47、 うん
特別な言葉なんて、なかった。
名前のついていない関係のまま、
少しだけ近くなる距離。
三月十四日。
空が、少しだけ高くなった気がする。
春の風。
今日もダンス教室に送ってくれる、嬉しい時間。
いつもの場所でバイクが止まる。
エンジンの音が消えると、急に静か。
「寒くない?」
「大丈夫です」
寒いよ、言わないけどね。
ヘルメットを外して、髪を整える。
今日が何の日だったかなんて、私には関係ない事…。
関係ないもん。
「これ」
差し出された小さな白い箱。
思ったより、軽い。
「……なに?」
「今日、十四日」
知ってる。
「別に、気にしてないのに」
「そうだね」
ほんとは、気にしてる。
待ってた、絶対言わないけど。
目が合ったね。
でも、すぐにそらす。
こっち向け、念じてみる。
受け取ると、指先が少しだけ触れた。
ほんの一瞬。
わたしより長い指。
「味、どうだった?」
十五日に渡した、失敗チョコ。
「うん」
それ以上は言わない。
でも、声は優しいね。
「美味しかった?」
聞くつもりはなかったのに。
「うん」
また、うん。
沈黙。
でも、なんか、嫌じゃないな。
「恋人でもないのに」
どんな顔するか、気になるけど。
「うん」
肯定でも否定でもない声。
「だから、こういうの、別に」
「うん」
うん、別にさ。
「でも」
ハンドルに手をかけたまま、少しだけ振りむいて、
「渡したかっただけ」
…それだけ?
白い箱を見つめる、ふりをする。
「……ありがと」
よせばいいのに、つい聞いちゃうんだ、私は。
「他の人からも、もらった?」
「うん」
やっぱりね。
「誰?」
「後輩とか」
「お返しも?」
「うん」
「同じの?」
「ううん」
「ふうん」
ううん、か。
はぁ。
「これ、開けてもいいですか?」
「うん」
今日は「うん」が多いのね。
リボンをほどくと、
小さなガラスの靴が、光を返す。
「…かわいい」
嬉しい、
言わないけど。
さっそく、付けてみる。
でも、うまくいかない。
「貸してごらん」
朱海さんが、後ろに立つ。
指が、首元に触れて、それだけでドキドキしちゃって。
「似合います?」
「うん」
やっぱり「うん」なんだ。
走り出すバイク。
春の風が、首元をくすぐる。
ペンダントが揺れて、それだけで幸せになっちゃう自分が、負けた!とか思っちゃって。
まだ、恋人じゃない。
でも。
ずるいよ、朱海さん。
もう、寒くない。




