18.初めての「デート」
休日の朝。
黒羽家には、珍しくゆったりとした時間が流れていた。
朝食を終えた凛は、エプロンを外しながら微笑む。
「今日は皆様お休みですので、お昼は少し遅めでも大丈夫ですね」
「その前に」
太音が立ち上がった。
「凛、少し付き合ってくれない?」
「え?」
凛はきょとんと首をかしげる。
「何かご用事でしょうか?」
「最上階の空中庭園へ行こう」
「今、バラが見頃なんだ」
「空中庭園ですか?」
凛は驚いたように目を丸くした。
「最上階に空中庭園があったのですか?」
「以前、マリ様をお迎えにヘリポートへ伺ったことがありますが、存じませんでした」
太音は優しく笑った。
「ヘリポートは一部だけだよ」
「最上階の大半は両親専用のペントハウスと空中庭園になってるんだ」
「庭は母さんが何年もかけて育ててきた自慢の場所なんだよ」
「そうだったのですね」
凛は感心したように頷く。
「……ぜひ拝見したいです」
ぱっと花が咲くように笑う凛。
その笑顔に、太音も思わず頬を緩めた。
しかし――。
「待った」
玖音が静かに口を開く。
「俺も行く」
「え?」
「俺も花が見たい」
すると、
「ほんなら俺も!」
紫音が勢いよく立ち上がる。
「SNSにも載せたいし!」
「……僕も」
奏音が静かに本を閉じる。
玲音もゲーム機から顔を上げた。
「……行く」
「……え?」
凛だけが状況を理解できず、小さく首をかしげる。
「皆様もご一緒なんですか?」
「……みたいだな」
太音は苦笑した。
本当は二人きりで案内したかった。
けれど、それは他の四人も同じだった。
***
黒羽家最上階・空中庭園。
エレベーターの扉が開いた瞬間、凛は思わず息をのんだ。
そこには、まるで天空へ浮かぶ楽園のような景色が広がっていた。
色とりどりの花々が咲き誇り、
手入れの行き届いた芝生。
優雅に水を湛える噴水。
バラのアーチの向こうには、街並みを一望できるガーデンテラス。
どこまでも続く青空と風が、花の香りを優しく運んでくる。
「……綺麗」
凛は目を輝かせた。
「こんなに素敵なお庭があったなんて……」
「初めて来ました」
太音が優しく微笑む。
「ここは家族と、ごく限られた人しか入れない場所なんだ」
「母さんが大切に育ててきた庭だから」
「そうだったのですね」
凛は感動したように花々を見つめる。
「まるで、おとぎ話の世界みたいです」
その無邪気な笑顔に、五人は思わず息をのんだ。
花を見つめる凛の横顔は、咲き誇るどの花よりも美しかった。
(綺麗だ……)
五人は、まったく同じことを思う。
けれど、その視線に気づく者はいない。
凛だけは、目の前に広がる空中庭園へ心を奪われていた。
***
「凛」
太音が一本の白いバラを指差した。
「この花、凛に似てる」
「私ですか?」
「うん」
「優しくて、見てると安心する」
その言葉に、凛は少し照れたように笑う。
「そんな……もったいないお言葉です」
すると。
「違う」
玖音が静かに口を開いた。
「凛は白いバラじゃない」
「え?」
「もっと温かい色」
「例えば?」
紫音が聞く。
玖音は少し考えて答えた。
「淡いピンクかな」
「優しいから」
その言葉に今度は紫音が笑う。
「ほんなら俺はひまわり!」
「いつも笑っとるし!」
「……僕は」
奏音は青いデルフィニウムを見つめた。
「静かだけど、まっすぐ咲いてる」
玲音も小さく呟く。
「……かすみ草」
「近くにあると安心する」
それぞれ違う花を選びながらも。
伝えたい気持ちは、同じだった。
凛だけは照れながら笑う。
「皆様、お花に例えてくださるなんて嬉しいです」
その笑顔に、また五人の胸が高鳴る。
***
昼過ぎ。
ガーデンに設けられたテラスで紅茶を楽しむことになった。
凛がお茶を注ごうとすると、
「いいから!いいから!今日は座って」
太音がティーポットを受け取る。
「俺がやる」
「でも……」
「たまには甘えて」
その一言に、凛は素直に椅子へ腰掛けた。
その姿を見た玖音が自然にお菓子を取り分ける。
紫音は笑いながらケーキを皿へ載せた。
奏音は凛のカップへ紅茶を注ぎ、
玲音は黙って日差しを避けるようパラソルの角度を変えた。
「皆様……」
凛は困ったように笑う。
「今日は私がお世話されてしまっています」
「たまにはいいだろ?」
太音が笑う。
「いつも俺たちがお世話になってるんだから」
凛は嬉しそうに頷いた。
「……ありがとうございます」
その笑顔を見つめる五人は、もう誤魔化せなかった。
守りたい。
笑わせたい。
誰よりも近くにいたい。
それは家族への情ではない。
紛れもなく、一人の女性へ向ける想いだった。
その瞬間。
太音は紅茶を口に運びながら、小さく息を吐く。
(俺……)
玖音は静かに目を伏せる。
(好きなんだ)
紫音は空を見上げて苦笑した。
(もう隠されへんな)
奏音はそっと凛を見つめる。
(この気持ちは、本物だ)
玲音も照れくさそうに頬をかきながら、小さく笑った。
(……好き)
五人は、同じ日に、同じ相手への恋を自覚した。
けれど、その想いを口にする者はまだいない。
兄弟だから。
大切な人だから。
壊したくない関係がある。
しかし――
もう誰も、この恋を譲るつもりはなかった。
静かな恋のレースは、ここから本当に始まる。




