第三十章 将之の災難
「右大臣家からの使い?」
冬弥は、届いた文を見て首をかしげた。
「しかも、若君に……いったい何であろう」
不思議に思いながらも、将之のもとへ文を届ける。
将之は文を開くと、しばらく目を走らせ、
「ふーん……今度、中宮様の姫様の生誕の宴をするらしい。ぜひ私にも出席してほしいと、中宮様がおっしゃっているようだ」
そう言って、脇息にもたれた。
「まあ、右大臣家のことだ。断って角が立たぬよう、一応声をかけておいた、というところかな。どうしようかな……」
すると冬弥が静かに言った。
「今回は、出席されたほうがよろしいかと」
「?」
「噂では、都の名だたるお家には、広くお声がけなさっているようですよ。それだけではありません。今回は陰陽寮にも声がかかっているとか」
「……陰陽寮に?」
将之の顔が、ぱっと上がった。
「では……幸殿も?」
「たぶん」
冬弥が頷く。
「……そうか」
将之の顔が、みるみる明るくなる。
「じゃあ、会えるかもしれない」
「……」
冬弥は思わず苦笑した。
先ほどまで「どうしようかな」と脇息にもたれていた男が、今や身を乗り出している。
「使いの者に、返事を」
「かしこまりました」
冬弥はすぐさま返書をしたため、家人を呼んだ。
「これを右大臣家へ」
「はい」
使いの者が出ていくと、将之はすっかり機嫌がよくなっていた。
冬弥はその様子を見ながら、ふっと笑う。
「……わかりやすいお方だ」
ところが――。
翌日、出仕した将之のもとへ、思いもよらぬ呼び出しがあった。
「皇太后様がお呼びです」
「……私を?」
将之は思わず聞き返した。
皇太后…
「何か……落ち度でもあったのか?」
いくら考えても思い当たることがない。
昨夜の返事か。
いや、それなら右大臣家から何か言ってくるはずだ。
それとも、何か朝廷のことで失礼をしたか。
考えれば考えるほど、不安になる。
やむなく御座所へ向かうと、そこには帝の母である皇太后がいた。
「……」
将之は緊張した面持ちで、深く頭を下げた。
「お召しにより、参上いたしました」
「将之殿」
皇太后が口を開く。
「この度の、中宮殿の宴のことは聞いておろう」
「は……はい」
「そなたは、どう思う?」
「……どう、と申されましても」
将之は困った。
宴をする。
ただ、それだけの話ではないのか。
「中宮様も、姫様を慈しんでおられます。昨年は入道様のご病気をお気遣いになり、ご遠慮されたようですが……今年は姫様も楽しみにしておられるとのこと。私には、よろしいことかと存じます」
すると皇太后の表情が曇った。
「では、今年は……入道がお亡くなりになったとしても、宴をしてよいと申すのか?」
「……は?」
将之は、一瞬言葉を失った。
なぜ、そういう話になるのだ。
「いえ……私は、そのような意味で申し上げたのでは」
「では、どういう意味じゃ?」
「どういう……」
将之は困惑した。
姫君の生誕を祝う宴をする。
ただ、それだけではないのか。
昨年は入道の病気を理由に控えた。
今年は、その入道が亡くなったから、また控える。
では、いつまで控えればよいのだ。
そもそも、自分がそれを決める立場なのか。
将之は恐る恐る尋ねた。
「では……皇太后様のお考えは、今年は入道様がお亡くなりになった場合、姫様の生誕の宴は取りやめるべき、ということでございましょうか」
「取りやめよとは申しておりません」
皇太后は、静かに答えた。
「自粛するよう、中宮に伝えてほしいと申しているのです」
「……はあ」
思わず、気のない返事が漏れた。
取りやめるのではない。
自粛しろ。
違いが、将之にはよく分からなかった。
「将之殿、私が直接申せば、中宮殿にも角が立ちましょう」
「……」
「ここは、そなたに穏便に収めてもらいたいのです」
将之は目を瞬いた。
――なるほど。
ようやく分かった。
自分に判断を求めているのではない。
自分を使って、中宮に言わせようとしているのだ。
しかも、断れば自分が悪者になる。
「……」
将之は、なんとも言えない顔になった。
なぜ私が。
そんな疑問が頭の中をぐるぐると回る。
すると突然――。
「母上!」
御簾の奥から、声が響いた。
将之が振り返る。
次の瞬間、御簾が上げられ、帝が姿を現した。
「いい加減にしてください」
「……え?」
将之は目を見開いた。
皇太后は一瞬言葉を失う。
帝は皇太后を真っすぐ見つめていた。
「なぜ、将之殿にそんなことを言わせるのです」
「帝……」
「中宮殿の宴でしょう」
帝はそう言うと、今度は将之を見る。
「将之殿も、困っているではありませんか」
「…………」
将之は、返す言葉もなく、その場に固まった。
――いや。
困っているどころではない。
なぜ自分がここにいるのかさえ、もう分からない。
ただ一つだけ、はっきりしていた。
昨日までは、
「幸殿に会えるかもしれない」
と胸を弾ませていたのに。
今日はなぜか、帝と皇太后の間に立たされている。
「……私、何か悪いことをしましたでしょうか」
思わず小さく呟く。
それを聞いた冬弥なら、きっとこう言うだろう。
――いいえ。
ただ、巻き込まれただけです。
「……家に帰りたい」
将之は、渡り廊下をとぼとぼと歩いていた。
帝が機転を利かせてくださったから、何とかその場は収まったものの、とんだ災難である。
朝から皇太后に呼び出され、訳の分からぬまま中宮殿の宴の話をさせられ、挙げ句の果てには、御簾の奥から帝までお出ましになった。
もう、すっかりくたくただ。
「今日はもう帰って、ゆっくり休みたい……」
そう呟きながら、将之は詰所へ戻った。
すると、待っていた侍従が声をかけた。
「将之様、お戻りでしたか」
「うん……」
「先ほど、東宮様のお使いの方がお見えになりまして」
「……え?」
嫌な予感がした。
「将之様に、東宮様の御座所まで来るようにとのことでございます」
「…………」
将之は、しばらく黙って家人を見つめた。
「帝の次は……東宮様か!」
思わず天を仰ぐ。
「全く……今日はついてない」
そうぼやきながらも、将之はすぐに衣の乱れを整えた。
「東宮様がお呼びなら、急がないとな」
その背中は珍しく疲れていた
将之は、まだ知らない。
今日という一日が、まだ終わっていないことを――。




