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碧い航海日誌   作者: 松本朱海|徒然なるままに
続きの話

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55/59

55、 彼氏、か

たった一言なのに、思っていたよりずっと重くて、

思っていたよりずっと嬉しかった。

僕は、その言葉を受け取った。

「…彼氏、か」

その一言で、世界が少しだけ傾いた。


堂々とした宣言と、初めて腕を組まれた感触。

あの瞬間、頭が真っ白になったのは内緒だ。

皆の前で、「彼氏です」なんて。

俺が言うつもりだったのに。


腕に残る体温を思い出して、少しだけ息を吐く。


一人になってから、首から下げていたデジカメを外す。

再生ボタンを押すと、今日の時間が小さな画面に並んだ。

そして、すぐに気づく。


……多い。


風景より、他の子より、たかこちゃん。


笑ってる顔。

むっとしてる顔。

俺を見つけて、少し安心した顔。


無意識で追ってる。

年下なのに。


いや、違う。

俺は、たかこちゃんを年下だと思っていない。


確かに背は小さいし、時々無茶も言う。

でも、今日みたいに迷いなく俺を選ぶ。

あんなふうに、真っ直ぐに。


守りたい、と思う。

同時に、守られてる気もする。

あの宣言に、背中を押されたのは俺のほうだ。


「彼氏」


口の中で転がす。


悪くない。


むしろ、嬉しい。


正直、めちゃくちゃ嬉しい。


でもそれだけじゃなくて。

少し悔しい。

先に言われたことが、じゃない。

あんなふうに覚悟を決められたことが。


俺は、ちゃんと覚悟できてたか?


彼女が誰かと楽しそうに話していたら、

きっと少しムッとする。


他の男が近づいたら、平気な顔はできない。

でもそれは、独占欲というより、隣にいたい、っていう気持ちだ。


振り回されている自覚はある。

急に真顔で核心を突いてきたり、突然距離を詰めてきたり。

今日だって、完全にやられた。


でも嫌じゃない。

むしろ、その勢いに引っ張られている。

俺が守るつもりでいるのに、気づけば俺のほうが動かされている。


対等でいたい、と思う。


年上だからとか、男だからとか、そういう理由で上に立つのは違う。

彼氏って、並ぶものだろ。


デジカメの画面に映る彼女の笑顔を見て、ふっと笑う。

削ろうと思えば削れる。


でも、やめた。


これが俺の視線だ。

今日、俺が見ていたもの。


堂々と「彼氏です」と言われて、嬉しくて、少し焦って、でも誇らしかった自分。

全部、嘘じゃない。


過去に背伸びしたこともある。

大人ぶったこともある。


でも今は違う。


格好つけなくてもいい相手がいる。

強くなりたい、と思う自分がいる。


守りたい。

でも、並びたい。

振り回されてもいい。

それでも隣にいたい。


「……負けないからな」


小さく呟く。


誰に向けた言葉でもない。

でもきっと、あの堂々とした彼女に釣り合うための決意だ。

彼氏、という名前に飲まれない。

でも逃げない。


年下だと思わないのは、対等でいたいからだ。

選ばれたなら、選び返す。

ちゃんと。


デジカメの電源を落とす。


暗くなった画面に映る自分は、

少しだけ照れていて、でも確かに嬉しそうだった。

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