第三十五章 私理想のお顔は右大臣様
「唐津の宮様にございます」
取り次ぎの女房が告げると、右大臣と小乃葉は、にこやかに出迎えた。
「ようこそおいでくださいました、宮様。このたびは、わざわざお運びいただき、かたじけなく存じます」
右大臣が丁重に礼を述べると、唐津の君は、穏やかな笑みを浮かべた。
「こちらこそ、賀茂忠嗣殿のお口添えにより、このような機会をいただきましたこと、ありがたく存じます。尚之殿が和歌を好まれると伺い、私もお歌を拝見するのを楽しみにしておりました」
「まあ、そうでございましたか」
小乃葉が嬉しそうに声を弾ませた。
「義父上から、宮様のお歌は艶やかで、詠まれた歌を耳にした方は殿方、ご婦人方、皆、胸をときめかせると伺っております。私も、ぜひ一度お聞きしたいと思っておりました」
「小乃葉・・」
右大臣がたしなめるように名を呼んだが、当の小乃葉はどこ吹く風である。
「こちらが、尚之にございます」
右大臣が傍らの少年を示した。
「まだ幼く、世間知らずなところもございます。何かとお手を煩わせることもあろうかと存じますが、どうか和歌の手ほどきを賜れれば、これに勝る喜びはございません」
「そのように仰せられては、かえって恐縮いたします」
唐津の君は、静かに首を振った。
「わたくしも、しばらく都を離れておりましたゆえ、都の雅な暮らしには、まだ馴染まぬところもございます。尚之殿に教えるなどと申せるほどのものか、心もとない限りにございますが、わたくしにできますことなら、喜んでお引き受けいたします」
その所作はしとやかで、声は澄み、言葉のひとつひとつに品があった。
小乃葉は、すっかり見とれてしまった。
唐津の君が、ふと微笑む。
その笑みさえも、まるで一首の和歌を目の前にしたかのように、心に残るものであった。
その様子を横目で見ていた右大臣が、軽く咳払いをした。
「……それでは、尚之のこと、何卒よろしくお願いいたします」
右大臣が改めて頭を下げると、唐津の君も丁寧に応じた。
やがて家人が呼ばれ、唐津の君を尚之の部屋へと案内していった。
二人の姿が見えなくなると、小乃葉は、ほうっと息をついた。
「さすがは宮様。やはり、どこか違いますね」
「そうか?」
「ええ。都を離れておいでだったというのに、あれほど雅でいらっしゃるなんて……。どうしましょう。尚之は、あのような素晴らしい方を前にして、きちんと和歌を詠めるのかしら。急に心配になってまいりました」
「おいおい。心配なのは、こちらのほうだよ」
右大臣が苦笑した。
「あなたが宮様を見つめて、すっかりぼうっとしているのを見ていたら、少々妬けてしまいましたよ」
「あらまあ、あなたったら。柄にもないことを仰いますのね」
小乃葉は、くすりと笑った。
「ご安心くださいませ。宮様は、確かに素敵な方ですけれど……わたくしの好みのお顔立ちではございませんわ」
「ほう。それでは、あなたの好みの顔立ちとやらを、一度聞いてみたいものだね」
右大臣がそう言うと、小乃葉はすかさず手鏡を取り上げ、夫の顔の前に差し出した。
「こちらでございます」
「…………」
右大臣は鏡に映る自分の顔を見つめ、しばし言葉を失った。
やがて、堪えきれぬように笑い出した。
「まったく……。君という人は、どうにも食えない人だ」
「お褒めにあずかり、光栄にございます」
小乃葉は涼しい顔で答えた。




