第七章 筒井筒の仲
「式部卿のところへ行ってくる。幸はここで待っていなさい」
忠嗣がそう言い残して奥へ向かうと、幸は一人になった。
先ほどの奥御殿とは違い、ここは実務を行う場所だけあって、どこか殺風景である。
それでも、手入れの行き届いた中庭には、見事な松が枝を広げていた。
幸はその松を眺めながら、静かに佇んでいた。
すると、
「……幸さんじゃないか。珍しいな、こんなところで」
男性の声がした。
振り返ると、そこには大伴英嗣が立っていた。
「英嗣殿。お久しゅうございます」
幸が微笑む。
幸と英嗣は、幼い頃からの知り合いだった。
子どもの頃は、身分も何も気にせず、よく一緒に野山を駆け回ったものだ。
けれど、お互いに成人の儀を終えてからは、そうもいかなくなった。
「幸さん、今日はどうしたの?」
「師匠について参内しております。中宮様のご用事でして。私はここで、お師匠様をお待ちしているところです」
「そうですか。忠嗣様はお元気なのですか?」
「はい。陰陽寮は引退なさいましたけれど、まだまだお元気です」
幸が嬉しそうに答える。
「それはよかった。本当なら忠嗣様にもお会いしたいところだけれど、私はこれから急ぎの用があるんだ。また今度、伺うと伝えてください」
「はい。お師匠様も喜ばれると思います。私も、またゆっくりお話ししたいです」
「そうですね」
英嗣が笑った。
ふと、幸は周囲を見回した。
「……ところで、少し気になることがあるのですが」
「何?」
「先ほどから、こちらを見ている方がいらっしゃるようなのです」
そう言って、幸は扇をわずかに上げた。
その向こうから、ちらちらとこちらを窺う人影が見える。
英嗣はその姿を確認すると、思わず吹き出した。
「ああ……あれか」
「ご存じなのですか?」
「蔵人頭の、藤原家の六男坊だよ」
「蔵人頭……?」
「そう。どうも、幸さんのことが気になるらしい」
「え?」
幸は目を丸くした。
「私が? 別に、帝に御用があるわけではございませんけれど……」
「……」
英嗣は一瞬、言葉を失った。
「幸さん、そういう意味じゃなくて……」
「では、どういう意味なのです?」
「いや……まあ、そのうち分かりますよ」
英嗣は苦笑した。
そして、ちらりと六男坊の方を見る。
「まあ、あの方もそろそろ行かなくてはいけないだろうし……。それに、幸さんは――」
「私は?」
「いや、何でもないです」
英嗣は少し困った顔をして笑った。
「また今度にしましょう。坊ちゃんに目をつけられるのも、あまりいいことじゃないですからね」
「……?」
英嗣はそれだけ言うと、その場を立ち去っていった。
幸はその背中を見送り、首を傾げた。
「何のことかしら……」
そして、ふと呟く。
「私は女……」
少し考えて、
「……当たり前ですわね?」
幸はますます分からなくなった。
その頃、少し離れた場所では――。
蔵人頭の藤原家六男坊が、まだこちらを見ていた。




