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第二章 春の嵐 瑞穂宮中へ参内する

入道の死後、宮中では喪に服す日々が続いた。

やがて帝の喪も明け、春の除目の季節となった。

先の左大臣入道の死は、これからの宮廷の勢力図に大きな変化をもたらす――そんな予感が漂っていた。

今回も太政大臣が政権を握り、藤原一族を中心とした人事を進めていた。

もちろん左大臣も意見を述べたが、その多くは譲歩せざるを得なかった。

しかし、今回だけは、左大臣がどうしても譲らなかった人事があった。

先の左大臣との騒動によって大宰帥となった藤原兼継。その長男、兼之の中央復帰である。

「いきなり兵部卿の官職とは、前例がない!」

太政大臣をはじめ、反対の声が相次いだ。

しかし左大臣は、一歩も引かなかった。

大納言・藤原之正もまた、

「兼之は、これからの朝廷を支えるために必要な人材でございます」

と、左大臣の意見に同調した。

昨今は不作が続き、荘園からの収入も減っている。朝廷の財政も下降気味であった。

「大宰府で培った交易の才覚は、今の朝廷にこそ必要なのです」

左大臣は、最後まで譲らなかった。

太政大臣も簡単には首を縦に振らない。

兼之を中央へ戻すことになれば、左大臣側にとって大きな意味を持つ。

それだけに、太政大臣としても容易に認めるわけにはいかなかった。

幾度となく言葉を交わし、互いに探り合い、駆け引きが続いた。

そして、ついに一つの決着がついた。

――藤原兼之の中央復帰を認める。

その代わり、今回の除目におけるその他の人事については、太政大臣の意向を通す。

表向きには、太政大臣が大きく主導権を握った。

しかし左大臣もまた、これからの朝廷に必要だと考える一人の人材を、中央へ戻すことに成功したのである。

まさに、とてつもない駆け引きであった。

だが――。

この決着の裏には、もう一人の女がいた。

藤原兼之の北の方。

そして彼女は、太政大臣の実の妹であった。

兄がこれまで何をしてきたのか。

自分がどのように扱われてきたのか。

妹は、すべて分かっていた。

兄の政略のため、自分の夫が大宰府へ送られたことも。

その後、長い年月を都から遠ざけられたことも。

そして、自分が兄にとって都合のよい存在として扱われてきたことも。

それでも、妹は何も言わなかった。

怒りに任せて兄に逆らうこともしなかった。

ただ、時が来るのを待っていたのである。


――いつか、このことが役に立つ日が来る。


そう思って。


そして、その時が来た。

兄がどうしても譲らない人事。


兼之の中央復帰。

妹は、表立って動くことはなかった。

ただ、夫を支えるため、そして自分の家族の未来のために、静かに人を動かした。

それが、最後の一手となった。

太政大臣にとって、妹は誰よりも身近な存在だった。

だからこそ、その一手は効いた。

表では勝ったように見える太政大臣も、実は自分の妹には頭が上がらなかったのである。


そして――。


この母から、瑞穂は生まれた。

あの華やかな美しさも、気性の強さも、そして人の心の動きを読む鋭さも。

すべて、母親譲りだった。

瑞穂の母は、ただの「太政大臣の妹」ではない。

兄の強さも弱さも知り尽くした、一人の女だった。

そしてその血を、瑞穂は確かに受け継いでいた。

表向きには太政大臣が大きく主導権を握った。

しかし左大臣はこれから朝廷を動かす大事な駒を手に入れたのであった。


「まあ……ずいぶんと華やかな色合わせですこと。

わたくしには、とても真似のできない取り合わせですわ」

「お美しい方は、何をお召しになってもよくお似合いですこと。

まあ……襲の色など、さほど気になさらなくてもよろしいのでしょうね」

御簾の向こうから、女たちのなんとも言いがたい、ひそひそ話が聞こえてくる。

今日、瑞穂は初めて宮中へ参内した。

父親は、この日のために娘の装束にことのほか心を砕いた。

重ねる色、織り、文様――。

瑞穂の美しさが最も映えるよう、幾人もの職人の意見を聞き、仕立てさせた十二単である。

その姿は、廊下を行く者が思わず振り返るほどだった。

そして母親もまた、娘の参内に心を砕いていた。

母は以前から、唐渡りの珍しい品々を少しずつ集めていた。

珍しい髪飾りや小物、異国の織物で仕立てた帯などである。

それらを、娘の参内に合わせて、宮中の高官の北の方や、親しい女御たちへ贈った。

もちろん、ただの贈り物ではない。

「娘が初めて参内いたします。どうぞよろしくお願いいたします」

そんな母親の言葉とともに届けられた品々だった。

瑞穂が宮中へ足を踏み入れるより前に、母はすでに娘の居場所を作り始めていたのである。

父は娘を美しく見せることに心を砕いた。

母は、娘が宮中で困らぬよう、人との縁を整えた。

夫婦そろって、実に抜け目がなかった。


当の瑞穂は、そんな両親の思惑など知る由もなく、華やかな十二単に身を包み、侍女を従えて廊下を進んでいた。

そして、御簾の向こうから聞こえてくる女たちの声に、ふと耳を澄ませる。

褒めているようで、褒めてはいない。

笑っているようで、笑ってはいない。

瑞穂は、ほんの少しだけ口元を上げた。

――なるほど。

これが宮中というところなのね。

初めこそ緊張していた瑞穂だったが、いつしかその目には、好奇心の光が宿っていた。

そして、ふと気づいた。

――この宮中では、顔よりも先に、言葉が人を選ぶのだ。

面白い。

瑞穂の胸の奥に、ほんの少しだけ好奇心が芽生えた。

先ほどまでの緊張は、いつの間にか消えていた。

「参りましょう」

瑞穂は侍女にそう告げると、何事もなかったかのように、優雅に歩き始めた。

美しいだけの姫ではない。

この日、宮中の女たちはまだ知らなかった。

その華やかな笑顔の奥に、周囲の人間をじっと観察する、聡い娘がいることを。





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