第三十一章 災難の後には福?きたる
「将之殿、すまなかったな。皇太后様に呼ばれていたのだろう」
東宮御座所へ参上した将之に、東宮が声をかけた。
「ご存じでしたか……」
将之は、いささか疲れた顔で答えた。
「昨晩、珍しく帝と皇太后が親子喧嘩をなされたようでな。女御たちまで、ざわざわしておった。それで少し調べさせたのだ」
東宮は苦笑する。
「すると、なんと……中宮様の結衣姫の生誕の宴に出るか出ないかで、言い争っていたらしい」
「……」
将之は、なんとも言えない顔をした。
「くだらない」
東宮は、吐き捨てるように言った。
「入道の親子は、まだ分からぬのかね」
「……?」
「世代が変わり、世も変わり始めているということを」
珍しく、東宮の声には苛立ちが滲んでいた。
将之がきょとんとしているのに気づくと、東宮はふっと息をついた。
「……すまない。私としたことが、少し感情的になってしまった」
「いえ……」
将之は恐縮して頭を下げた。
「さて、今日そなたを呼んだのは、その話ではない」
東宮の表情が和らいだ。
「夏祓いの宴の礼を、まだきちんとしておらなかったからな」
「あ……」
将之は思い出した。
「あの時の装束が、たいそう評判がよくてな。そなたの言葉に甘えて、太政大臣家にはすっかり世話になってしまった。おかげで、私も面目が立った」
「それは何よりでございます」
「そこで、何か礼をしたいと思って、いろいろ考えていたのだ」
東宮はそう言うと、傍らに置かれていた包みを手に取った。
「これをと思ってな」
包みを開く。
中から現れたのは、美しい扇だった。
将之は思わず息をのんだ。
「これは……」
「唐渡りの品だ」
東宮は扇を眺めながら言った。
「先帝が亡くなられる折に、私に下されたものだ」
将之の顔が強張った。
「……先帝様から」
「うむ」
東宮は扇を将之へ差し出した。
「そなたに受け取ってもらえぬだろうか」
将之はしばらく扇を見つめていた。
そして、慌てて首を横に振る。
「滅相もございません!」
「……」
「そのような由緒あるお品を、私ごときが頂くわけにはまいりません」
「そうか?」
「はい。夏祓いの宴のことでございましたら、太政大臣家として当然のことをしたまででございます。それに、これは先帝様から頂いた大切なお品……」
将之は深々と頭を下げた。
「どうか、お納めくださいませ」
東宮は、しばらく将之を見ていた。
やがて、ふっと笑った。
「……将之は、本当に欲がないな」
「いえ、そのような……」
「だが、これは私がそなたに礼をしたいと思って贈るものだ」
東宮は扇をもう一度、将之の前へ差し出した。
「先帝から頂いたものだからこそ、私が大切に思う者へ渡したい」
将之は顔を上げた。
「……私が?」
「そうだ」
東宮は穏やかに微笑んだ。
「受け取ってくれ」
将之はなおもためらった。
しかし、ここで固辞し続けることが、かえって東宮の好意を退けることになるのではないかと思った。
「……では」
両手を差し出す。
「ありがたく、頂戴いたします」
「うむ」
東宮は満足そうに頷いた。
将之は扇を大切そうに受け取った。
その姿を見ながら、東宮はふと呟いた。
「将之殿」
「はい」
「そなたのような者が、これからの世には必要なのかもしれんな」
「……?」
将之は意味が分からず、首を傾げた。
東宮は、それ以上は何も言わなかった。
ただ、先ほどまでの苛立ちは消え、どこか晴れやかな顔をしていた。
将之は扇を胸元に納める。
そして御座所を辞しながら、ぼそりと呟いた。
「……今日は、本当にいろいろあったな」
朝は皇太后。
次は帝。
そして今度は東宮。
しかも最後には、先帝ゆかりの扇まで頂いてしまった。
「家に帰ったら、冬弥に何と言われることやら……」
そう言いながら、将之の足取りは、来た時より少しだけ軽くなっていた。
でも帰りたい気持ちにはかわりが なかった、




