10.届いた一通の手紙
黒羽家で働き始めて十日目。
朝。
リビングには、どこか穏やかな空気が流れていた。
キッチンでは凛が朝食を仕上げている。
炊きたての白いご飯。
焼きたての鮭。
ふんわりとしただし巻き卵。
具だくさんの味噌汁。
栄養のバランスを考えた小鉢が、丁寧に食卓へ並べられていく。
「皆様、おはようございます」
最初に姿を見せたのは長男・太音だった。
「おはよう、凛ちゃん」
太陽のような笑顔を浮かべ、席へ着く。
続いて玖音が現れる。
「……おはよう」
以前よりもどこか柔らかな声だった。
そのあと、紫音が元気よくリビングへ飛び込んでくる。
「おはよー!」
「今日もめっちゃええ匂いや!」
奏音もゆっくりと階段を下りてきた。
月の光を溶かしたような淡いプラチナブロンドの長い髪が、朝日に照らされて柔らかく輝く。
「……おはようございます」
最後に、玲音も静かにリビングへ姿を見せた。
以前なら自室へ食事を運んでもらっていた。
けれど今では、自分からリビングへ来るようになっていた。
本人にその自覚はない。
ただ、凛が作る温かい朝食を兄弟たちと囲む時間が、少しずつ当たり前になっていた。
「玲音さん、おはようございます」
「……おはよう」
短い返事。
けれど、以前のような警戒心はもうほとんど感じられなかった。
五人兄弟がそろう。
「いただきます」
食卓には穏やかな時間が流れる。
「今日の味噌汁もうまいな」
太音が笑う。
「このだし巻き卵、めっちゃ好きや」
紫音も嬉しそうに頬張る。
玖音は味噌汁を一口飲み、
「……今日も栄養バランスがいい」
と、小さく呟いた。
奏音もゆっくりと箸を進めながら、
「……落ち着く味」
と静かに微笑む。
玲音も無言で箸を動かしていた。
気づけば茶碗は空になり、おかわりまでしていた。
「……ご飯」
小さく茶碗を差し出す。
「はい」
凛は嬉しそうに笑い、おかわりをよそう。
その様子を見た兄弟たちは思わず笑った。
「玲音がおかわりって珍しいな」
太音が笑う。
「最近毎日やん」
紫音もからかう。
「……うるさい」
照れ隠しのようにそっぽを向く玲音。
その姿に、食卓は自然と笑いに包まれた。
凛が空いた食器を下げようとすると、太音がふと声をかける。
「凛」
「はい」
「俺たちはもう大丈夫だから、凛もちゃんと朝ごはん食べなよ」
「冷めちゃうよ」
紫音も大きく頷く。
「せやせや。最近また後回しにしとるやろ?」
奏音も静かに口を開く。
「……温かいうちが、おいしい」
玖音は味噌汁を飲みながら、小さく続けた。
「体調管理は、自分も同じだから」
玲音も少しだけ視線を逸らしながら呟く。
「……ちゃんと食べて」
凛は目を丸くした。
思いがけない言葉だった。
「皆様……」
その優しさが嬉しくて、思わず頬が緩む。
「ありがとうございます。皆様をお見送りしましたら、すぐにいただきますね」
その笑顔を見て、兄弟たちも自然と笑みを浮かべた。
黒羽家へ来たばかりの頃。
この食卓には静かな緊張感が漂っていた。
今では自然に笑い声が響いている。
その変化を、凛は何より嬉しく感じていた。
***
朝食を終え、それぞれ出掛ける準備を始める。
太音は大学とバスケットボールの練習へ。
玖音は大学と研究室へ。
紫音はテレビ番組の収録へ。
奏音は作曲とレコーディングへ。
玲音は今日も自室でゲーム制作を続ける予定だった。
「いってきます」
「いってらっしゃいませ」
凛は一人ひとりを笑顔で送り出す。
兄弟たちも自然に笑顔を返し、それぞれの一日へ向かっていった。
***
夕方。
仕事や大学を終えた兄弟たちが次々と帰宅する。
玲音もゲーム制作の手を止め、自室からリビングへ下りてきた。
以前なら考えられなかったことだった。
「皆様、お帰りなさいませ」
凛が笑顔で迎える。
「ただいま」
五人の返事が重なった。
そのときだった。
コンコン。
「失礼いたします」
執事長が、一通の封筒を手にリビングへ入ってきた。
「皆様」
「奥様より、お手紙が届いております」
その一言で、兄弟たちの視線が執事長へ集まる。
執事長は封を開き、静かに読み始めた。
『みんな、元気にしていますか。
海外でのお仕事もようやく一区切りつきました。
数日後、日本へ帰ります。
今回は少し長く黒羽家で過ごす予定です。
新しく黒羽家へ来てくださった凛さんにも、お会いできることを楽しみにしています。
みんなへのお土産もたくさん用意しています。
楽しみにしていてください。
母 マリ』
読み終えると、リビングは一瞬静まり返った。
「母さん帰ってくるんだ」
太音が優しく笑う。
「久しぶりやなぁ」
紫音も嬉しそうに笑った。
「今回は長くいるんだね」
玖音が静かに呟く。
奏音も小さく頷く。
「……楽しみ」
玲音も少しだけ目を細めた。
「……久しぶり」
凛は少し緊張した表情で執事長を見る。
「私にも、お会いくださるのですね」
「はい」
執事長は穏やかに微笑んだ。
「マリ様は、皆様が信頼された方には、ぜひご自身でもお会いしたいとお考えになるお方です」
その言葉に、五人兄弟も自然と凛へ視線を向ける。
太音が優しく笑った。
「大丈夫」
「母さん、きっと凛のこと気に入るよ」
「せやせや」
紫音も大きく頷く。
「絶対すぐ仲良くなるわ」
玖音も静かに口を開いた。
「母さん、人を見る目は確かだから」
奏音も穏やかに微笑む。
「……きっと喜ぶ」
玲音は少し照れくさそうに視線を逸らした。
「……たぶん」
兄弟たちの言葉に、凛の緊張は少しずつほぐれていく。
「ありがとうございます」
その笑顔を見て、兄弟たちも自然と笑みを浮かべた。
黒羽家へ来て十日。
いつしか凛は、「新しい世話係」ではなく、
黒羽家にとって、いて当たり前の存在になり始めていた。
そして数日後――。
黒羽家へ、新たな風を運ぶ一人の女性が帰ってくる。




