第十六章 小乃葉と瑞穂
右大臣家では、小乃葉が義理の息子、尚之の教育係を探していた。
姉である中宮の娘、結衣姫の教育係を務める佐紀の評判が、宮中で話題になっているという。
あれほどお転婆で、やんちゃぶりばかりが目立っていた結衣姫が、今では論語をそらんじるというのだから、小乃葉も、のんびりしてはいられなかった。
尚之も、小乃葉が幼い頃から面倒をみてきた亡き姉の子である。頭の回転も速く、聡明な子ではあるのだが、どうにも和歌が苦手だった。
もっとも、小乃葉自身も和歌は得意ではない。人と向き合って話せば、たちまち相手を虜にしてしまうほどの魅力を持つ小乃葉であったが、和歌となると話は別だ。尚之にも指導がおもうようにできていないのでこれでは将来、良縁に恵まれるかどうかも心配になる。
「やはり、きちんとした教育係を見つけなくては……」
小乃葉は思案した。
「お顔の広い忠嗣様に、お尋ねしてみようかしら」
そう考えていたところへ、使いの者がやって来た。
「兵部卿の参議、藤原兼之様のお使いでございます。瑞穂様が、奥方様にお見せしたいものがあるとのことで、ただいま御門にお着きでございます」
「まあ、瑞穂様が? 何かお約束していたかしら?」
小乃葉は大津の局に尋ねた。
「いいえ、私は何も伺っておりませんが……。どなたか、お聞きになっていらっしゃいますか?」
局が周囲に尋ねても、誰も心当たりはないようだった。
「何か急なご用なのかしら。ともかく、お通しして」
しばらくして、瑞穂が姿を現した。
相変わらず、女性でさえ思わず息をのむほどの美しさである。
「突然お伺いして、申し訳ございません」
瑞穂は、まず丁寧に詫びると、供の者に持たせていた包みを広げた。
「実は、大宰府から珍しい品々が届きましたの。小乃葉様に、ぜひご覧いただきたくて」
中には、見慣れない草木や、異国の香りを漂わせる品々が並んでいた。
「まあ、本当に珍しいものばかり。これは、何という葉っぱかしら?」
小乃葉が手に取ると、瑞穂はにっこりと微笑んだ。
「あしたば、と申しますの。今日摘んでも、また明日には新しい葉が生えてくるそうですわ」
「まあ、そんなに生命力のある葉なのね」
小乃葉は感心したように、葉を眺めた。
「こちらは、氷でございます。これからの季節、冷たくしていただくと、とてもおいしいのです」
「これが氷ですのね。宮中でいただいた時は、ほんのサイコロほどの大きさでしたから、そういうものかと思っておりましたわ」
小乃葉は、思わず笑みをこぼした。
「船便はいつ着くのか、まったく見当がつきませんでしょう。ですから、少しでも新鮮なうちにお渡しできればと思いまして」
「まあ、こんなにたくさん。よろしいの?」
「もちろんですわ。どうぞ、お納めくださいませ」
瑞穂は、屈託のない笑顔を見せた。
「小乃葉様。先日、宮中でお会いした折には、ゆっくりお話しすることもできませんでしたでしょう。少しでもお近づきになれればと思いまして……」
「瑞穂さんは、素直な方ね。どこか、私と似たところがおありなのかしら」
小乃葉は、楽しそうに笑った。
「実は、今度、宮中で夏越の祓宴があると伺いましたの。できましたら、事前に心得などをご指南いただければと思いまして……」
「まあ、そういうことでしたのね」
小乃葉は、少し考えてから答えた。
「私など、指南できるほど立派なものではございませんわ。でも、中納言の北の方でしたら、前の帝の御代に尚侍としてお仕えしていらしたから、そのあたりはお詳しいと思いますわ。私もご一緒いたしますから、後ほどお声をかけてみましょう」
「まあ、小乃葉様。ありがとうございます」
瑞穂は、嬉しそうに頭を下げた。
「実は私も、右大臣家の北の方として夏越の祓宴に出るのは初めてなのです。どなたかに教えていただきたいと思っておりましたから、ちょうどよかったわ」
小乃葉も、ほっとしたように微笑んだ。
瑞穂は、急な訪問であることを気にしてか、それ以上長居はせず、用件を済ませると、早々に右大臣家を後にした。
その後ろ姿を見送りながら、小乃葉は、ふと考えた。
美しいだけではない。人との距離の取り方も、なかなか心得ている。
「さて、瑞穂さんとは、これからどんなお付き合いになるのかしら」
小乃葉は、手元に残された珍しい品々に目を落とし、静かに微笑んだ。




