿を見て、凛も思わず笑みを浮かべた。


(本当に、人を笑顔にすることがお好きなんだ)


***


昼過ぎ。


「ただいまー!」


仕事を終えた紫音が帰宅した。


玄関には、いつもと変わらない明るい笑顔。


「おかえりなさいませ、紫音さん」


「ただいま、凛ちゃん!」


凛はそんな紫音へ、穏やかに微笑んだ。


「今日も一日、本当にお疲れさまでした」


その一言に、紫音は少し目を丸くする。


「ありがとうございます」


「今日も、たくさんの方へ笑顔を届けられたのですね」


「……まぁ、それが仕事やしな」


照れくさそうに頭をかく。


凛は静かに頷いた。


「朝からテレビ番組に、ライブのお打ち合わせ、DJイベントのお仕事まで、本当にお忙しい一日でしたね」


「皆様を笑顔にするお仕事は、とても素敵だと思います」


「きっと、お身体も心も、お疲れになられたのでしょうね」


その言葉に、紫音は少し驚いた。


頑張っていることを当たり前だと思わず、一つひとつ見てくれている。


そんな人は、あまりいなかった。


「……ありがとう」


凛は穏やかな表情のまま続ける。


「少しだけ、お身体の調子を伺ってもよろしいでしょうか?」


「え?」


「お声が少しかすれていらっしゃいます」


「それから、笑顔はいつも通りですが……少しだけ肩に力が入っているように見えました」


「喉のお疲れや、お身体で気になるところはありませんか?」


責めるような口調ではない。


体調を決めつけるのでもない。


一緒に今日一日を振り返るような、優しい問いかけだった。


紫音は思わず苦笑する。


「……そんな分かる?」


「少しだけ、喉が疲れてるかも」


「今日は結構しゃべったし」


テレビ番組でも。


動画撮影でも。


ライブの打ち合わせでも。


一日中、笑い続けていた。


「教えてくださってありがとうございます」


凛は安心したように微笑んだ。


「少々お待ちください」


数分後。


凛は湯気の立つカップを両手で大切そうに持って戻ってきた。


「お待たせいたしました」


「はちみつと生姜を入れたハーブティーです」


「喉を使われた日に良いと祖母から教わりました」


紫音はカップを受け取り、一口飲む。


優しい甘さと爽やかな香りが、少し疲れた喉へゆっくりと染み渡っていく。


「……うま」


思わず力が抜けたように笑う。


凛はその表情を見て、ほっとしたように微笑んだ。


「よかったです」


「今日は本当によく頑張られましたね」


「だからこそ、お身体を休ませる時間も大切になさってください。」


「頑張ったお身体を休ませることも、明日も笑顔でお仕事を続けるための大切なお仕事だと、祖母から教わりました」


「紫音さんが元気でいらっしゃるからこそ、また明日もたくさんの方を笑顔にできます」


その言葉に、紫音は返事ができなかった。


(俺が休むことも……仕事のうちなんか)


そんなふうに考えたことは、一度もなかった。


今まで何万人、何億人もの人へ笑顔を届けてきた。


ライブでは歓声が響き。


テレビでは笑いが起こる。


動画を投稿すれば、一億人もの登録者が喜んでくれる。


それが嬉しかった。


だから、自分は笑い続けた。


疲れていても。


喉が痛くても。


「笑顔にする側」が弱音を吐いてはいけないと思っていた。


けれど。


今日初めて、


「よく頑張りました」


と認めてもらえた。


「少し休んでもいい」


そう言ってもらえた。


胸の奥に張りつめていた何かが、ふっとほどけていく。


「……ありがとう」


自然と、その言葉が口からこぼれた。


凛は嬉しそうに微笑む。


「どういたしまして」


「少しでもお力になれたなら嬉しいです」


紫音は照れくさそうに笑いながら、もう一口ハーブティーを飲んだ。


その温もりが、喉だけではなく心まで温めてくれるようだった。


***


夕方。


少し休憩を取った紫音は、リビングへ戻ってきた。


朝よりも表情が柔らかい。


「だいぶ楽になったわ」


「それはよかったです」


凛も安心したように笑う。


その様子を見ていた玖音が口元を緩めた。


「紫音」


「今日はちゃんと休んだんだ」


「凛ちゃんに言われたからな」


「素直じゃん」


「……まぁ」


照れくさそうに頭をかく紫音を見て、太音たちも思わず笑う。


「なんやろな」


紫音は少し照れながら呟いた。


「凛ちゃん見てると」


「ちゃんと休まなあかんって思えるねん」


凛は不思議そうに首をかしげる。


「私、何かいたしましたでしょうか」


「それが分からへんから不思議なんや」


紫音は苦笑した。


「でも、不思議と安心する」


その言葉に、凛は少し照れくさそうに微笑んだ。


***


夜。


自室へ戻った紫音は、ソファへ腰掛けながら今日一日を思い返していた。


世界中には、自分の笑顔が好きだと言ってくれる人がいる。


ライブでは何万人もの歓声が響き。


テレビでは笑いが起こり。


動画には世界中からコメントが届く。


そのすべてが、大切な宝物だった。


だからこそ、自分は笑顔でい続ける。


誰かを笑顔にするために。


けれど。


凛は違った。


肩書きでも、人気でもない。


黒羽紫音という、一人の人間を見てくれた。


頑張っていることを認めてくれて。


体調を気遣ってくれて。


「休んでもいい」と言ってくれた。


「……変な子やな」


思わず笑みがこぼれる。


その笑顔は、誰かを楽しませるために作った笑顔ではなかった。


肩の力が抜けた、本当の笑顔だった。


黒羽家へ来て、まだ八日。


それでも――


いつも誰かを笑顔にしてきた青年は、


初めて、自分もまた笑顔をもらっていいのだと知った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ