第二十四章 それぞれの宴
英嗣は、ようやく一息つくことができた。
右近中将という立場になって初めて迎える大きな宴。帝や東宮、そして中宮に何事かあってはならぬと、朝から気を張り詰めていた。
御殿の隅々にまで目を配り、警備の者たちに指示を出し、宴の進み具合を確かめる。ようやく大きな滞りもなく、夜も更けようとしていた。
そこへ、父である左大臣が声をかけた。
「英嗣、今宵はご苦労であった。よく務めたな」
「ありがとうございます。あとは、皆さまがお帰りになるのに合わせて、御所内を巡回いたします」
「うむ。何事も起こらず、まことによかった。だが、私はどうにも例の一件が気になっておる」
「はい。明日から、少しずつ調べを進めるつもりです」
左大臣は、息子の顔を見て、満足そうにうなずいた。
「お前は今宵、宿直であったな。少しは休める時に休んでおけ」
「はい」
父からねぎらいの言葉をかけられ、英嗣の胸に、ようやく安堵が広がった。
今夜はまだ終わらない。皆が帰るまで、気を緩めるわけにはいかなかった。
一方、そのころ。
「将之、ようやく見つかったぞ。いったい、どこへ行っておったのだ」
太政大臣は、ようやく姿を現した息子を見つけるなり、声をかけた。
「いえ、少々用事がございまして……」
「用事だと? お前は蔵人頭であろう。帝や東宮のおそばに控えておらねばならぬ身で、宴の最中に姿を消すとは、いったい何を考えておるのだ」
「申し訳ございません」
将之は、素直に頭を下げた。
父の小言は、まだまだ続きそうであった。
ところが、太政大臣はふと、先ほどの東宮の姿を思い出したように、表情を和らげた。
「それにしても、東宮の衣装の見立ては、なかなかよかったぞ」
将之は、ぱっと顔を上げた。
「そうでございますか? 実は、私も東宮様をあれほど近くで拝見したことはなかったのです。今宵、改めてお姿を拝見して、驚きました。あれほど美しいお方とは……。同じ男の私から見ても、ほれぼれするほどでございました」
太政大臣は、息子の言葉に、思わず笑みを浮かべた。
「そうか。これからも、きちんと務めを果たすのだぞ」
そう言い残すと、太政大臣は大臣たちの輪の中へと戻っていった。
将之は、その背中を見送りながら、ほっと胸をなで下ろした。
どうやら、今宵はこれ以上叱られずに済みそうである。
父が宿直であることも分かった。ならば、もうしばらく宮中にいてもよかったのだが……。
将之の心は、すでに別のところにあった。
幸殿は、いったいどこへ行ってしまったのだろう。
宴の間も、何度となくあたりを探してみた。けれど、どこにも姿が見えない。
居場所を尋ねようにも、今宵は陰陽寮の出番もなく、幸殿がどこにいるのか知る手がかりがなかった。
念のため陰陽寮にも足を運んでみたが、そこにも幸殿はいなかった。頼りにしていた保忠も、すでに不在である。
英嗣に尋ねようにも、警備の指揮で忙しそうにしており、声をかける隙もなかった。
こうして、将之の幸探しは、とうとう空振りに終わった。
「つまらぬ……。せっかく新調した衣装も、見せる相手がおらぬではないか」
帰りの牛車の中で、将之はひとり、ぼそりとつぶやいた。
新しい衣装をまとい、今宵こそ幸殿に会えるかもしれないと、どこかで期待していたのである。
それなのに、幸の姿は一度も見られなかった。
牛車が屋敷に着くと、将之はゆっくりと降りた。
「お帰りなさいませ」
そこには、側近の冬祢が控えていた。
「ああ……」
将之の返事に、いつもの張りがない。
冬祢は、すぐにその様子に気づいた。
「いかがなさいましたか。何かございましたか」
「別に、何もない。父上から、東宮様の衣装を褒められただけだ」
「それは、それは。ようございましたね」
冬祢が笑顔で応じると、将之はしばらくその顔を見つめた。
そして、突然、冬祢に抱きついた。
「やっぱり、冬祢がいてくれて助かった! やっぱり冬祢が一番だよ!」
「えっ……。若君、いったいどうなさいました?」
冬祢は、あまりのことに目を丸くした。
将之は、そんなことなどお構いなしに、冬祢の肩に顔を埋めていた。
今宵、幸には会えなかった。
けれど、帰れば、いつも自分を迎えてくれる者がいる。
そのことが、今の将之には、何よりありがたかったのである。




