第二十一章 結衣姫様の初恋
「白、もうお外で食べ物を頂いてはなりません。よいですか?」
結衣姫は、一生懸命に白へ言い聞かせていた。
「結衣様、白はよく分かっているようですよ。最近は、外へ出かけなくなったでしょう?」
女御の一人が微笑んだ。
「先生が教えてくださったように、少し煮干しを載せてあげたら、喜んで食べています」
「そうですね。以前読んだ書物に、猫は鰹のかけらや小魚を好むと書いてあったのを思い出したものですから」
「書物は先生ですね」
結衣姫が嬉しそうに笑った。
その時、
「右近中将様がお見えになります」
と、先触れがあった。
女御たちは一斉に御簾を整え、右近中将を迎えた。
英嗣は中宮の前に座し、挨拶を済ませると、訪問の要件を伝えた。
「先日の一件以来、毎日の出来事を詳細に記録し、確認してまいりました。その後、不審な者の出入りもございませんでしたので、ひとまず護衛の人数を減らしたく存じます。
ただし、引き続き本殿と中宮殿の扉の前には護衛を置き、厳重に監視いたします。その旨、ご了承いただけますでしょうか」
「わかりました」
中宮は穏やかに答えた。
「その後、白も中宮殿で、きちんとご飯を食べております」
そう言って、ちらりと白へ目を向ける。
白はというと、そんなことには一向に関心を示さず、気持ちよさそうに眠っている。
――羨ましい……。
英嗣は、心の中でつぶやいた。
「英嗣殿? どうかなさいましたか?」
「はっ!」
英嗣は我に返った。
「い、いえ。何でもございません」
そして、改めて話を続けた。
「もう一つ、扉の鍵の件でございます」
中宮も静かに耳を傾ける。
「調べましたところ、誰かが故意に壊したものではございませんでした。鍵の具合が以前から悪く、闈司へ届けられていたとのことです。すぐに新しい鍵を用意する予定であったものの、間に合わぬうちに、結衣姫様と白が外へ出てしまわれたようでございます」
英嗣は深々と頭を下げた。
「私が慣れぬことで、かえって大騒ぎにしてしまいました。伏してお詫び申し上げます。後から闈司の者にも、事を大きくしたと叱られてしまいまして……面目もございません」
そして、少し苦笑しながら続けた。
「以後、中宮様方のお心を乱すようなことのないよう、慎んでまいります」
「右近中将殿、もうお顔を上げてください」
中宮は優しく言った。
「こちらこそ悪かったのです。いくら扉が開いていたからといって、勝手に外へ出た結衣姫が悪いのです。母として躾が行き届かず、恥ずかしい限りです」
そう言って、中宮まで頭を下げた。
「めっそうもございません!」
英嗣は慌てて顔を上げた。
「中宮様にそのようなお気遣いをいただきますと、私こそ身の置き所がございません」
そう言う英嗣の顔は、すっかり赤くなっていた。
その時、御簾の内側から、
「……なんか、可愛い」
と、小さな声が漏れ聞こえた。
「……!」
英嗣の顔は、ますます赤くなった。
その様子を、御簾の向こうからじっと見つめている少女がいた。
少女の目には、慌てる右近中将の姿が、なんとも素敵なものに映っていた。
そして――
新たな騒動の気配が、静かに動き始めていた。




