91、 7キロ
たまには、こういうのもいいよな
静かな空間で、静かな時間を過ごす
誰が何を考えていたかなんてわからないけど、考えてみようか
「美術館、行ったことある?」
チケットは、たまたま手に入ったものだった。
誰かが行けなくなったとかで、修さん経由で回ってきたやつ。
そう聞いたとき、たかこちゃんは少しだけ考えてから、首を横に振った。
「ちゃんとは、ないかも」
じゃあ、ちょうどいい。
そんな軽い感じで決まった。
館内は、思っていたより静かで、少しひんやりしていた。
足音が、やけに響く。
「……静かだね」
小さな声で、たかこちゃんが言う。
「うん」
自然と、声のトーンが落ちる。
小さな絵の前で立ち止まる。
柔らかい色の風景で、光がゆっくり広がっているみたいだった。
しばらく、何も言わずに並んで見る。
同じことを考えてたら嬉しいな、って思う。
「こういうのってさ」
たかこちゃんが、少しだけこっちに顔を向ける。
「何考えて描いたんだろうね」
「どうだろ。見てる側に任せてるのかもね」
「そっか」
それだけ言って、また絵の方に視線を戻す。
無理に会話を続けなくていい感じが好きだ。
次の展示に移動する途中、ふと思い出したみたいに口を開いた。
「そういえばね」
「うん?」
「ママ、転職するんだって」
少しだけ間があって、続く。
「なんか、フヨウ?じゃなくなるとかで、よくわかんないけど」
「へえ、そうなんだ」
仕事変えるのって、勇気いるよな。
「もしかしたらね」
たかこちゃんが、少し笑う。
「一緒に働くこと、あるかもねって言ってた」
「そうなんだ」
軽くうなずいて、また絵に見入る。
館内を一通り見終わって、外に出る。
空気が少しだけあたたかくて、ほっとする。
庭にも、いくつか作品が置かれていた。
変わった形のオブジェとか、風で少し動くやつとか。
「これ、なんか好きかも」
たかこちゃんが指さす。
金属でできた、不思議な形のものだった。
「風で動くの、いいよね」
「ね」
そんな他愛ないやりとりが、なんとなく楽しい。
売店の前で足が止まる。
「ソフトクリームあるよ」
「ほんとだ」
「食べる?」
「うん、食べる」
少し迷ってから、たかこちゃんが言う。
「いちごにする」
「じゃあ僕はバニラ」
受け取って、外のベンチに座る。
「おいしい」
一口目で、素直にそう言うから、少し笑ってしまう。
「一口ちょうだい」
そう言われて、ほんの一瞬だけ間があく。
でもすぐに、差し出す。
「はい」
「ありがと」
少しだけかじって、満足そうにうなずく。
「こっちも食べる?」
綺麗なピンク色のソフトクリーム.。
差し出されて、同じように一口もらう。
「ほんとだ、うまい」
「でしょ」
顔を見合わせて、少しだけ笑う。
そのまま立ち上がって歩き出したときだった。
「あっ」
小さく声がして、体が傾いた。
とっさに腕をつかむ。
「大丈夫?」
「うん……びっくりした」
支えたまま、一瞬だけそのままになる。
違和感があった。
――細い。
前より、はっきりと。
「……ねえ」
思わず口に出る。
「やせた?」
たかこちゃんが、少しだけ目を丸くする。
それから、照れたみたいに笑った。
「うん」
少し間を置いて、
「高校卒業してから、7キロやせたよ」
「7キロ?」
思ったより大きい数字に、少し驚く。
「うん」
「そりゃ、変わるよね」
そう言いながら、さっきの感触を思い出す。
「なんか、この間からちょっと違うなって思ってた」
「ほんと?」
「うん」
それだけ言って、手を離す。
ダイエット?の割にはよく食べてるよな。
「転ばなくてよかったね」
「ほんとだよ」
帰り道、いつものように並んで歩く。
特別なことは何もないのに、なんとなく、いい日だったなと思う。
ふと、思い出す。
アシカに先を越されたこととか、
今の、この距離とか。
全部ひっくるめて、いいなって思う。
「また行こうね」
たかこちゃんが、前を向いたまま言う。
「うん」
短く答える。
それだけで、十分――
……のはずなのに、さっき触れた腕の細さが、少しだけ頭に残っていた。




